04.シオン
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大学の中庭を、エヴァンは首を巡らせながら歩いていた。
冬の寒さが和らぎ、日差しには温もりが戻り始めていて、ベンチで昼食を広げる学生たちの姿がぽつぽつと見られる。エヴァンはそんな人々の間に、目当ての人物の姿を探していた。
「エヴァン。誰か探してるの?」
蕾がほころびかけた桜の木の下で、レティシアと肩を並べておしゃべりに興じていたルルが、エヴァンに気づいて声をかけた。
「ノアは一緒じゃないの? ティア様と昼寝でもしているかと思っていたんだけど」
「ご予定があるとのことで、お昼寝は午後の講義のあとになさるとおっしゃっていましたよ」
「ノアに何か用事?」
ルルが尋ねると、エヴァンは眉根を寄せて頭を掻いた。
「うん……ちょっと問題があって」
言いながら視線を投げた先に、ノアを見つけた。彼は柄の先に槍の穂先を仕込んだ純金製の虫取り網を手に、中庭の植え込みを覗き込んでいる。その隣に、誰かいた。フリルとリボンをふんだんにあしらったワンピースに身を包んだ、エヴァンたちの見知らぬ人物だ。
「……誰だろ?」
ルルとエヴァン、そしてレティシアは揃って首を傾げた。
シルバーブロンドをピンクのリボンでツインテールに結んだその人物は、愛らしい笑顔でノアを見上げている。ノアもまた、柔らかな笑顔を浮かべて言葉を交わしていた。
「あれはモンシロチョウだろ」
「ふふっ。ノアさん、あれもモンシロチョウじゃないですよ?」
「……ツマキチョウか?」
「モンキチョウです。メスだと、モンシロチョウに似た色の個体もいるんですよ」
ノアは虫取り網を振るい、花壇の周りを舞う白い蝶を捕らえた。顔を近づけて、じっくりと観察する。
「確かにモンキチョウだな。……お前、一目でよく見分けがついたな」
「虫のことなら、ノアさんには負けませんよ」
その人物はふわりと微笑むと、網の中から蝶をそっと取り出した。チューリップの側で手を開くと、蝶はひらひらと舞い上がっていく。
そんな楽しそうな二人の様子を、ルルは口を半開きにして眺めていた。
「……浮気現場……?」
「飛躍しすぎだよ。そもそもノアとティア様、付き合ってないし」
そう言いつつも、エヴァンは横目でレティシアの様子を確認する。レティシアは笑顔だった。いつもと変わらない、柔らかな微笑み。ただその視線が、ノアとシオンの間をゆっくりと行き来している。
「そう言えば、第二講義棟の裏に蜂の巣があるのは知っているか?」
「アシナガバチですか?」
「すごく大きな――」
「ノア」
途中まで言いかけたノアの言葉が、エヴァンの声に遮られた。振り返ったノアに、エヴァンは笑顔で近づいていく。その後をルルとレティシアもついて行った。
「ノアの新しい友達?」
「あ……はじめまして。農学部一年のシオンです」
小さく微笑み、エヴァンに向かって頭を下げるシオン。服装はやや周囲から浮いてはいるが、近くで見ると可愛らしい顔立ちの子だ、とエヴァンは思った。
「どうも。僕は――」
「皆さんこの大学では有名なので、知っています。エヴァンさんに、ルルさん。それから……レティシア王女様、ですよね?」
順番に視線を向けるシオンだが、レティシアと目が合うとすっと下を向いた。しかしすぐに顔を上げ、ノアを見上げる。
「ごめんなさい、ノアさん。無理を言って虫取りに付き合っていただいて」
「お前はしっかりとした虫の知識があるから、俺も楽しかった」
大きな手が、シオンの頭に乗せられた。その一瞬、レティシアの微笑みがほんの僅かに凍りつく。
「またな」
「はい!」
シオンは嬉しそうに笑う。それからエヴァンたちに一礼して、踵を返した。
「ノア。いつの間にあんな可愛い子と知り合ったのよ?」
シオンの姿が完全に見えなくなってから、ルルが尋ねる。
「シオンのことか。一週間くらい前に声を掛けられたんだ。以前から、虫取りをしている俺のことが気になっていたらしい」
「気になっていたって……」
「だからさっきまで、一緒に虫取りをしていた。誰かと同じテンションで虫について語るのは初めてだったから、楽しかった」
