希望
チッカはハーフリングだ。
背は人間の子供程度しかなく、非力で、戦闘が苦手。たしか、なにか危険が迫ったら一番大切なモノだけ持って逃げ出して、生き延びてきた種族。
普段の冒険でもあまり戦闘に参加しない彼女は、だからこそもっとも早く逃げることを提案した。
「べつに、兎人族の里を見捨てるって言ってるわけじゃない。ヒリエンカに移住するなら協力できることはあるし、ここに残りたいなら領主に兵を出してもらえるよう掛け合ってもいい。だけど、このまま戦い続けるのは厳しいんじゃない?」
「しかし、それでは……」
「どちらにしろ、いままでのように隠れ続けるわけにはいかないだろうね。でも、エルフみたいにいつまでも森の奥に隠れて住むつもりはないんでしょ?」
チッカはサノを真っ直ぐに見て、聞く。
「兎人族は隠れてるのにテテニーが町で冒険者をやるのを許されてるのは、人間が交流できる相手か調べさせるつもりだったんじゃない?」
テテニーが目を逸らした。白い耳が垂れ下がり、キュッと目を閉じる。
あ、やっぱりそういうのあったんだ。
「その任務については前里長から聞いています。ですが、テテニーはあまり報告しないから参考にならないと」
あ、やっぱり忘れてたんだ。
「人選を誤ったね。内容は人間が信用できるかどうかと、安全な移転先候補? ま、つまり前里長さんも、今のままでいるつもりはなかったわけでしょ。森の奥なんて強力な魔物がたくさんいそうだしね」
「しかし、それは急すぎます。一年前の件で人間たちへの不信感も増してますし、自分としてもその決断は難しい。……自分たちは、あなた方が手を引いたとしても戦う道を選びますよ。蟻ですから冬まで持ちこたえれば冬眠するかもしれませんし」
本格的な長期戦を覚悟すればそれもアリなのか。冬眠まではしなくても、寒くなれば動きは鈍るかもしれない。そうすれば巣を攻略して女王蟻まで辿り着くこともできるだろう。
「ふむ……コルクブリズ。実際にだけれど、領主に掛け合ったとして兵を回してもらえると思うかい?」
ペリドットが聞くと、コルクブリズは難しい顔をして考える。
「そうですねぇ。兎人族はリオノックス家が治める領民ではないわけですから、難しいと思いますよ。兎人族からなんらかの取引材料を出すにしても、倉庫の素材では足りないでしょうし」
「蟻がこの近辺の村に被害を出す可能性を示唆しても無理かい?」
「現時点で村々に被害が出ていない以上、迅速な対応は難しいでしょうね。ヒリエンカの兵も暇ではないですし」
兵士たちも人だしヒリエンカの民だ。領民でない兎人族を護るために命を懸けて戦えとは、領主様も言えないだろう。
つまり、諦めるとしたら移住しかないわけだけれど。
「チッカさん。兎人族にとって、その決断は非常に難しく覚悟が必要なものです。今すぐは決められないでしょう。そして蟻の魔物はまだ、対策をしっかりとたてれば我々でも戦えると思います。もしかしたら打開策が浮かぶかもしれませんし、今しばらくは戦いを続けませんか?」
静かに理性的に、チッカへ声をかけたのは神官さんだった。
諦めるという選択肢は残すが、今すぐは無理だ。それは僕にだって分かる。
「打開策ってどんなの? あたしは遺跡を攻略するために来たんだけれど、あれだけの蟻を蹴散らして遺跡へ侵入して女王へ迫る計画なんて浮かばないでしょ?」
そうか。今回のチッカの主な役割は遺跡の攻略だ。けれど僕らはまだ、遺跡には一歩たりとも踏み入れてない。近寄ることすらできていない状況だ。
戦いが苦手で遺跡好きなチッカにとってはかなりストレスだろう。
……しかし、打開策か。たしかにそれがなければ、これ以上続けるのはあまり意味がないかもしれない。だって終わりがない。
蟻は数が減っても強化される。そしてまだまだウジャウジャいるのだ。現状では僕たちが依頼を達成するのは難しい。
「ぼくは諦めたくはないね。冒険というものは困難なものサ。それをどうにかして乗り越えるのが冒険者だろう。もちろん頑張ってもダメなときは多いけれど、今回はまだそこまでとは思わない。最悪、さっきサノ君が言ったように、冬眠期待で冬まで防衛する手もあるだろう?」
「それ割に合ってる? あんたらなら、その期間で他の仕事請ければもっと稼げるでしょ」
「おや、蟻は遺跡に巣くってるそうだけれど、遺跡探索は割に合うからやるものなのかい?」
「遺跡探索パーティだって引き際はわきまえてるよ。あんたはテテニーの仲間だから感情移入してるだけじゃない?」
まずい、チッカとペリドットの間が険悪になってきた。
チッカは元は遺跡探索のパーティにいた。だから誰よりも遺跡攻略はしたいに違いない。それでも諦めることを口に出すならば、彼女の引き際はここなのだろう。
けれどペリドットの言い分も分かる。まだ引くには早い。その証拠に、さっきまでの議論はかなり活発だった。これが完全に劣勢だったらもっと暗いムードだっただろう。
きっと、まだ戦えるはず。けれどこのままだと危険性はどんどん高くなっていくし、かなりの長期戦になってしまう。それはまずい。チッカならここから一人で帰りかねない。
彼女に脱落されるのは困る。遺跡探索に一番必要なのはチッカだから、そうなれば完全に依頼達成不可能になる。
せめて……せめて、希望が必要だ。打開策でなくても、依頼を達成できるかもしれないという希望。
「―――今の蟻の状態は、元の強さに戻ってるだけ。先祖返りみたいなものだって言ったよね」
口を突いて出たのはそれだった。さっき横道に逸れそうになった話題。
少しだけだけれど、あれが気になっていた。迷宮蟻の貴重な情報だ。
「なら、際限なく強くなっていくわけじゃない。上限があると思うんだけど、シェイアはあとどれくらい強くなるか分かる?」
僕の質問に、とんがり帽子の魔術士は沈黙する。……考えるための時間。
「蟻は強い個体に魔力を集中する」
それは前に聞いた。
「けど、戦闘職が多くなってる。質の上限に達したかも」
シェイアの答えに、ここにいるみんなが息を飲んだ。
そうだ、数の割合に関してはウェインも報告していた。戦闘職の蟻はこれ以上強くならない可能性がある。
まだ確証はないけれど、それは朗報と言える。
「濃すぎる魔力が毒になるのって、人間だけではなく生物全部に当てはまるよね?」
マナ溜まりの光景を思い出す。ムジナ爺さんに連れて行ってもらった森の中も、リルエッタとユーネを連れていった山の中でも、それ以外の他の場所だって、生えている植物は特殊なものばかりだった。
あれはきっと、普通の植物は枯れてしまったのだろう。
「例外はある。けど、魔力を蓄えた蟻同士で共食いしたら、毒になる可能性は高いと考える」
気づけば、拠点内はシンと静まっていた。
この場の全員が僕とシェイアの言葉を聞いていた。ペリドットとチッカもだ。
「それはつまり―――」
その沈黙を、ウェインが破る。真剣な表情と声で。
全員視線が彼に集まる。
「―――どういうことだ?」




