07.異変
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「あ、いたいた! ノア君!」
二日後の昼休み。昼寝を終えたばかりのノアの元へ、白衣のピンク髪が大きく手を振りながらやって来た。魔法生物学部教授、ポポロである。
「はい、ノア君。今日はハニールの新作、イチゴのシュークリームだよ!」
紙袋をノアの手に乗せる。ノアは半眼でその紙袋とポポロを交互に見た。
「……懲りない奴だな」
「懲りないし、諦めるつもりもないよ」
満面の笑みを浮かべるポポロとノアの間に、ルルがため息混じりに割り込んだ。
「ポポロ教授。ノアを研究対象にするのをやめてください、って言ったはずですけど?」
「『正式な許可なく騙して調べる』のがダメなんだよね? 彼の意思で協力してくれるなら問題ないでしょ? だからこうして毎日お願いしてるわけよ」
ルルはノアを振り返った。
「どのくらい餌付けされたの?」
「人を野生動物のように言うな。研究の協力などしていない。……が、毎日おやつをくれるから、それは食ってる」
なぜか胸を張って言い放ち、今し方受け取ったばかりのシュークリームを躊躇いなく頬張るノア。
「昨日のマドレーヌも美味かったが、やはりハニールの菓子は格別だな。しかし連日甘い物を食っているせいか、最近腹の調子が悪い」
「まぁまぁ! それじゃあ明日はしょっぱいお菓子を買ってくるから、ノア君の髪の毛二、三本ちょうだい?」
「いいだろう」
「しっかり餌付けされてるじゃないのよ!」
こだわりなく髪の毛をむしり取ってポポロに渡そうとしたノアの手を、ルルが思い切り払いのけた。
「ノア様。おやつでしたら、私がいくらでもご用意いたしますのに……」
「おやつの時間に用意されたおやつを食べるのではなく、教授からこっそりと貰うという背徳感が、より一層美味しさを引き立てているんだ」
「訳のわかんないこと言ってるんじゃないの! とにかく――」
ルルはポポロを鋭く睨みつける。
「学業以外でノアに近づくのやめてください! 餌付け禁止!」
「はいはい。王女様の不興を買う前に退散しまーす。じゃあまたね、ノア君!」
ひらひらと手を振って去っていくポポロを見送りながら、ノアは口の周りについたクリームを拭った。
「俺も次の授業に行ってくる」
魔法学部魔法剣学科。それがノアの在籍する学科である。
魔法剣とはその名の通り、自身が持つ魔力を剣として顕現させる術で、実技や演習は主に広いグラウンドで行われる。
「この一年で皆に修得してもらう技術は『遠隔』だ」
ノアを含む十数名の学生の前で朗々と説明をするのは、魔法剣学教授のクラウゼン。褐色の肌の、爽やかな印象の三十代の男である。
クラウゼンは学生たちを見渡しながら続けた。
「これまでは自身の手の中に魔力を集中させ剣を作り出していたが、『遠隔』は何もない空間に顕現させる。要領は手の時と同じだが、そのままでは顕現させた剣は地面に落ちる。まずは空中で静止させること。その後、自在に操る術を学んでいく」
「――おい、ノア」
ほとんどクラウゼンの話を聞き流し、ぼんやりとグラウンドを横切る蝶を目で追っていたノアは、突然両隣の男たちに肩を叩かれた。
「お前、昨日街でめちゃくちゃ可愛い子とデートしてただろ。あれ誰?」
「てか、王女と付き合ってんだろ? 王女は許してくれたのか? それとも内緒?」
一人はノアと同じくらいの歳。もう一人は一回り以上年上に見えるが、この大学は何浪もして入学する者もいる為珍しいことではない。
「いきなりあれこれと質問をする前に、まず名を名乗れ。失礼な奴らだな」
「二年間同じ学科にいるのに、なんで俺の名前知らないんだよ!」
