12.ハンテン
⭐︎
翌日。ルルは途方に暮れていた。大学図書館の膨大な書物の山を前にして、一体どこから取り掛かれば良いのだろうかと立ち尽くしている。
「毒薬だったら薬関連……? 本人の血を使うなら、やっぱり呪薬よねぇ。でもそれももう、エヴァンが調べたはずだし……」
そもそもルルは、難関アスティリア大学に通っていながら、さほど勉強が得意なわけではない。合格できたのは実技試験の成績が飛び抜けて良かったからであって、筆記試験はボーダーラインギリギリであった。
「甲殻類……甲殻類ねぇ……?」
適当に海洋生物の図鑑を手に取り、パラパラと捲ってみる。エビやカニのページを眺めてみたが、いたずらにお腹が空いただけであった。
「ルルさん」
囁き声で呼ばれ、振り返る。そこに立っていたのは、シオンだった。
「シオン。今日も可愛いワンピースね」
「ありがとうございます。これ、お気に入りなんです」
パニエでボリュームを出したスカートは淡いブルーで、真っ白なフリルとリボンが清楚で上品なアクセントとなっている。シオンは嬉しそうに微笑んだ後、眉尻を下げて尋ねた。
「ノアさんの具合はどうですか?」
「良くはないわね」
「そうですか……」
ルルはふと、シオンが両手に抱えている書物に目を向けた。薬草、動物用の医薬品、微生物が作る物質。それらの中に、呪薬や毒薬の書物も混ざっている。
「農学部って、そんな勉強もするの?」
「あ、これは……その……少しでもノアさんのお役に立てないかと思って……」
シオンは気まずそうに笑った。
「ルルさんたちがついているのに、余計なお世話ですよね。ごめんなさい」
「ううん、全然そんなことない! 正直、私たちも行き詰まってたから、助けて貰えると嬉しいわ!」
シオンの書物を半分受け取って自習スペースに向かいながら、ルルはふと不思議に思った。
「シオンが調べようとしてたのって、ノアの体調不良の原因よね? なんで病気じゃなくて、毒薬かもしれないって思ったの?」
「だってノアさん、風邪とかひかなそうですし。何か良くないものを口にしたのかなって思って」
「普段は腐ったもの食べてもお腹壊さないくらい頑丈なんだけどね」
並んで椅子に座りながら、ルルは声を潜めて言う。
「ここだけの話、私はポポロ教授が怪しいと思うの」
「ポポロ教授って……ピンクの髪の、魔法生物学の教授ですか?」
「そう。だってノア、あの人から貰ったシュークリームを食べた後に倒れたのよ」
シオンは驚いたように目を見開いた。
「シオン? どうかした?」
「あ、いえ……ちょっとビックリしただけです。えぇと……それじゃあノアさんは、やっぱり薬か何かを盛られたっていうことですね?」
「多分ね。その薬には、ノア自身の血液と甲殻類が使われているみたいなのよ」
「甲殻類、ですか?」
シオンは少しだけ首を傾げてみせた。本を捲りながら、ルルも同じように首を捻る。
「ノア、甲殻類アレルギーなのよ。でもエビやカニを使う毒薬なんてあると思う?」
「中にはテトロドトキシンやサキシトキシンなんかの毒を持つカニもいますけど……」
ノアの症状からすると、単純な毒とは考えにくい。
二人は黙々と書物に目を通していった。眠り続ける薬や悪夢を見せる呪薬など、症状に近いものはあるが、どれもしっくりこない。
「ノアさんが眠り続けるのも悪夢を見るのも、ノアさん自身の能力ですもんね。自分の魔力を体内で暴発させる薬なんて、見当たりませんね……」
「そもそも材料に、エビカニが見当たらないのよね……」
ルルは大きく伸びをして、窓の外へ視線を向けた。いつの間にか外は薄らと暗くなっていて、閉館時間が迫ってきている。
「そう言えば――ノアとの買い物って何だったの? シオンが適任だとか言ってたけど、前に話してたイナゴの佃煮とか?」
「あぁ、それはイナゴではなくて……うん? イナゴ?」
口を開きかけたシオンの動きがぴたりと止まった。そして突然、ルルが見ていた漢方の書物を引き寄せ、ページを捲り始める。
「ルルさん、甲殻類! 甲殻類です!」
「ん? な、何?」
