11.診察
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「よくもまぁ、この短期間に何度も呼びつけてくれたな」
ノアの部屋に到着したファーガスは、羽織を脱ぐ間もなくそう言い放った。リュネからここアストリアム・シティまでは馬車で一日。さほど遠い距離ではないが、何度も往復するとなると話は別だ。
しかしエヴァンからノアの現状を聞かされると、文句はひとまず飲み込み、過去のカルテに目を通し始めた。
「こっちでも色々と調べてはみたけど、いまいち原因がわからなくて。エヴァパパ、何かわかりそう?」
「魔族は専門外だと言ったはずだ」
尋ねたルルの方を見ることもなく言い捨てたものの、ファーガスの顔は既に医師のそれになっていた。ソファで眠るノアに歩み寄り、ペンライトで瞳孔を確かめる。
「倒れてから三日、飲まず食わずで眠り続けているのか」
「毎日十五分間だけ、目を覚まされます。その間にお食事を摂られますが、それ以外はどれだけ呼びかけても……」
レティシアが力無く答えた。
眠っている間は必ず悪夢を見ているのだと、ノアは目を覚ます度に言った。
頼りない流木一本にしがみ付き大海原を漂う夢、幽霊屋敷に閉じ込められる夢、命綱も着けずに高所で綱渡りをする夢――ほとんど途切れることなく悪夢を見続けているノアは、少しずつ憔悴していくように見えた。
「普段の生活と逆転しているわけか。飲み食いできているなら、一先ず点滴の必要はないな」
ファーガスは聴診器をノアの胸に当てる。熱と血圧を測ると、いずれも彼の平均よりも高い数値が出た。心拍も早い。
「倒れた日、身体中に湿疹が出ていたんだ。でも翌日には消えた」
エヴァンがノアの服を捲って見せる。あの日の湿疹は、綺麗に消え失せていた。
「……蕁麻疹か」
ファーガスはもう一度カルテに目を通した。大半は定期検診の記録だが、中には魚の骨が喉に刺さった時や、野犬に脚を噛まれた時の受診記録も混じっている。そして蕁麻疹で受診した時の記録も。
「倒れる前に何か口にしたか?」
「イチゴのシュークリームを召し上がっていました。ポポロ教授からいただいたものですわ。その直後の授業中に倒れられたはずです」
首を傾げるルルとエヴァンをよそに、レティシアが即答した。
「ならばそのシュークリームに何かが混入されていた可能性が高いな。ノアは甲殻類アレルギーだ。ただしエビフライ一本くらいなら食べても平気なくらいの軽いものだから、倒れたのはアレルギーのせいではないだろうが」
「そう言えば、なんか昔そんなこと言ってたような気もするわね」
「シュークリームに何かが混入されていたのだとすれば、一番怪しいのはそれを持ってきたポポロ教授だけど……そんな真っ先に疑われるようなことするかな?」
「普通の人間ならば、魔力が体内で暴発すれば死ぬと言ったな。それならば犯人は、こいつを殺すつもりで毒を盛ったのだろう。その毒に、甲殻類由来の成分が混じっていたのだろうな」
ファーガスは採血の準備をしながら、事もなげに言ってのけた。
「殺すって……誰がこんなただの虫オタクに殺意を抱くのよ?」
「さてな。魔王が村長になるような世の中だ。魔族の血が混じっているというだけで気に入らない人間もいるだろうさ」
「ノアパパがリュネの村長になるって話、可決したのね」
ルルの言葉には答えず、ファーガスは憎々しげな表情でノアの腕に針を刺した。いつもの採血なら一悶着あるものだが、こんなにもあっさりと終えてしまい、どこか拍子抜けする。
「ノアを恨んでいる人物、ねぇ……」
「思い浮かばないんだよなぁ」
ルルとエヴァンは、過去にノアと関わった人物の顔を思い浮かべていく。多少のトラブルや行き違いはあっても、殺意にまで至りそうな人間はどうしても思い当たらない。
「やっぱりポポロ教授じゃない? 殺意はなくても、何かの実験のつもりで薬を盛ったとか――」
「……ルル様、エヴァン様」
ルルの言葉を遮り、レティシアが静かに立ち上がった。
「少し出掛けて参ります。お手数ですが、外で控えているうちの者に、明日中には戻ると伝えていただけますか」
「ティア様? どこへ行くの?」
レティシアは何かを思い詰めたような顔で窓を開いた。そして一度だけノアを振り返ると、目を閉じて魔法式を唱える。
(ノア様がこんなことになったのは、私のせいかもしれない……)
次の瞬間――レティシアは桃色の羽毛を纏うハヤブサへと姿を変えた。
「ティア様!?」
ルルの声と同時に、レティシアは窓から大空へと飛び立っていった。
「……存外、行動力のある王女だな」
感心したように呟いてから、ファーガスは荷物を纏め始める。
「父さんはどこへ行くつもり?」
「血液検査だ」
「どこで?」
「……」
問い詰めるようなエヴァンの視線に、ファーガスは渋い顔でため息をつく。やがて鞄から書類を一枚取り出した。
「ノアの血液検査を外部に委託することへの、両親の同意書だ。私が適任だと判断した人物に依頼する」