ほくほくと満足そうなノアとは裏腹に、ルルとエヴァンは気まずそうな表情を浮かべて互いに顔を寄せ合った。
「ノアに友達が増えるのは、喜ばしいんだけどね……」
「ティア様、大丈夫かな……」
小声で囁き合う二人をよそに、レティシアはいつもと変わらぬ笑みを湛えたまま口を開く。
「お互いの知識を高め合えるお友達ができて、良かったですわね。ノア様」
「ああ。シオンは農学部で酪農を学んでいるそうだが、虫の授業もあるらしく、俺よりもずっと詳しい。それにシオンは、俺好みのすごくいい匂いがする」
「……まぁ。そうなのですね」
レティシアは笑顔を崩さないまま、視線を花壇へと向けた。手入れされた花壇には色とりどりの花が咲き誇り、その周囲を蝶が数羽、ひらひらと舞っている。さきほどシオンが放したあのモンキチョウもいるかもしれない。
「そう言えばエヴァン様。ノア様に何かご用事があったのでは?」
「え? あ……そうだ、忘れるところだった。ノア、ちょっと一緒に医務室に来て欲しいんだ」
「医務室? なぜだ?」
「ちょっと、ね……」
言葉を濁すエヴァンに首を傾げながらも、ノアは彼の後について歩き出した。その背中を、レティシアは笑顔のまま見送る。
「ルル様もどうぞ、ノア様の方へいらしてください」
傍に残ったルルへ、レティシアは柔らかく促した。
「あー……でも……ティア様、本当に大丈夫?」
「なぜですか?」
「だって、好きな人があんな可愛い女の子と仲良くしてるの、嫌じゃない?」
「……」
レティシアは笑顔を貼り付けたまま、ゆっくりと空を見上げた。そのまま、蚊の鳴くような声で呟く。
「う、羨まじいでずぅぅ……っ!」
涙と鼻水を垂れ流さないよう、精一杯顔を天に向けるレティシアに、ルルは苦笑いを浮かべた。
「ノアだってティア様に他の男に近寄るなって言ってるんだから、ティア様も同じことをノアに言えばいいんじゃない?」
「い、いえ! 正しくは『膝枕をしていいのはノア様だけ』というお約束です。ノア様は私を『唯一無二の枕』としてお側に置いてくださいますが、恋愛対象とか……そういうわけではありませんから……」
「あれだけ独占欲と嫉妬を振り撒いておいて、恋愛対象じゃないとは思えないけど」
けど――と、ルルは思う。長年ノアを見てきたが、彼が『一般的な恋愛』をしている姿はどうしても想像がつかない。
「二人きりの時に、いい雰囲気になったりしないの? 例えば、キスしたりとか」
「キ……ッ!? キ……キ……な、なんて卑猥な……!」
「いや、キスが卑猥とか言う方が卑猥だわ」
顔を真っ赤に沸騰させるレティシアに、ルルは呆れた息を吐く。
一向に進展しない二人にもどかしい気持ちを抱きながらも、それ以上は言葉にするのをやめた。彼らの関係に口出しをすると碌なことにならないと、ルルは前回で学んだのである。
「私はティア様の味方だから応援してるし、いつでも話くらいは聞くからね」
「ありがとうございます、ルル様」
レティシアに笑顔が戻ったその時――エヴァンと共に医務室へ行ったはずのノアが、目の前を全力で駆け抜けて行った。
「ノア様?」
「ルル! ノアを捕まえて!」
後から飛んできたエヴァンの切羽詰まった声に、ルルは躊躇なく捕縛魔法をノアに放つ。光の縄に雁字搦めに囚われたノアは、なす術もなく地面に転がった。
「放せ! 事情も聞かずに捕まえる馬鹿がいるか!」
「事情を聞かなくても、多分エヴァンが正しいと思うもの」
恨みがましくルルを睨みつけるノアを、レティシアが困惑した表情で助け起こす。
「何があったのですか、ノア様?」
「……っ! そうだ、国家権力! 俺を守ってくれ!」
「はい?」
首を傾げたレティシアのところへ、息を切らしたエヴァンがようやく追いついた。ノアは怒りと恐怖の入り混じった瞳で吠える。
「裏切り者! 親友だと思っていたのに、悪魔に魂を売ったのか!」
「僕だって本当はこんなことはしたくないよ……ルル、ティア様。やっぱり君たちの力が必要だから手伝って」
ため息混じりにエヴァンは言う。
「再検査。もう一度採血するよ」




