03.ベアトリクス・ポポロ
(あれ……デュマ教授?)
父を先導するように歩く見知った顔を見つけ、眉をひそめる。それに気づいたルルも視線を辿り、同じ表情を浮かべた。
「エヴァパパって、デュマ教授と知り合いだったの?」
「さぁ? 聞いたことないし、どちらかといえば父さんとは合わなさそうな人だと思うけど……」
「あの、デュマ教授とは?」
首を傾げるレティシアに、エヴァンが答える。
「呪術学の教授だよ。確かルルが講義受けてたよね」
「うん。なんかいかにも、って感じの陰気な教授よ。ノアの『睡魔』にも興味があるみたいで、私も何度か声をかけられたことがあるわ」
「呪術学……ですか」
魔法学部の講義は他の学部の生徒と関わることがほとんどないため、レティシアはどの教授がどんな授業をしているのか全く知らない。藁人形に五寸釘を打つような光景を思い浮かべていると、突然食堂の入り口の方で女の声が上がった。
「あっ、見つけたぁ! ノアくぅぅん!」
ノアはビクリと肩を揺らし、残りのコーンを口の中に押し込んで椅子から立ち上がった。逃げ出すようなその様子に、レティシアは小首を傾げる。
「ノア様? お知り合いでは……?」
「魔法生物学のポポロ教授。ノアのファンよ」
「ファン、ですか?」
ルルは慣れた様子で、声の主へ目を向けた。満面の笑顔でこちらへ駆けてくるのは、ピンクのショートカットの女――ベアトリクス・ポポロ。
彼女はノアの手を引っ掴むと、鼻息荒く詰め寄った。
「ドクターに多めに血ぃ採ってもらった!? 一ミリでいいから、あたしに頂戴!」
「ふざけるな! 俺に余計な血などない!」
ポポロの手を振り払い、鋭く睨みつけて威嚇するノア。しかし彼女は怯まない。
「ケチ! お金なら払うって言ってるじゃない!」
「金などいらん!」
「プリン奢るわよ! パフェでもいいし、ホットケーキでも何でも好きなもの買ってあげる!」
「っ……! い、いらない!」
「ちょっと今、心が揺れたね」
ご馳走様でした、と手を合わせながらエヴァンが静かに呟く。
「あ、そうだ! ルビーモルフォチョウの標本をあげるわ!」
「俺は生きている虫が好きだ」
「じゃあ生きてるのを手に入れたら、血と交換してくれる?」
「それは、密輸をするという意味でしょうか?」
「そりゃあ、そうでもしないと手に入らないじゃな――」
横から投げかけられた声の主の顔を確認して、ポポロがみるみる青ざめていく。
「や……やだぁ、レティシア王女……いらっしゃったんですか……?」
「はい」
ニコリと微笑んだレティシアはこの国の王女であり、今は法を学ぶ法学部の学生でもある。
「以前ノア様に教えていただいたお話によりますと、ルビーモルフォチョウはスピナ国にしか生息しない希少な蝶だったと記憶しております」
「ほう。よく覚えていたな」
「とても美しい赤色の蝶のお写真でしたので、強く印象に残っておりますわ」
ノアに褒められ、レティシアは嬉しそうに微笑む。それから視線をポポロに戻した。
「昆虫とは言え、国外から許可なく生きた生物を持ち込むことは、禁止されているはずですが?」
「冗談ですよ、レティシア様……そんな事するはずないじゃないですか……」
「いや、絶対に本気でしたよね」
キョロキョロと目を泳がせるポポロにツッコむルル。警戒を強めるノアとポポロを、レティシアは困った顔で交互に見た。
「ファーガス様もおっしゃっていましたが……なぜ皆様、ノア様の血液をお求めになるのですか?」
「そりゃあ、貴重だからですよ! 人間と魔族のハーフなんて、滅多にお目にかかれるものじゃない! その能力、体を構成する成分、ウイルスや細菌への耐性……ありとあらゆるものが未知の世界なんです!」
ポポロは熱のこもった拳を突き上げた。
「魔法学部の教員は全員、ノア君に興味津々なんですよ! 研究したい! 調べ尽くしたい!」
「俺はモルモットじゃない! それ以上俺に近づくな!」
燃え滾るポポロの熱量に圧倒され、ノアは一歩後ずさる。
「ちなみにノアは、研究対象になるなら推薦入学させてくれるっていう学長の条件を蹴って、正面から入試を受けて好成績で突破したんだ。だから一切、研究に協力する気はないんだよ」
「そうだ! 脳波を取らせてやったんだから、もう十分だろう!」
「待ちなさい、ノア。あんた、脳波を取らせたの!?」
驚いて目を見開くルルとエヴァンに、ノアは渋い顔でポポロを指差した。
「こいつが姑息な罠を仕掛けたんだ……!」
「ハニールのチーズケーキ食べさせてあげるから、その間だけ頭に帽子を被らせてねって、ちゃんと説明したじゃない」
「脳波を調べる帽子だとは聞いていなかった!」
「聞いてこなかったでしょ」
悪びれる様子もなく言い放つ。エヴァンは一つ息を吐いて、ポポロに笑顔を向けた。
「教授。もうお分かりだと思いますが、ノアは単純なんです。次に正式な許可なく騙して彼を調べようとされたら、国家権力が黙っていませんよ?」
「国家権力って……」
ポポロの視線がレティシアに留まる。ただ静かに微笑んでいるだけの王女は、実のところ何の話だかよくわかっていないのだが、後ろめたさのあるポポロにはその笑みが恐ろしく映った。
「ち、違いますよ!? 別にあたしは、ノア君をどうこうするつもりはありませんからね!? 脳波だって結局、チーズケーキ食べて喜んでる波形しか拾えなかったですし!」
「パティスリー・ハニールのチーズケーキは、ノア様のお好きなものの一つですものね」
「あそこのケーキはどれも美味いが、チーズケーキは格別だ」
ニコリと笑うレティシアに、深く頷くノア。
「あの……じゃあ、ノア君。万が一気が変わったら、必ずあたしに研究させてね!」
そう言い残して、ポポロは逃げるように食堂を出て行った。その後ろ姿を見送りながら、ルルが半眼でノアを睨む。
「まったく……一応あんたは珍しい生き物で、悪用される可能性だってあるのよ。チーズケーキ一つで簡単にデータ取らせるんじゃないわよ」
「まったく……俺は希少で価値のある存在で、悪用される可能性だってあるんだ。だからこそ、お前たちがきっちり俺を守らないとダメだろう」
言葉を真似て言い返すノアの後ろ頭に、ルルの拳が炸裂した。頭を押さえてしゃがみ込んだノアに、エヴァンは苦笑を浮かべる。
「僕たちも気をつけるけど、ノアもちゃんと自衛してね。この件に関してはティア様の抑止力が大きいから、ティア様もよろしく」
実際、レティシアとノアが親密だと大学中に知れ渡ってからというもの、入学以来虎視眈々とノアを狙っていた教授たちのスカウトがピタリと止まったのである。
「ノア様がご不快に感じられることはさせませんので、お任せくださいませ!」