エヴァンとルルが書類に目を通すと、やけに達筆な『覚醒の魔王』と、丸文字で可愛らしいリリアナのサインが並んで記されていた。
「その適任者って――デュマ教授?」
「……そうだ」
エヴァンは口を閉ざし、言葉の続きを待つ。しかしファーガスは書類を鞄に入れ直すと、そのまま部屋のドアまで歩き出した。
エヴァンは失望の混じった息を吐き、軽く頭を振る。一体いつから、こんなにも父親と会話ができなくなってしまったのだろうか。
その落胆したため息がファーガスの耳に届き、足が止まった。
「――デュマ教授は」
ドアノブに手をかけたまま、ファーガスが小さく口を開く。
「元々は医師会でも名の知れた医師で、血液に関しては専門家と言っていい、第一人者だ」
エヴァンとルルは目を瞬かせた。
「……デュマ教授が? 医師?」
「確かに呪術ってやたらと血を使うし……デュマ教授の講義って、血液の話がほとんどよね」
「呪術と血は切っても切り離せぬ密接な関係を持つ。だからデュマ教授は医療の現場を退き、研究者の道を選んで呪術へと辿り着いたのだと仰っていた」
またデュマは人間のみならず、動物や魔物の血液も研究しているのだと、ファーガスは言った。
「だからノアの血液検査を依頼するって? 採血の血を盗んだかもしれない相手に?」
「元医師としての尊厳を持った方だ。そんな真似をするとは思えん」
ファーガスは正面からエヴァンを見据える。
「なぜそんなにも教授を疑う?」
「父さんがコソコソ教授と密会していたからだよ」
「それは……っ」
言葉に詰まるファーガスに、エヴァンは再びため息をついた。
「言えないような話をしていたってことだろ?」
ファーガスは強く拳を握り締める。
こんなはずではなかった――こんな大事になっていなければ、適当にあしらうつもりだった。あらぬ疑いを持たれても、それでいいと思っていた。しかしこうなってしまった以上、きちんと話さなければエヴァンたちは納得しないだろう。
観念したかのように、ファーガスは重い口を開いた。
「教授にアポを取ったのは……資料をお借りする為だ」
「資料?」
「……魔物の、血液について」
エヴァンとルルは思わず顔を見合わせた。人間の医師であるファーガスに、魔物の血という発想がどうにも結びつかない。
「なんでそんなもの……?」
「カフェで資料をお借りしてその説明を受けただけで、断じてノアの個人情報などは漏らしていない。教授も求めなかったし、むしろ私と話すことで他の教授や学生たちが邪推するのではと、教授自身が気にしていたくらいだ」
尋ねたルルとは目も合わさず、ファーガスは早口で捲し立てる。
「……父さん?」
「魔物の血液に詳しい人物を探すだけでも骨が折れた。その上信頼のおける人となると、医師としての功績も持つデュマ教授しかいなかったんだ」
「父さん」
「魔物の血液というのは、やはり人間のものとは成分が違う。教授によれば魔物と魔族もまた違うらしいが、いかんせん魔族の血液を手に入れるのは至難の業で、教授もまだ未知の領域だと仰っていた。そういう意味ではノアや『覚醒の魔王』の血を研究したいであろうが、本人の同意なしには手を出さないと――」
「父さん!」
エヴァンは大きな声を上げ、ファーガスの言葉を遮った。ファーガスは口を閉ざし、静かに眼鏡の位置を直す。
「つまり――ノアのため?」
「ば……っ! 馬鹿なことを言うな! 自分のためだ!」
珍しく声を荒げ、ファーガスは続ける。
「毎年意味のわからない血液の検査をするのは、もうたくさんなんだ! 血液を調べ、体の状態や病気の有無を確認するのが医者というものだろう!」
「つまりノアの血液をちゃんと理解して、ノアの健康を管理したかったってことだよね?」
「……っっ! 自分のためだと言っただろう! 美談にするな!」
「事前に言ってくれたら良かったのに……」
「言えばそうやってニヤニヤした顔で私を見るだろうが……っ!」
顔を真っ赤にしたファーガスは鞄を握り直し、ドアを開ける。
「とにかく! お前たちは解毒剤の作り方でも調べていろ! おそらく犯人は、私から血液を盗んだのと同じ人物。毒薬にはその時の血液と、甲殻類由来の成分が使用されている可能性がある! 以上だ!」
そう言い残すと、ファーガスは乱暴にドアを閉めて部屋を出て行った。閉じられたドアを、ルルとエヴァンはぽかんとした顔で見つめる。
やがてルルが、肩をぷるぷると震わせた。
「ヤバイ……っ! 今のエヴァパパの顔、めちゃくちゃウケるんだけど……!」
「あの父さんが、ノアのために……」
そう呟いたエヴァンも、堪えきれず吹き出した。そしてお腹を抱えて、声を出して笑う。
「あー、なんだか久しぶりに笑ったわー」
しばらく二人で笑った後、ルルは目尻の涙を拭いながら息を整えた。
「あんたたち、一度ゆっくりと話し合うべきね」
「うん……そうだね」
エヴァンは小さく笑って、未だ目覚める様子のないノアを見下ろした。




