人間とドワーフと兎人族の歴史
かつて兎獣人は人間やドワーフから槍と弓を手に入れ、獣人たちの国に叛逆した。
相手は屈強な支配階級の獣人種であるから、もちろん苦戦はしたという。けれど武器を手にし数で勝る兎獣人の勢いは止まることなく、多くの犠牲を出しながらも勝利を挙げていった。
それこそ、奴隷階級からの脱却どころか獣人たちの国を滅ぼす勢いで、だ。そうして兎獣人は黄虎族をはじめ、十もの獣人種を絶滅させたとされる。
それは誇らしい歴史だった。誰がなんと言おうと、そうでなければならなかった。
弱い種として虐げられ続けた自分たちが、その怒りを以て勇敢に戦い自由を勝ち取ったのだ。屈辱にまみれた辛酸の日々を与えてきた相手に報いることができたのだ。
どれほどに数を減らそうとも、自分たちの魂が変質しようとも、それを後悔などしてはならない。―――なぜなら怒りこそが我々の叛逆の原動力だったのだ。臆病で逃げるしかできなかった当時の兎獣人たちを動かしたのは、積み重なった憎悪だった。
しかし、あるきっかけを境に兎獣人の連勝は止まることになる。
「嘘だ」
ワタシは弓を構えながら小さく小さく声に出す。たった今、囮として蟻を引き連れてきたサノにも聞こえまい。
前里長が治癒を受けない理由。それはたしかに、神職が気に入らないというのもあるのだろう。神は人を平等に愛するとのたまいながら、隷属階級にはその力を使わなかったその下劣さに虫唾は走るだろう。
しかし、神官嫌いだけではない。単純に、相手が人間であることに警戒しているのだ。
兎獣人たちの叛逆を受けて、獣人たちは武器の強力さを理解した。産まれ持った爪や牙、膂力などを凌駕する脅威と認識し、虐げていた兎獣人を相手に最終的には獣人の誇りとしていたこだわりを捨てたのだ。
最終的に、支配階級の獣人たちは武器を手にすることで兎獣人を押し返したのである。
―――これは当然の話だが、産まれ持った強靱さこそを誇りとしていた獣人種に武器を造る技術などあるはずがない。
支配階級の獣人たちは人間やドワーフたちから調達したのだ。
人間もドワーフも物を造る技術に長けていただけで、兎獣人の味方ではなかった。むしろ兎獣人に戦わせて武器の重要さを分からせ、他の獣人たちに売り込んだフシまである。
そうして、種の尊厳を懸けた叛逆はただの金儲けの手段に貶められたのだ。
そんな歴史があるから、信用などできない。なにを企んでいるか分からない相手を友にはできない。ワタシたちが隠れ里に潜んでいる理由も、人間と積極的に関わるのを避けているというのが大きい。
ワタシも人間は信用できないと思う。
魔術士の火炎球が炸裂した。蟻が大量に弾け飛ぶ。耳をぺたりと伏せて音をやり過ごしながらも、その光景から目を離せなかった。
ワタシが冒険者の救援を求めて町へ行ったのは、唯一間近で冒険者を見たことがあったからだ。
兎獣人であることを隠し、町に潜むように住んでいるらしいテテニー姉さんを探すのは難しい。冒険者の店とやらにもあまり顔を出さないと本人から聞いていた。正直、テテニー姉さんが本気で隠れたら見つけることはできないだろう。だから頼りは、ワタシが会ったあの小さな少年だけだった。
顔を見たのは短い時間だったし興奮していたため、実のところ記憶にあまり自信はなかったけれど、冒険者の店には子供が少なかったため、すぐに分かったときは神に感謝した。
魔術士を護る戦士職たちが、火炎球が撃ち漏らした蟻を仕留めていく。
ワタシは町で少年を見つけ、テテニー姉さんや事情を知る冒険者を集めてもらった。
……正直、それすら難しいとは思っていた。協力を仰ぐにはワタシの印象が悪すぎる。せめてテテニー姉さんと連絡をとってもらえれば御の字だと思っていただけに、翌日に出発できるスムーズさでコトが運んだのは驚いた。
それこそ、なにかを企んでいるのではないかと思ったほどに。
二発目の火炎球が弾ける。ワタシはその爆発の向こう側へ矢を向けて構える。
錬金術の矢。先端に簡単な術式加工した素材をくくりつけたもので、当たると炸裂するとかなんとか。
細かいことは全然分からないが、とりあえず矢としてはあまり良くない。形状が風の抵抗を受けるし、重さのバランスも悪いからまっすぐも飛ばないだろう。
それでもいいらしい。
これもあの少年が造ったものだ。……つまり、人間の武器だ。
この矢を見て、里の者たちはどう思っただろうか。少なくとも警戒はしたはずだ。また自分たちの誇りを汚されるのではないかと懸念したはずだ。
だから今朝、勇士たちはこの矢を受け取るのを躊躇した。
「ワタシは分からない」
サノほど割り切る気にはなれないが、それでもこの期に及んで下らないことに執心するのは愚かしく感じた。蟻の数はおぞましいほどで、絶望的な状況なのだ。ここまでの群が相手では竜ですら逃げ出すのではないかと思ってしまう。
こんな群と戦うことは、兎人族にはできない。兎人族の性質は大きく前のめりだから、引きながら上手く戦うといったやり方とは非常に相性が悪い。
けれど人間の協力があれば活路を見出すことができるのだ。ならば信用するしかないのではないか。
そう思うのは、ワタシが短いなりに冒険者たちと共に過ごしたからだろうか。
火炎球の爆炎が晴れる。その向こうに、他の蟻とは明らかに大きさの違う蟻がいた。
ウェインという戦士と同じくらいに大きな体高。棘のついた甲冑のような外骨格。大きく発達したノコギリのような顎。働き蟻の数倍の歩幅と速度。―――突撃してくる戦士職の蟻。
それに向けて矢を放った。
おそらくサノは、この機会をきっかけに人間との関係を見直すつもりだろう。冒険者たちはこの窮地を切り抜けるための救援であり、同時に人間を見極めるための試金石。
ワタシも、他の若い兎人族たちも、一年前に感じていた。この脅威が多い森の奥地で、隠れ潜み続けるのは無理がある。
だから、我々は人間とどう付き合うべきなのか、どうやったら付き合っていけるのか、考えるべきときが来ているのだろう。
「冒険者か……」
矢が命中する。戦闘職に直接ではなく、狙いが外れて少し横へ逸れた地面へ。
瞬間、矢の先にくくりつけられた素材が炸裂した。周りの働き蟻も巻き込みながら戦闘職の硬い殻をモノともせず、その大きな身体の左半分を消し飛ばす。
なんというか……非常時とは言え、子供にこんなものを造らせるのはマズいのではないか。前里長がまた警戒しそうな威力である。
けれど、子供でもこんなことができるのであれば、関わらずにいるのはむしろ下策なのではないか。
獣人が奴隷階級が手にした槍と弓に蹂躙されたように、知らない武器を持たれれば為す術がない。むしろ積極的に関わって、人間の技術を知って、できれば学んで、有事の際に備えるべきなのではないか。
ああ、そんなサノのようなことを考えてしまうのは、きっと―――ワタシ自身が、人間に興味を持ち始めているからなのだろう。




