13.河原で拾った石と、蛇の抜け殻
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「――ブロッコリーお化け!!!」
ノアは絶叫と共に飛び起きた。心臓が痛いほど速く打っている。息は乱れ、全身の筋肉は強張り、それでいて汗でぐっしょりと濡れていた。
「はい、ノア。水飲んで」
待ち構えていたように、エヴァンがノアの手にコップを握らせる。ノアが一気に飲み干すと、エヴァンは手際良く濡れた服を剥ぎ取り、固く絞ったタオルで汗を拭いていく。新しい服を着せたと同時に、ミルクで煮詰めたパン粥の器を手渡した。
ノアはほとんど決まった時間に、きっかり十五分だけ目を覚ます。世話をするエヴァンも、すっかり慣れたものだった。
「……悪夢を見るというのは、ひどい気分だな……」
「ルルが使われた呪薬を突き止めたから、解呪までもう少しの辛抱だよ」
朗報を伝えたつもりであったが、ノアはスプーンを握ったまま項垂れ、食べようとしない。
「ノア。食べなきゃもたないよ」
「ハニールのチーズケーキがいい……」
「明日用意しておくから、今日はそれで我慢して」
渋々パン粥を口に運ぶノアの顔は、昨日も一昨日も冴えない。明日チーズケーキを用意したところで、きっと同じ顔をするのだろうとエヴァンは思う。
「不味い」
「だったらしっかり食べて、早く元気にならないとね」
しかしノアは、半分以上残して器をテーブルに置いた。
「……ルルとティアは?」
「ルルは呪薬の解析中。前から思ってたけど、ルルは回復や守護の白魔法よりも、呪術とか悪魔召喚とかの黒魔法の方が向いてるよね」
「……悪魔召喚……」
今のところルルがそれを勉強している様子はないが、身につけたとしたら悪魔と対峙するのは自分なのだろうかと、ノアは少しぞっとした。
「ティア様は少し出かけてる。戻ってきたら、ノアが寂しがってたって伝えておくよ」
「別に寂しいわけじゃない」
「そう?」
しかしエヴァンは、ノアの手が手持ち無沙汰にそわそわしているのを見逃さなかった。思えばノアが倒れてから、レティシアはずっとノアの手を握っていた。
「……エヴァン。悪夢が現実になることは、あると思うか?」
「正夢ってこと? 僕はただの偶然だと思うけど……?」
ノアはそっと自分の腹に手を当てた。
「……毎回、風船になる夢を見る」
「風船?」
「息を吸うたびに、そのぶんだけ体が膨らんでいくんだ。毎日、少しずつ大きくなっている」
腹は特に膨らんでいる手応えはない。食べていないぶん、どちらかと言えばへこんでいる方だ。それでも、ぱんぱんに膨れている感覚だけがあり、食べ物もこれ以上喉を通らない。
「……正夢なのかも」
「ノア……」
ノアは青い顔でエヴァンを振り返る。
「風船が破裂したら、俺も破裂するかもしれない!」
「だ……大丈夫だよ。ただの夢なんだから」
エヴァンは笑ってそう答えたが、内心穏やかではなかった。
ノアの体には、魔力の出口がない。しかし魔力は常に湧き出しているものだ。つまり今のノアは、ぱんぱんに膨らんだ風船と同じ状態なのだろう。その感覚が、夢となって現れているのかもしれない。
「ちなみに、あとどのくらいで破裂しそう?」
「……二、三日」
エヴァンは片手で頭を抱えた。解呪の薬の完成を、気長に待ってはいられない。
「破裂したら痛いだろうか……痛そうだな……嫌だな……ナナイロツノオオクワガタを見つけるという志半ばで死ぬのか……せめてアレキサンダーコガネカブトは捕りたかった……」
ぶつぶつと呟きながら、ノアは横目で時計の針を確かめた。そろそろ時間だと、ソファに戻って横たわる。
「ノア、大丈夫だよ。必ず助けるから」
ノアは弱々しい笑みを浮かべ、エヴァンを見上げた。
「俺が死んだら、河原で拾ったピカピカの石はお前にやる。ルルには、実家に置いてある五メートルの蛇の抜け殻を。ティアには……」
落とし穴に落ちるように、ノアの意識が遠のいていく。滑り落ちていく中で、ノアはレティシアの顔を思い浮かべていた。
レティシアの、声が聴きたい――
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――明朝。まだ日も昇らぬうちに、レティシアがノアの部屋を訪ねてきた。身だしなみは整えられているものの、その顔には隠しきれない濃い疲労の色が滲んでいる。
「ティア様、どこまで行ってきたの?」
「少々、ミエールお姉様のところまで……」
「バルドレインまで!?」
レティシアに温かいお茶を淹れながら、エヴァンは思わず声を上げた。ここから王都バルドレインまでは、乗合馬車で五日はかかる距離である。
「いくらハヤブサとは言え、一日で往復するなんて……その様子だと、戻ってから寝てないよね? ノアが目を覚ますのは夕方だから、ティア様もそれまで休んだ方がいいよ」
「平気ですわ。私、スタミナはある方なんです」
気丈に微笑んでから、レティシアは眉間に皺を寄せて眠るノアへと視線を向けた。硬く強張ったその手を、そっと握る。
「それに……私にとってはここが一番休める場所なんです」
エヴァンはマグカップをレティシアに渡し、その隣に腰を下ろした。
「リュミエール様とは、どんな話を?」
