14.デュマ
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その部屋は、薄い闇に包まれていた。香辛料を彷彿とさせる独特なにおい。肌に纏わり付く、じっとりとした湿気。棚には乾燥させた薬草や、ホルマリンに漬けられた何かが並び、籠の中では虫のようなものが蠢いている。動物の剥製やら得体の知れない瓶やらが雑多に詰め込まれ、棚に収まりきらないものは床にまで侵食して、足の踏み場もない。
その不快な空間の奥へと進んでいくルルの耳に、低く、そして少しずつ高く大きくなっていく男の声が聞こえてきた。
「くっくっくっ……ふふ……っはぁーっはっはっはっはっ! 素晴らしい……素晴らしい……っ!」
男は――デュマは目を大きく見開き、ぐつぐつと煮えたった鍋の中に何かの液体を垂らす。そして黄色い歯を覗かせながら、大きなお玉でゆっくりとかき混ぜた。
「はぁぁ……これは堪らん……実に甘美で唆る香り……っ!」
くしゃくしゃの髪を更に振り乱し、興奮冷めやらぬ様子のデュマを、ルルは半眼で見つめる。それから躊躇なく、締め切られた部屋のカーテンを次々と開け放っていった。
「あぁっ! 眩しい!」
「ねぇ、エヴァパパ。この完全な悪役ムーブを間近で見てても、まだこの人が悪人じゃないって断言できるのよね?」
「う……ま、まぁ……」
ファーガスは歯切れ悪く頷いた。
ファーガスは一昨日ノアから採取した血液を持って、このデュマの研究室を訪れた。そこからここに泊まり込み、二人で血液の検査を行っていたのである。
デュマは窓とカーテンを閉め切り、明かりを最小限に抑えた薄暗い部屋を好んだ。様々な薬草や薬品の臭いが入り混じったその空間は、まさしく怪しい研究所の様相を呈しているが、間近でデュマの手順を見ていたからこそファーガスには分かる。デュマは何もおかしな事はしていない。
「教授の手腕は間違いない。ただ……まぁ、その、なんだ。少々個性的な趣のある方ではある」
「個性的な趣ねぇ……」
ルルはすっかり明るくなった部屋の中で、日光に怯えるようにガタガタと震えているデュマに視線を向けた。
「い、いきなり日光を浴びるのは心臓に悪い……! カーテンを閉めてください!」
「こんな陰気臭い部屋で高笑いなんかしてるから、『あ、この人呪薬で人を殺しそうだな』って思われちゃうんですよ」
「呪術士とは陰気臭いものです! 血と薬品と呪術式……全て室内で完結しますからね」
「だからって窓とカーテンを閉め切る必要は無いですし、整理整頓を怠る言い訳にもなりません! なんですか、そのぐつぐつ煮えたった鍋は」
「検査がひと段落したので、昼食を摂ろうとカレーを作っていたところです」
「紛らわしいわ!」
叫んだルルのお腹が、大きく鳴った。そう言えば昨夜も今朝も、食事を摂るのも忘れて呪薬と解呪薬の解析に没頭していたのだった。
「ルルさんも食べます?」
「……いただきます」
「ドクター・ウェインも遠慮なくどうぞ」
「いえ、私は……」
こんな部屋で食事を摂るなどあり得ない。なんとか断ろうとしたものの、カレーを盛った器を強引に押し付けられて渋々受け取るしかなかった。
「それで、ルルさんは何か御用ですか?」
「あ、そうだった。ノアに使われたと思われる呪薬の解析と、それを元に考えた解呪薬の材料と呪術式です。一応教授に確認して貰おうと思って」
「私を信用していないのでは?」
「まぁ……私たちのかかりつけ医が信用できるって言ってるんで」
ちらりと横目でファーガスを見ると、彼は仏頂面で顔を逸らした。
「でも一つだけ聞いていいですか? ノアが倒れた時、なんでデュマ教授もその場にいたんですか? ここからグラウンドまでは離れているのに」
デュマはニヤリと怪しい笑みを浮かべると、憎たらしげに窓の外で輝く太陽を見上げた。
「日光浴です」
「……うん?」
「私は明るい場所が大嫌いなんです。室内の薄暗ぁいところが落ち着く。しかし時々は、太陽の下を歩かなければ健康を害しますから……それならばついでに、ノア君の魔法剣の演習を見に行こうと思いまして。彼の漆黒の魔力は美しいですからねぇ」
ルルは沈黙する。嘘くさいと思うが、この嘘くささこそがデュマという男なのだと妙に説得力がある。
「……まぁ、いいです」
ルルは細かい文字でびっしりと書き込まれた紙を、デュマへと渡した。デュマはカレーの皿を一旦置いて、その紙に目を通していく。
「……これを、一晩で?」
「さすがに一人じゃ無理なので、エヴァンにも手伝って貰いました」
「なぜ【月下雫】ではなく【鬼神草】を? どちらの効能も同じですが」
「相手がノアなので、魔物が好む【鬼神草】の方が合うんじゃないかなって……やっぱりマズイですか?」
「いえ、恐らく正解でしょう。では、呪術式の第三構文でマミヤ公式ではなくアテライト公式を引用したのは?」
「多分ノアって、抵抗力が異常に強いと思うんです。今まで風邪ひとつひいたことないですし。だからマミヤ公式だと効きが弱いかと」
デュマとルルのやり取りを、ファーガスは開け放った窓の傍でぼんやりと聞いていた。呪術の専門用語はさっぱりわからないが、デュマが感心している様子は伝わってくる。
(腐っても名門大学生だな)
ルルのことも赤子の頃から知っている身としては、どこか感慨深い。そんなことを考えながら口に入れたカレーは思いの外絶品で、ファーガスはぺろりと平らげてしまった。最後に入れていた隠し味の蜂蜜が効いているのだろう。
「ひひっ……素晴らしい。やはりルルさん、貴女は呪術士の素質がありますねぇ。ノア君の魔力の対流を見た時の手際の良さもさることながら、対象者の体質を考慮して材料や公式を組む能力がお見事です。今期から始まるゼミは、呪術学を強くお勧めしますよ」
「私一人の力じゃないです。ハンテンコオロギはシオンの発見だし、エヴァンがいなかったらこんなに早くは解析できなかったですし」
「呪術学を取っていないにも関わらず解析できてしまうエヴァン君にも脱帽ですが……彼は残念ながら呪術士向きではありません」
「それは何故です?」
息子の名前が出てきて、思わずファーガスが尋ねた。デュマは心底落胆した顔で、首を静かに振りながら答える。
「彼はイケメンすぎる……あんなキラキラした呪術士、私は認めない」
「それは教授のただの僻みでしょうが」
呆れて言葉を失うファーガスと、すかさずツッコミを入れるルル。
気を取り直して、デュマは改めてルルの呪術式に目を通した。
「概ねこの通りでいけると思います。細かい修正は必要ですが、あなたがたが構わないと言うのならば、私が請け負いましょう」
「お願いします」
「ではルルさんは、解呪に必要な材料を集めてください。材料が揃う頃には、こちらの血液検査も終わっているでしょう」




