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インソムニア奇想譚  作者: ままはる
オオクワガタを探していたら攫われた王女を見つけた話
22/97

22.チーズケーキ


⭐︎


 結局、ノアたちは日中一歩も宿の外へ出ることは叶わなかった。それどころか王直々に王女の帰還を報せる会見が行われた為、宿の外には益々野次馬たちが集まって来ている。


「みんな、暇なのかしら」


 カーテンを閉め切った食堂の窓ガラス越しに、相変わらず『勇者万歳』の歓声が聞こえてくる。


 ルルは呆れた声で呟き、上質な肉を一切れ口の中に放り込んだ。歯が無くても蕩けそうなくらい肉は柔らかく、ソースも絶妙な塩梅で肉に絡んでよく合う。こんな贅沢なディナーはこれまで口にしたことが無かったが、昨夜も今朝も昼も、ずっと豪華な料理が出てくる為正直なところ少し飽きてきた。


「そりゃあ、魔物の軍勢を焼き払い、獰猛な竜の翼を折り、地獄の底から蘇った闇の魔王を打ち破った勇者一行となれば、どんな奴らなのか一目見たいと思っちゃうよね」


「何それ?」


 肉をナイフで切り分けながら言ったエヴァンのセリフに、ルルは眉を顰める。


「王様が会見でそう言ったらしいよ? さっき宿の従業員から聞いたんだ」


「あの王様……!」


 発言がエスカレートする癖のある人だと思ってはいたが、まさかそこまでの尾鰭をつけるとは。


「勿体無いけど、別の宿に移動しましょうよ。このまま引きこもっていたら、頭がおかしくなりそうだわ。ねぇ、ノア?」


「確かにここの飯は頭がおかしくなりそうだ。なんだこの見たこともない物体は」


 ノアは不快な顔で、付け合わせの見慣れない野菜をぽいぽいとエヴァンの皿に入れていく。


「これはロマネスコだよ。美味しいよ?」


「俺はルルの母ちゃんが作る、貧相なオムライスみたいなのが食べたいんだ」


「貧相で悪かったわね」


 ここの食事は豪華で美味しい。しかしノアは、呪文のように長い名前の上、見慣れないこの料理たちがどうにも好きにはなれなかった。


「そうだねぇ……これだけ人が集まっていたら暗殺者も近寄り難いかもしれないし、移動するのもアリかもね」


「……ちょっと待ってよ、エヴァン。本当に暗殺者を捕まえるつもりなの?」


 信じられないと、目を見開くルル。


「政治が絡んでいるなら、尚更私たちの出る幕じゃないでしょ? スピナ国の陰謀かもしれないって暴いただけでも、大健闘だと思うわ」


「けど勇者たるもの、王女様の涙を見て見ぬふりするわけにもいかないだろ?」


「エヴァン、あんた……」


 異様にキラキラした眼差しのエヴァンに、ルルはそっと頭を抱えた。


(こいつ、『勇者』って言われ過ぎてその気になってる……!)


「目を覚ましなさい、エヴァン! あんた、子供の頃はノアが捕まえたアブラゼミを見て泣くような、肝の小さい男だったでしょ!」


「違う。あれはクマゼミだ」


「僕は勇者だから、アブラゼミもクマゼミももう怖くないよ!」


「やめて! パーティ内にボケは二人もいらないの! 私のキャパでは捌ききれない!」


 ルルが悲痛な声で訴えた時、キッチンから新たな皿を両手に乗せた給仕の男がやって来た。


「こちらはデザートでございます。ケアリス産のチーズを使ったチーズケーキに、フランボワーズのソースを――」


「あ。ニンジャだ」


 ノアの嬉しそうな声に、一瞬だけ時間が止まった。


 ルルとエヴァンは、ノアの言葉の意味が理解できずにただ瞬きを繰り返し、給仕の男は皿をテーブルに置いた仕草のまま微笑んでいる。ノアだけが、いそいそとポケットから紙とペンを取り出した。


「さぁ、約束通りサインを書け。それはニンポーか? 変身の術というやつだな!」


「な……何を仰っているのですか、勇者様?」


 ノアが紙とペンを向けた相手は――給仕の男。


 ようやく理解が追いついたエヴァンは、ルルに目で合図を送る。ルルは頷くと、運ばれて来たデザートの皿に手を翳して魔法式を唱えた。


 ルルの魔法に呼応して、チーズケーキに添えられたソースが薄暗い光を放つ。


「……毒が入っているわ」


「――何故、俺だとわかった?」


 一歩テーブルから下がった給仕は、大きく舌打ちした。


「声が同じだ。あと、目も」


「ノアは一度興味を持ったものには、異様な執着を持つのよ!」


「なるほど……本当に気持ちの悪い男だ」


 少しずつ、少しずつテーブルから距離を取る暗殺者。


「王女様はもうお城に帰ったわ。私たちを殺そうとする理由は何?」


「理由? そんなものは必要無い」


 ルルの問いに、暗殺者は口元に薄く笑みを浮かべる。


「敢えて挙げるなら……俺は一度殺すと決めた獲物は、決して逃がさない」


「ほらね。やっぱり厨二病患者だった」


 得意気に胸をそらすエヴァン。それから周囲に視線を張り巡らせる。宿の外には大勢の人がいる。キッチンや廊下にも従業員たちがいる。影のように動く暗殺者が、この状況で派手な攻撃魔法を放ってくるとは考えにくい。


「ノア! こいつ、逃げるよ! 捕まえて!」


「っ! 逃がさない!」


 ノアは慌てて立ち上がり、自身の魔力を右手に集中させた。


 空気が震え、闇色の火花がパチンッと音を立てて弾ける。やがて火花は大きな渦となり、ノアの右手へと収束していく。その禍々しい魔力を帯びた右手を天井に掲げると、ノアの頭上に無数の鋭い漆黒の剣が現れた。


「そんな魔法剣の使い方、ありかよ……っ!」


「何なのソレ!? 怖い!」


 暗殺者のみならず、仲間であるはずのルルまでもが声を上げた。エヴァンも、初めて見る力の使い方に唖然としている。


 夥しい数の剣が、一斉に暗殺者に向かって迸った。


 ノアの力の正体は『睡魔』――その為、剣は物理的なダメージを与えることはない。暗殺者を捕らえ損ねて床や壁に突き刺さった剣は、霞となって消え失せる。


 暗殺者は迫り来る剣をなんとか躱し、或いは魔法で相殺させ、キッチンを通って逃げて行った。

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