同期
己が道を示せ。
コルクブリズはそんな神の声を聴いて治癒術士になった。
では、己が道とはなんなのか。彼が選んだ道とはなんだったのか。……そんなのは彼が神の声を聞いた経緯を知れば考えるまでもなくて、だからこそ神職としては非常に険しいものだったのかもしれない。
つまり……まっすぐに正道を行くカラトア・メヌアとは、違う道だ。
「いえ、コルクブリズ殿。怠惰というのは違うのではありませんか? カラトア神官は勤勉で働き者かと思いますが」
兎人族の現里長、サノが口を挟む。この人は神官さんの優秀さを見込んで反対意見を無視し受け入れたのだろうから、その相手を怠惰と言われると困るのだろう。
けれどコルクブリズは意に介さなかった。というかこの男はだいたいのことを意に介さない。それくらい大雑把な性格でなければ海猫の旋風団にいるはずがない。
「ええ、ええ。あの女は勤勉で働き者でしょうとも。そう在るのが理想であるとされる以上、その通りにできれば良いのでしょうとも。誰もが分かる、とても分かりやすい明快な解答です。であるからこそ、あの女はその通りにしている」
そこにあるのは、呆れと苛立ちだった。
道中で聞いた話とは違っていた。彼は神官さんの優秀さに追い詰められていたはずで、彼自身もその優秀さは認めていたように思えたのに。
今、コルクブリズは完全にカラトア・メヌアを否定していた。
「そも! 神の教えは指標であって必ずしもその通りにせねばならない、というものではありません。神がこう言っているから、それが善であるから、今はこうするべきであるから、という事柄はもっとも明白で間違いのない行動であり、それしか選択しないのであれば何も考えていないも同じこと。神の言葉と人の世の剥離に苦悩しながらも答えを追い求め、迷える者を導くことこそ我々神官の役割ならば、拙僧は断言しましょう。あの女は怠惰であると!」
「お、おう……そうか」
前里長が若干引き気味でそう言うと、コルクブリズは我が意を得たりばかりに深く頷く。
そして続けた。
「いいですか、人は善性のみにあらず。神職であっても悪心は容易く切り離せぬものであるのに、世の人々が理想の通りだけで生きられるはずがありません。であればこそ、苦悩もせず理想を選び続けられる彼女は人の心に寄り添えない。常人にあってしかるべき弱心が分からぬならば、他者を理解することもされることもできない。あなた方が彼女を好きになれないのは当然なのです」
……なんだろう。神官さんの悪口が止まらないな。
強い人は弱い人の気持ちが分からないってことなんだろうけれど、つまりそれって神官さんとコルクブリズのことを言っているのではないか。
だとしたらこれは愚痴の可能性がある。
「ええそうです、思い出しましたよ。見習い時代こんなことがありました。信者から恋愛相談を受けたがどう答えたらいいのか分からない、と意見を求められましてね。親が決めた良縁があるが自分は別の相手に恋をしてしまってどうすればいいのか、という内容でしたが、拙僧は相談者にこう言いましたとも。この女を相談相手に選んだ時点であなたの人を見る目は終わっているので、大人しく親の決めた相手と結婚しろと。その後カラトアに半殺しにされましたが、拙僧は今でも正しいことを言ったと確信しております」
ずいぶん酷い話だ。相談した方もたまったものではない。
「理解できないし理解されないから、優秀で勤勉で働き者であろうとする。そうすれば誰かが利用はしてくれる。それがあの女の本質であり、彼女に寄ってくるのはその通り便利に使おうとする者だけです。そう、このサノ君のようにね!」
「ちょっと、人聞き悪くないですか。初対面ですよね?」
自分にまで飛び火して、たまらず若い里長が抗議する。とはいえたしかに、彼は神官さんを利用するために里長になったのだけど。
しかし、いいかげんそろそろ止めた方がいいのではないか。半眼になって様子を見ながら機を見計らっていると、視界の端で白くて細い指が動くのが見えた。……シェイアがこっそりと、兎人族たちに見えないよう人差し指でなにかを指し示す。
そこにあったのは―――
「嘘でしょ……」
思わず声が漏れた。呆然とした。驚愕もしてしまった。絶望までした。
示されたのはコルクブリズの背負う鞄だった。その鞄の開け口の紐が緩んでいて、チラリとなにかが覗いていて、その正体が理解できたとき頭の中が真っ白になってしまった。
酒瓶だ。あれは冒険者の店で見たことがある。たぶん、めちゃくちゃ強いヤツ。
たぶん集会所に入る前、誰が入るか決めてる最中こっそりと飲んだのだろう。雑に押し込まれた瓶の覗いている場所には液体が見えない。
「酔っ払いを相手にしてはダメ」
わざわざ魔術まで使用して僕らだけにシェイアの声が届く。
いつの間に呪文詠唱したのだろうか。兎人族に気づかれないようにとなると、もしや集会所の外で使ってそのまま維持していたのだろうか。それとも無詠唱で使ったのか。
さっき袖を引かれたのはそういう意味だったのだろう。つまりシェイアは最初から気づいていた。だったら止めてよ。
……マズい。僕はジットリと手に気持ち悪い汗をかく。
強い前衛はみんな集会所の外だ。今、この場でコルクブリズを止められる人員はいない。力尽くで口を塞ごうとしてもきっと、丁寧に気絶させられて床にのびることになる。いつも酒場で見てる光景だ。
どうする。どうする……。
「ずいぶんと久しぶりですが、相変わらずあんまりな言いようですね」
コツ、と足音がしたのは、声の後だった。
懐かしい声。久しぶりに聞く、落ち着いた声。――そしてコルクブリズにとってもきっと、懐かしいものではあったのだろう。
同時に、恐ろしいものでもあったようだけれど。
「あ、か……カラトア神官? こちらから挨拶に向かおうと思っていたのですが、よく来たのが分かりましたね」
「小さな里ですから、なにかあればすぐに分かります。テテニーさんとチッカさんにもお会いしましたし」
ため息交じりにそう言いながら、神官さんはツカツカとコルクブリズに歩み寄る。その途中、本当に少しだけだったけれど僕を見た。
いつもの神官さんだ。黒髪で、肘と膝の先が深緑色になった辺境巡回神官の服を着こなしていて、ちょっとだけ分かりにくい表情が僕を見て柔らかくなる。
それは見間違いと思ってしまいそうなほど、わずかな時間。
「失礼、前里長。この男は少し頭を冷やさせて来ますので、後ほどやり直しをさせてください」
「ちょ、カラトア? やり直しって最初からまたやれってことですか? 今のやりとりなかったことにしてもう一度? それは無茶じゃないです?」
「神は何度挫折しても挑戦し続ける者を好みます。難題こそ我ら神官が立ち向かうべきものですから、まずはその不摂生で細くなった膝を折ることから始めましょう」
「それ物理的な話じゃないですよねっ?」
むんずとコルクブリズの首根っこを引っ掴み、兎人族たちに一礼だけして神官さんは彼を引きずっていく。文字通り力尽くだ。コルクブリズは抵抗するけれどまったく意に介さない。この人これでもBランク冒険者なんだけど。
ポカンと、誰もが呆気にとられて見守っていた。引きずっていくカラトアと引きずられるコルクブリズの間には遠慮なんてなくて、たしかラミルンの話では、自分など足元にも及ばないほど素晴らしい神官、とかなんとか言ってたはずなのが信じられなくて……ただ普通の、よくある同期の間柄に見えてしまって。
きっとその光景を目にした誰もが同じ気持ちだっただろうと思う。……あんな神官さん、初めて見た。