「ノア様を……恨んでいるかもしれない方の話です。私の思い過ごしならば良いのですが、もしかしたらエヴァン様とルル様にも危険が及ぶかもしれません」
レティシアの口からその言葉を聞いて、エヴァンはようやくノアに恨みを持つ人物の名前が浮かび上がった。
「スピナ国……フェリクス王子か」
「……はい」
フェリクス王子は、本来レティシアと婚約者になるはずだった男だ。しかし魔法で醜い姿に変身していたレティシアを一目見るなり、そんな女と結婚するのは嫌だと言って暗殺者を使い、レティシアを拉致監禁したのである。それを偶然救い出したのがノアたちで、その後フェリクスの企みも全て白日のもとに暴かれることとなった。
彼の悪事が国民に公にされることは無かったが、結果的に自国に損害を与えた王子が身内からどんな目で見られているかは、想像に難くない。
「完全に逆恨みだけど、恨まれていても不思議じゃないね」
「ミエールお姉様に確認したところ、何度か関係修復の打診があったそうです。けれどお姉様もお父様も取り合わず、受け流していると」
あれだけのことをしておいて図々しいと思う一方で、エヴァンはレティシアの本来の姿を目にした時のフェリクスの様子を思い出した。見目麗しいその姿に態度は一転し、レティシアの足元に這いつくばってやり直したいと縋っていた。
「ティア様の周辺を調べて、ノアが関係修復の障害だと判断したのかな……」
「もしもノア様が苦しまれているのが私のせいなら、私は……っ」
握り締めたノアの手に、レティシアの涙がぽたりと落ちた。
「わだぐじは……っ! 本来いるべき場所に、帰っだほうが良い゛――」
「ノアに鼻水がついちゃうよー」
エヴァンは苦笑しながら、顔をくちゃくちゃにして涙と鼻水と涎を垂れ流すレティシアの顔をタオルでそっと拭った。
「たとえ本当にフェリクス王子の仕業だとしても、ティア様のせいじゃないよ。一ミリもね。それにティア様がいるべき場所は、ティア様がいたい場所であるべきだ」
(……とは言え――)
エヴァンは白みがかってきた窓の外へ、思いを巡らせる。
黒幕がフェリクスだとしても、彼の息がかかった者が近くにいるはず。ノアの血を盗み、呪薬を調合し、シュークリームに仕込んだ誰かが。
ファーガスの言葉を信じるならば、デュマは違う。ルルはポポロも違うだろうと言っていたが――犯人を突き止めたい。しかしそれよりも先に、破裂しそうなノアの魔力をどうにかしなければならない。
「エヴァン様?」
窓の外を向いたまま物思いに沈むエヴァンに、レティシアが不思議そうに声を掛けた。
「ティア様。護衛は付けてる?」
「はい。念のためこのお部屋の前と学生寮周辺を警護していただき、関係者以外の立ち入りを制限させていただきました」
「僕はルルの部屋へ行って、今の話を共有してくるよ。その後は大学に行って調べ物をする。ノアのこと、頼んだよ」
「エヴァン様もどうかお気をつけください。ルル様にも、よろしくお伝えくださいませ」
エヴァンを見送り、部屋に静寂が戻った。レティシアはノアの手を握ったまま、その寝顔をじっと見つめている。
エヴァンはああ言ってくれたけれど、やはり自分は城に戻るべきなのかもしれないと、レティシアは思う。元の通りに、フェリクスのところへ嫁いだって構わない。父や姉の手を煩わせていることも申し訳なかったが、ノアたちに危険が及ぶことが、何よりも耐え難いのだ。
「私は、王女ですから……」
国のため、国民のため――そう振る舞うことに、抵抗などなかった。少し前までは。
再び込み上げてきた涙でノアを濡らさないよう、レティシアは顔をぐっと上げて天井を見つめた。目だけをゆっくりと動かして、何か別の事を考えようと室内を見渡す。
改めて見てみると、ノアの部屋はとても丁寧に整頓されていた。掃除も行き届いているし、額に入れられた『ジュリアン・バレンタイン』のサインにも塵一つ付いていない。とりわけ本棚は本の大きさごとにきちんと揃えられていて、眺めているだけで気持ちが落ち着く。
レティシアはそっとノアの手を放し、棚に並んだ背表紙を目で追った。昆虫図鑑に人体力学、偉人の伝記から料理本まで、見事にジャンルはばらばらである。
「世界の童話全集……」
幼い頃、これと同じ本を読んだことがある。懐かしさと、ノアと同じものを共有していたという嬉しさがふわりと胸に広がって、背表紙に指をかけてみた。
その手が、ピタリと止まる。
童話全集のすぐ隣に、もう一冊、見覚えのある背表紙があった。今もレティシアの部屋の本棚に、教科書や参考書の間にひっそりと忍ばせてある、あの本だ。
「『禁断の恋』……」
妹ルチアから渡された、文字を追うだけで頬が熱くなるような恋愛小説である。一度だけ、レティシアはノアの前でこれを読んでいたことがあった。
「な……なぜこの本がノア様のお部屋に……!?」
中を開いて確かめてみたが、間違いない。同じ本だ。
ノアもこの本が好きなのだろうか。でもあの時、レティシアが読んでいるのをチラリと見て、興味なさそうな顔をしていたはずなのに。
「ノア様……」
訊きたい。どうしてこの本がここにあるのか。以前からあったのか。誰かから贈られただけなのか。ただの偶然なのか。
「ノア様、起きてください……起きて、きちんと説明してくださらないと、私――」
レティシアはノアの耳元で囁く。震える、小さな声で。
「自惚れてしまいそうです……」




