ノグランズの思惑
「あら? あまりわたしは表に出ない方がよろしいのではないかしら。エルノとの婚約についてはあくまで仮のものでしょう? 他に良縁があれば容易く切れる糸ですもの、あまり世間に婚約者としての印象を強めては切るときに反感が生まれますよ」
蜂蜜の入った甘いお茶をいただきながら、なるべく柔らかい口調で意見する。
当然のように受け入れた事柄なので、嫌味にはならなかったと思う。……というか、そうでなければいろいろとこちらの計画が狂うのでそもそも嫌味ではない。
「ふむ? まあその通りだが、しかしそれは良縁があればの話だ。我としては君でも悪くはないと思っておるよ」
……そりゃあ、悪くはないだろう。マグナーンの財力や地元への影響を考えれば、政略結婚の価値はまあ、及第点はあるに違いない。
塩が安定して採れる生活必需品というのも大きいと思う。内陸にある都や王都へ運ぶ量は、他のどんな物品よりも多い。
「エルノであれば貴族からの求婚は選ぶほど来るでしょう。最近活気づいている子爵領の跡取りですもの、それこそ両手に余るほどの令嬢たちが押しかけてくるのも時間の問題ではないかしら」
「……まあ、アレは同年代では目立つからそういうこともあるかもしれないが。しかしだな、それはそれで困りものであるぞ」
なにが困るというのだろうか。貴族とは地位や血筋を尊ぶものだ。市井の商人など、普通は相手にもされないと思うのだけれど。
「よいかね、リルエッタ君。質の悪い貴族は本当にタチが悪いのだ」
納得してしまって、わたしは思わず天井を仰ぐ。
「自領地の経営もまともにできず没落する無能。大した功績がないため領地をもらえず閑職で燻っているだけの凡夫。私欲を満たすために税を上げすぎて領民たちに暴動を起こされた守銭奴。なんなら今回のガルブ一家やゾニン家などが可愛く見えるような悪辣なことをしている者だっているとも。しかもそれが軒並みプライドが高くて見栄っ張りときているから、救いがないというものだ」
頭を抱えたくなるが、悲しいかな全部聞いたことがある話だ。そのうえで自分はまだ関わることがないだろうと頭の端に捨て置いてきたものである。
それらに比べればヒリエンカの領主様はかなりマトモな方だなと思ったものだし、マグナーンの交易を行う部署のものたちはそういう貴族がいる領地へも行くのだろうから大変だなと同情したものだ。
まさかこんな形で自分の未来に関わってくるなんて。
「そんなどうしようもない者たちが、深窓に閉じ込め都合のいいよう一人で生きていけない世間知らずに育てた道具を着飾らせ、金回りのいい貴族へと差し出すのが政略結婚だ。エルノの元にはこれから幾通もそんな手紙が来るだろうが、はたしてその内のどれほどがマトモな相手であろうかな」
「……貴族はそういう厄介な者ばかりでもないでしょう?」
「いい相手に当たればいいのだがね。しかしハズレの多いクジをわざわざ引くよりは、貴族との政略結婚より幼少のころから知っている相手との純愛をとった、という物語を付随したうえで君を迎えるのが地に足をついた選択だと思わないかね? 幸いなことにエルノも君を気に入っているようであるし」
なにが純愛だ。政略結婚には違いないでしょうが。
というかハズレを引きたくないなら親しい貴人の誰かから子女を引っ張ってくればいいだろうに、この領主はもしかして友人がいないのだろうか。それともそこまでするよりはマグナーンでいいやと妥協心が勝ってしまっているのだろうか。
「まあ、とはいえ都の演劇ではないのでな。貴族が恋愛感情だけを優先するなど、周囲どころか各方面が煩い。なので今回の件で君の名前を表に出そうとしているのは、できればマグナーンの家名だけではなく、君自身にもそれなりに実績を積んでもらい説得力を持たせたいというのもある。……ああ、あのリルエッタ嬢が相手であれば貴族との話を蹴るのも頷ける、とな。べつに悪い話ではないであろう?」
ずいぶんと勝手なことを言う。
そんなの、他の貴族が黙るほどの名声を得よ、と言われているようなものだ。冒険者として実績を積むのはやぶさかではないけれど、さすがにそこまで大物になる道筋は見えていない。
……あのパーティの中で一番伸び悩んでいるようなわたしに、そんな期待はあまりにも的外れだ。
「実際、秋の件ではエルノと君たちのパーティがゴブリンロードを討伐して領地内の平和を守ったことにさせてもらったし、下水道の遺跡の件でも君たちの名が広まるよう手を加えたものだ。そういえば都の方では君たちを歌った詩が流行っていると聞いて、劇になるよう出資したこともあったな。ああ、Dランク昇格の推薦については残念ながら、融通の効かんバルクの奴に止められてしまっているのだが……」
なにを勝手なことしてるのかこの貴族。
というか、都の方は吟遊詩人のツェルミラの仕業だろうか。元気なようでなによりだ。今度会ったら覚えておくといい。
「しかし、エルノの金糸の髪と整った容姿に見惚れる女性は多いと思いますわ。それに加えて類い希なる剣の才覚とノグランズ様譲りの知力となれば、伯爵家や公爵家のご令嬢……いいえ、それこそノルントラシア王国のお姫様たちですら心を射止められるのではないでしょうか?」
たしかこの国の王様は子だくさんだ。病死なされた最初の王妃様との間に四人、今の王妃様との間に三人の子をもうけていたはず。
冬にペガサスを駆ってやってきたレイミィは妾腹で二十歳前後という年齢だったけれど、もっと若い王女もいると聞いたことがある。たしか一番下の王女はエルノやキリと同い年だったのではないか。
「まあそうなれば我も立場上、君とエルノの婚約は白紙にせざるをえないがね」
それはそうだろう。リオノックス家は子爵位だ。もっと高位の貴族や王族からの求婚を断ったとなれば、そうとうな窮地に陥るに違いない。
うん、そうなればわたしは用済みだ。しかもそんな婚姻にはかなりの時間がかかるはずだから、わたしの猶予は大きい。
「しかし我は正直、皆が言うほどアレが社交界のお嬢様方を魅了できるとは思えぬのだよ」
「はあ……それはどうしてでしょう?」
わたしから見てもエルノの外見はかなり良い。金糸の髪に海色の瞳、まだ幼いが整った顔立ち。あと数年もすれば、まさに物語に出てくる貴公子という容姿になるだろう。
内面も悪くない。まだ子供っぽいがまっすぐな性格で元気に溢れ、そして自己の研鑽も怠らない。あの剣の実力も頭の良さも、才能だけではなく努力を積み重ねたものなのだとわたしは知っている。
だから本当に、エルノであれば王女様だって夢中にさせるのではないかと思っているのだけれど。
「アレは自らの婚約者の心すら捕まえられておらぬのだぞ。期待なんぞできるものかね」
……それは、まあ。ええ。
その婚約者さんが変わり者なのではと思うのですが。




