15.誇れるもの
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中庭に一歩足を踏み出すと、まずは優しい花の香りがノアを出迎えた。丁寧に手入れされた花壇には色とりどりの花が咲き乱れ、花弁の周りをオオムラサキやモンキアゲハなどの様々なチョウが楽しげに舞っている。更に中央には意匠を凝らした噴水があり、水の音が耳に心地良い。
「いかがですか、ノア様?」
花そのものや噴水、綺麗に刈り込まれた植木には興味を示さず、一目散に花の陰や葉っぱの裏の虫を探し始めたノアに、レティシアは笑顔で尋ねた。同行した護衛兵は、そんなノアを異質なものでも見るような目で見ている。
「カマキリが食事をしている」
「まぁ、どこですか?」
「そこ」
レティシアもノアの隣に腰を下ろし、ノアの指差した草の間を覗き込む。鋭い鎌でチョウを捕らえたカマキリが、獲物の羽を蝕んでいるところだった。
「おい、貴様っ! 王女様にそんなものを見せるんじゃない!」
「私は大丈夫ですよ。カマキリが他の虫を捕食する場面をこの目で見るのは初めてです。これは、貴重な体験ですわ」
非難の声を上げる護衛兵に笑顔を向けてから、レティシアは真剣な顔付きでカマキリの捕食を観察する。
「子供の頃、カマキリを繁殖させてみたくて、オスとメスを捕まえてカゴの中で飼ったことがある」
「成功しましたか?」
「次の日、カゴの中のカマキリはメスだけになっていた。メスがオスを食ったんだ。……あれはショックだった」
「まぁ! カマキリは共食いをするのですか? それも、メスがオスを? それでそのメスはどうなりましたか?」
レティシアは興味深そうに相槌を打ち、質問をする。だからノアは、中庭を回りながら目につく虫について、知っている知識を沢山話して聞かせた。
(なんなんだ、この男は……いくら王女様を救い出したとは言え、気持ちの悪い……)
レティシアと共にノアの蘊蓄を聞く羽目になった護衛兵は、げんなりとしている。虫に対して興味も無いし、そんな話は聞きたくも無い。
「王女様。そろそろ部屋の中へお戻りになりませんか」
「もう少しだけ、お願いします」
さりげなくノアから引き離したかったのだが、レティシアの無垢な懇願によってそれはあっさりと失敗した。
「ノア様は虫に関する知識が豊富で、とても勉強になります」
「そうか」
ノアは謙遜はしない。鼻にかけたりもしない。そんなノアが眩しいものであるかのように、レティシアは目を細めて穏やかに微笑んだ。
「私にも、何か得意なものがあれば良かったのですが……これから見つけられるでしょうか」
「変身魔法があるだろ」
「それは……バルドレインの女は全員使えます」
「俺は使えない」
ノアの視線は噴水の近くを飛ぶトンボに向いたまま、事もなげに言ってのける。
「ナナフシやコノハムシ、ハナカマキリは枝や葉っぱ、花などに擬態する。危険から逃れる為だったり、捕食する為だ。何かに変身する能力というのは生きる為であり、カッコイイな」
「カッコイイ……ですか?」
当たり前に習得させられた変身魔法。それに対してレティシアは、どんな感想も抱いたことは無い。
「でも私……ルチアやミエールお姉様のように、色々なものには変身したりは出来ません。あの姿にしかなれないのです」
「生きる為の能力だ。出来る範囲の中で、上手く活用すればいい」
花弁の上にいたテントウムシを指先に乗せるノア。その指をレティシアに向けた。
「お前、虫は好きか?」
「えっと……正直に申し上げますと、ノア様と出会う以前は気にしたこともありませんでした」
「それなら、お前には他人の話を聞く才能もある」
テントウムシが指の先から飛び立っていく。
「俺は興味の無い話は聞きたくない。ルルやエヴァンも、虫の話はあまり聞いてはくれない。けれどお前は、興味の無いはずの俺の話を楽しそうに聞く。だから俺は嬉しいし、もっと話したくなる。それは最早才能で、誇れるものだと思う」
レティシアは呆然とした顔でノアの横顔を見つめた。ゆっくりと、胸の奥から形容しがたい気持ちが込み上げてきて、レティシアは魚のように口をパクパクとさせた。
「ノア様――」
「き……っ! 貴様はさっきから黙って聞いておれば、誰に向かって『お前』などと無礼な口を聞いているのだ!? もう限界だ! 王女様、部屋へお戻りください!」
顔を紅潮させた護衛兵はノアの首根っこを強引に掴み上げ、レティシアを促した。
「あ、あの、ノア様を……」
「レティシア様!」
「はい……」
大人しく中庭を後にするレティシアの後ろを、ノアを引き摺りながら歩く護衛兵。ノアは特に抵抗する様子は無い。それどころか虫を堪能できて、満足そうな顔をしていた。
「楽しかったみたいで、良かったね」
応接室に戻るなり、ノアの表情を見たエヴァンは苦笑した。
「カマキリの捕食シーンが見れた。ミツバチやナナホシテントウもいて――」
「はいはい。今夜もクワガタ探しに行くんでしょ? そろそろ移動するわよ」
ノアのセリフを遮って、ソファから立ち上がるルル。
「王様が自然公園の近くの宿を取ってくださったの。準備もあるし、もう行かなくちゃ」
「滞在は五日間と聞いたので、また改めて礼をしよう。銅像や武勇伝の件も進めなければな」
「あ……はい……」
銅像と武勇伝の件は忘れて欲しいと、心底願うルル。
「城門までお見送りいたします。お宿までは馬車をお使いください」
「あ、私もお見送りを……!」
静かに立ち上がるリュミエールに、慌てて手を挙げるレティシア。
王とは応接室で別れ、王女二人と数名の侍従と護衛兵を引き連れて、ノアたちは長い廊下を歩き始めた。
「……黒幕の件ですが、何か心当たりはありませんか?」
「それはこちらのセリフですよ。僕たち一般市民が、王宮の内情を知るわけがありません」
歩きながら尋ねたリュミエールに、エヴァンが答える。
「ただ、少なくとも僕たちを襲った暗殺者は、レティシア王女が変身魔法で姿を変えていることに気付いていないようでしたよ」
リュミエールはその場でぴたりと足を止めた。
「変身魔法を、知らなかった?」
リュミエールは顎に手を当て、沈黙する。
「ミエールお姉様?」
「……ごめんなさい。参りましょう」
再び歩き出したリュミエールは、深く何かを考えているようだった。




