なにもない遺跡
リルエッタが呪文を唱えると、大きな扉はゆっくりと開きはじめる。
さすがに音はした。傾いているのか、落ちた石でも噛んでいるのか、ゴリゴリと床が削れる音がする。けれど扉は止まる様子も見せず全開になった。
そして、中には―――
「なんだ、ホントになにもないな?」
ラミルンが目を細める。彼女はそんなに目が良くないらしいけれど、そんなふうに見なくても灯りが届く範囲はそんなに広くない。
入り口と同じく正方形の穴だった。馬車二台が余裕ですれ違えるくらいの大きな正方形の穴が、まっすぐ奥へ続いているようだ。
それ以外はなにもない。壁も床も天井も遺跡特有の石壁で補強されているが、特に術式や模様があったりはしない。
「これは……通路か?」
ヒルティースがそう口にする。……まあ、そうだろう。それ以外には見えない。
しかし大きい。ヒリエンカの大通りくらいの道幅だろうけれど、これが崖に空いた穴だとすごく広くて高い気がする。こんなのどうやって掘ったのだろうか。
「思った通りね」
リルエッタだけは、これをもとから予想していたらしい。驚いた様子もなく短杖に魔術の灯りをつけて周囲を見回すと、僕を振り返る。
「とりあえず進んでみましょう。キリ、前をお願いできる? たぶん罠や守護者はいないけれど、一応注意して」
「それはいいけれど……どうしてそんなの分かるの?」
「たぶん、と言っているでしょう? まだ確信ではないわ。でも、進めば分かることよ」
腰に手を当てて薄い胸を張るリルエッタ。確信でないにしても、けっこう自信はありそうな口調だ。
「罠がないのなら、ワタシが前に出ようか? 音の反響がすごいから細かい方向は分かりにくいが、ここならワタシの耳が音を聞き逃すことはない。役立てると思うが」
「……いや、僕が前に出るよ。ラミルンは最後尾お願い」
なにかあったのならともかく、なにもなかったのだから中に進むのは当然。
そして、ここが遺跡ならば、同じ斥候でもラミルンではなく一応経験者の僕が前に出るべきだ。それにラミルンは弓使いだから、元から後衛向きである。そういう意味でもこの陣形が普通のはず。
僕はランタンを手に前に出る。片手が塞がるから槍を両手で扱えなくなるけど、幅の広い場所だからできるだけ視界は確保したい。
「じゃあ、進むけれど……ニグ、ヒルティース、なにか出てきたらよろしくね」
「おう」
「まかせろ」
一番の積極派は二人なのだし、魔物が出たらサッと下がろう。
通路はかなり長かった。最初は罠を警戒してかなりゆっくり進んでいたけれど、それも慣れればだんだんペースも上がってくる。
そしてけっこう進んでもなんの変化もなく、ただただ単調な石の壁が続くとなれば、リルエッタの言うとおり本当にここにはなにもないのではないかと思えてきた。
兎人族の里の奥には険しい山脈が広がっている。あの反り立つ崖はその山脈の山肌だった。
だから今いる場所は、山の下のあたりだろう。……ということは、この山脈に霊脈でも通っているのではないか。
この通路はマナの濃い霊脈の、その中心部に続く道。そこにはヒリエンカの地下のように魔石を造る機構があって、とんでもなく大きな魔石が保管されている―――
と、最初は予想してたんだけど、なんだか違う気がした。それなら罠も守護者もいないのは……少なくとも、いないとリルエッタが予想できるのはおかしい。だってちゃんと守るべき物品があるからだ。
それに、なんだかここは違う。魔力の濃い場所に特有の、肌を圧迫されるような、体温が上昇するような、胸がソワソワするような、そんな感覚がない。ここにはそういう施設はないのではないかと、僕の頼りにならない勘が言っている。
でも……だとしたら、ここはいったいなんなのだろう。なんの意味もなくこんな大がかりな遺跡は造らないと思うのだけれど。
「ヒリエンカは通り道で、砦だったわ」
これだけ進んで予想が確信になったのだろう。それまで靴音が反響するだけだったがらんどうの空間に、リルエッタの声が響く。
「エルムフラーレンの遺跡群から、どこかへ向かうための場所ってことね。でも、あんな大がかりな橋を建造をするんだから、向かう先はよっぽど大規模ななにかがないとおかしいと思わない?」
「それはー、たしかにそうですねー」
ユーネが相槌を打つ。
まあ、よほど往来がなければあんな橋は建設しないだろう。渡し舟の不便と建設の大変さを天秤に掛けて、大変さを選ぶくらいには利用する人が多くなければ変ではある。
リルエッタがここに遺跡群があると推測していたのも、それを根拠にしていたはずだ。
「なのにこの辺りには、目立つ遺跡がこことさっきの場所の二つしかないのでしょう? それは明らかに少ないわ」
「あー、まあ、二つはしょぼいよな」
「東のエルムフラーレンは古代の都が丸ごと残っているらしいからな」
「……それは、お前たちの住むヒリエンカの町よりも大きいということか? すさまじいな」
ニグとヒルティースが頷き、里育ちのラミルンが驚いた声を出す。
僕もエルムフラーレンの遺跡群は話にしか聞いたことないけれど、規模は比べるべくもない。もちろんまだ兎人族が把握していない遺跡は他にもあるかもしれないけれど、それだってきっと小規模なものしかないのではないか。
そこと行き来するために、わざわざヒリエンカの大橋を建設した? それはちょっと考えにくい。
「それに、古代のヒリエンカは砦の役割も果たしていた形跡があったもの。だから、あるとしたら隣国じゃないかしら。―――山脈という国境を隔てた先の、普段は交易している、けどいつか戦争するかもしれない、エルムフラーレンの大遺跡と戦える規模の国」
隣国。
その馴染みのない言葉の意味は、理解するのに少し時間がかかった。けれど分かったら簡単な話で、でもまさかそんなものをこんな大規模で、床どころか壁や天井まで整備するなんて―――
―――景色が、変わった。
「扉だ……」
前方を阻む入り口と同じ正方形の扉が、僕の持つランタンの灯りに浮かび上がる。
ここまで本当に、なんにもなかった。そりゃあなにもないだろう。だってここは通路だ。
大勢の人が通ること前提の通路。
「キリ、扉の横の柱を調べるわよ。きっと入り口と同じような呪文で開くわ」
隊列を崩してリルエッタが前に来るけれど、誰も咎めない。それくらい危機感が麻痺するくらいには、この通路は長くなにもなかった。
ランタンを翳すと柱に文字が書いてあって、リルエッタはすぐに理解して呪文を唱える。
扉が開く。
夜の星が見えた。
「すごい―――この遺跡、すごいよリルエッタ!」
思わず声をあげて、僕は外へ駆け出る。