「甲殻類アレルギーの人が反応を起こすのは、エビカニだけじゃありませんよ!」
シオンは立ち上がり、書架から別の書物を取ると小走りで戻ってきた。
「ダンゴムシも甲殻類ですし、イナゴやコオロギ、ゴキブリなんかにも反応する可能性があるんです!」
「ゴキ……」
ルルは青い顔で、シオンが開いた昆虫図鑑をチラ見する。ページには、細部まで丁寧に再現された昆虫のイラストが並んでいた。
「確かコオロギの仲間に、薬や漢方に使われる種類がいたはずです。えっと……あ、これです!」
「ハンテンコオロギ……?」
シオンが指差したのは、通常のコオロギよりも一回り小さく、胴に白い斑点模様のあるものだった。
「ハンテンコオロギという名前は、体に『斑点』があることと、効果を『反転』させることに由来するんです」
「効果を反転?」
一瞬意味がわからなかったルルだが、すぐにシオンの意図を理解すると大きな口を開けていくつかの書物に視線を落とした。
「『鬱熱を放散させる』『魔力の巡りを良くする』……このあたりの薬を掛け合わせて『反転』させたら……」
「熱は籠るし、魔力は停滞します!」
手を取り合い歓声を上げる二人。そこへひとつの影が、音もなく近づいてきた。
「なるほどねー。ハンテンコオロギとは、いいところに目をつけたね」
「ポ……ポポロ教授……!?」
突然背後から降って湧いた声に、ルルは咄嗟に身構えた。ポポロは興味深そうに、テーブルの上に開かれたままの書物へと視線を落とす。
「……何か御用ですか?」
「ノア君の様子は相変わらず?」
「はい……まぁ」
露骨に警戒を強めるルルに、ポポロは肩をすくめて笑った。
「あたしがノア君に何かしたって思ってるんでしょ。確かに疑われても仕方ないとは思うけど、貴重な研究対象に危害を加えたりしないわよ。投薬実験をするにしても、あたしならまずは魔物で入念に試すわ」
そう言ってからポポロは、ルルの隣に立つシオンに目を向けた。
「ハンテンコオロギに気付いたのは君? 魔法学部では見ない子だね」
「はい。私は農学部なので」
「……うん? でも、どっかで会ったことがあるような……?」
眉を顰め、ポポロはじっとシオンの顔を覗き込んだ。しかしどうにも思い当たらず、まぁいいや、と小さく呟いて再び書物に目を戻す。
「――このあたりの薬を調合してハンテンコオロギを使えば、確かにノア君の症状を引き起こす呪薬が作れるだろうね。普通の人ならとっくに死んでるだろうに……やっぱりノア君て、興味深いわぁ」
「それなら、ハンテンコオロギを使わない薬を作れば、ノアさんの症状は改善されますか?」
「それは無理だね」
希望が見えたのも束の間、ポポロはシオンの言葉をあっさりと一蹴した。ルルは手元の書物のページを捲りながら、教授の言葉を補足する。
「これはノアの血をベースに調合された呪薬。呪薬には、解呪薬でしか対抗できないのよ」
「解呪薬……ですか」
「さすがデュマ教授お気に入りのルルちゃん。大正解!」
「気に入られた覚えはないんだけど」
ルルは呪薬に使われたであろう材料を、素早くメモしていく。
「これらを元素レベルまで分解して、計算式と呪術式に当て嵌めていくと、解呪薬に必要な材料が割り出せるはずよ。あとはデュマ教授がノアの血液の解析をしてるはずだから、そのデータを元に分量を測って調合していくの」
「私には何がなんだか……」
「ちょっと待って! デュマ教授がノア君の血液を解析してるってどういうこと!? 私には触らせてもくれないのに、ズルくない!?」
ポポロは爪を噛み、足をバタバタと踏み鳴らして抗議した。
「あの古狸、どんな手を使ったの!? 単位チラつかせたとか? あたしもそこに混ぜてくれたら、卒業までの単位あげちゃうよ!」
「……なるほど」
ルルは書物を片付けながら呟いた。隣でそれを聞いたシオンが小首を傾げる。
「何がですか?」
「ううん、なんでもない。さぁ、もう閉館の時間だから出ましょう」
ポポロは犯人ではない――ルルはそう思った。もし彼女が犯人だとしたら、既にノアの血液は手に入れているはず。その上でこの演技ができたのだとすれば、主演女優になれるだろう。