思わず上がった大声に、クラウゼンが鋭く視線を向ける。男は慌てて笑って誤魔化した。
「俺はアーロン。こっちは今年度の留学生ナダルだよ。いい加減覚えろよ」
「興味が湧いたら覚える。期待せずに待っていろ」
「覚える気ゼロじゃねぇか……」
がっくりと肩を落とすアーロンと、苦笑いを浮かべるナダル。
「昨日は農学部のシオンと買い物へ行った。それとレティシアとは付き合っていないし、俺が誰とどこへ行こうとあいつの許可はいらない」
言いながら、ノアの胸をふと奇妙な感覚が過った。痛みとも言えない、ほんの一瞬の引っかかり。わずかに眉を寄せ、無意識に胸へ手を当てる。
「王女に毎日膝枕してもらってイチャついてるくせに、付き合ってないのか? なんだよそれ」
「そういう関係だ。文句があるなら――」
「ノア!」
クラウゼンの声がノアの言葉を断ち切った。
「前に出て、『暗黒無限剣(爆笑)』を見せてみろ」
「勝手に(爆笑)をつけるな。あくまでも(仮)だ」
ジト目でクラウゼンを一瞥しながら、ノアはのそりと隣へ歩み出た。
「エヴァンから聞いている。『遠隔』を使って剣を無数に顕現させ、的確にターゲットを狙う技だそうだな」
ノアは不敵な笑みを口元に浮かべた。
「そうだ。……だが、この技には致命的な弱点がある」
「なんだ。大量の魔力を消費するから、長時間持続できないか?」
「いいや」
ゆっくりと首を振り、ノアは真っ直ぐにクラウゼンを見る。
「やり方を覚えていない」
「……ん?」
「あの技が出るのは、大体俺が極限状態の時だ。つまり頭で考えていない。今ここでやれと言われても、出せないということだ」
「……」
クラウゼンは腕を組み、空を見上げた。高いところでトビが鳴きながら、大きく弧を描いている。
「お前は本当に、大物なのか小物なのか判断がつかない奴だな……」
「褒めるなら大きな声で褒めろ」
「褒めてない。……取り敢えず『遠隔』からやってみよう。全員、自分より一メートル離れた場所に剣を出してみろ」
その声を合図に、学生たちはばらばらと間隔をあけて散らばった。
すぐに成功させる者、何も顕現できない者、魔力が千切れたように不恰好な剣を作り上げる者と、様々である。
「ノアもやってみろ。できるだけ暗黒無限剣(厨)を思い出せ」
「(厨)はやめろ。不快だ」
クラウゼンに促され、ノアは右手を前に翳した。体の中に渦巻く魔力を意識して、それを一点へ絞り込むイメージを描く。
そして――
ノアの胸に、これまで感じたことのない痛みが走った。
突然ナイフを突き立てられたような、鋭く、深い痛み。それはすぐに引いたが、今度は息もできないほど激しく心臓が鳴り出した。
「どうした、ノア?」
胸を押さえ、地面に膝をついたノアの肩に、クラウゼンが手を置いた。その手が、やけに熱い。
「おい、大丈夫か!?」
苦痛に顔を歪ませるノアから、返答はない。
クラウゼンは一瞬、ノアが魔力の出力に失敗したのかと疑った。魔力を放出させる魔法剣にしろ、魔力を別の力へ変換させる魔法にしろ、やり方を誤った時の代償は時に術者の命を奪う。だがそのどちらの場合も、ダメージは脳へと向かうはずだ。胸を押さえるノアを見て、失敗ではないと悟った。
「――どうされましたか、クラウゼン教授」
「デュマ教授……!」
グラウンドの外から、黄色い蝶ネクタイが目を引く男がゆったりとした足取りでやって来た。
デュマはクラウゼンの足元に蹲るノアを一目見て、何事かとざわめく学生たちを静かに振り返る。
「彼を医務室へ。クラウゼン教授は移動しながら、何が起きたか説明を」
「は、はい! アーロン、ナダル! ノアを運んでやれ!」




