マグナーンのご令嬢
これは至極当然であるが、領主様はご多忙である。
子爵位の貴族であり、ヒリエンカ周辺の一帯を統治する領主なので当然だ。最近は特に活気づいてきている町を治めるだけでも激務だろう。
依頼を受けたとはいえ、その報告をしようにもかなり待たされるだろうことは想像に難くない。なんなら使用人に伝言だけして帰ることも十分にあり得る。
「だから報告はわたしは一人でいいわ。二人はアニアとヨハキンの相談に乗ってあげて」
キリとユーネにはそう言って、ついでに新人二人のことも押しつけて、わたしは一度宿へと戻る。ちょうど戦士と治癒術士なので、先輩として教えられることはあるだろう。
ユーネとの相部屋に帰ってくると、鞄と杖を放り出して服を脱いだ。衣装棚に一着だけあるドレスを引っ張り出す。
仕立てはいいけれど簡素なデザインのそれは、動きやすさを重視して実家から持って来たものだ。本当に希ではあるけれど、冒険者の身でもこうした服は役立つときがある。
手早く着替えて飾り布で髪を結い、手鏡で確認する。最低限ではあるけれど、形にはなった。
靴も昔のものを出して履き、杖と鞄を持って部屋を出ようとして、冒険用の鞄を見て眉をひそめた。紐を解いて開いて、小さな鞄へと今日手に入れた証拠品を移す。これ以外はいらないから、準備完了。
冒険者になる以前なら、もっと時間がかかっていただろう。季節、時間、会う相手によって衣服の色調や装飾の種類が変わるのは当然として、鞄などの小物は服装に合うものを幾種類の中から選んだ上で人に持たせるのが普通だった。冒険者になると決めて使用人を遠ざける前ならば、そもそも一人で身支度すらできなかったかもしれない。
まったく、なんと馬鹿馬鹿しい。……ほぼ一年をこの部屋で過ごしたわたしは、過去をそう振り返る。まるで装飾品しか入っていない鞄のようだ。
宿を出ると、直接東へ向かうのではなく御者ギルドへと向かう。
いくら動きやすいと言ってもこんな服装で長く歩くのは目立つし、体裁も保てない。わたしは交渉し、前払いで個人用の小さいが立派な馬車を出してもらって乗り込み、木窓をしっかりと閉めた。ゆったりと進む馬車に揺られる間、しっかりと鞄を抱いて持つ。
領主の屋敷に着く。
「ごきげんよう、海塩ギルドのリルエッタ・マグナーンです。礼拝で近場まで来たものですから、もしご迷惑でなければエルノ様とお会いできないかと足を伸ばさせていただきました。わたしの婚約者様は今、お時間はありそうでしょうか?」
門を守る兵へ、歯が浮きそうなセリフと笑顔で取り次ぎをお願いする。
マグナーンの令嬢が使用人も付けず一人で、約束もないのに領主の屋敷を訪れるだなんて、鼻で笑ってしまうくらいの暴挙ではあるのだけれど。
まあ、幸いなことにわたしはまだ十三歳で良家の子女だ。そしてあくまで仮ではあるものの、領主様の嫡男であるエルノの婚約者である。
苦笑いくらいはされるかもしれないが、それくらいの突飛な行動は許されるだろうし、最悪でも門前払いで済むはずだった。……やったことはないけれど。
「こちらでお待ち下さい」
エルノ・リオノックスの仮の婚約者、リルエッタ・マグナーン。
その立場を利用して領主の屋敷を訪ねたわたしは、拍子抜けするほどあっさりと屋敷の中へと通された。
侍女に案内されたのは前回とは違って屋内だ。初めて入る、高級な調度品が並ぶ応接室である。壁にズラリと飾られた絵の値段ははたしていくらだろうか。美術品は値で鑑賞するべきではないと教わったから正確なところは分からないが、マグナーンの屋敷にもここまで見事な絵はない。
よほど大切なお客を迎えるための部屋だろうか。絵が日焼けしないようにか、窓はなかった。
コンコン、とノックの音が響く。
年嵩の侍女が開けた扉からにこやかな顔で入って来たのは、エルノではなくヒリエンカの領主ノグランズ・リオノックス子爵だった。
「やあ、リルエッタ君。突然のことだったから驚いたよ。すまないがエルノは外に出ていてな。あれが帰ってくるまではどうか、我との歓談で我慢していただけないだろうか」
キリとユーネに言った、領主様は多忙という言葉は本当だ。だからある程度待たされることは覚悟していた。まさかここまで早く来てくれるとは思わなかった。
……あるいは、こちらの意図を完璧に読まれたのだろうか。この領主ならそれくらいはしてきそうである。
「ごきげんよう、ノグランズ様。いいえ、事前にお伺いもたてずお邪魔したわたしが悪いのです。それなのにノグランズ様がお話して下さるだなんて、リルエッタは果報者でございます」
わたしは椅子から立ち上がってスカートの端を摘まみ、淑女の所作で一礼する。身体に染み付いたそれは思い出す必要もなく自然に動く。
視線だけを向ければ、年嵩の侍女が音もなく扉を閉めたところだった。……うん、見覚えのある顔。前回、お茶を淹れてくれた女性である。他の使用人はいない。
密談向きの窓のない部屋。突然の来訪にもかかわらずすぐに来た領主。事情を知っているのだろう信用できる侍女。
わたしは諦観の笑みを浮かべる。できれば当たってほしくはなかったのだけれど、どうやら予想は的中してしまったらしい。
「そうかしこまらなくとも良い。君はエルノの婚約者であるからな、こうして顔を見せてくれるのは我としても嬉しいものだ。遠慮せずいつでも訪ねて来なさい」
仮とはいえ嫡男の婚約者となんの交流もないのは体面が悪いですからね。エルノはいずれ貴族のご令嬢と政略結婚することになるだろうけれど、それまでは良い顔をしておいて円満的に婚約解消できるのが理想的なのでしょう?
……よし、口に出すのは我慢した。こちらもその計画は望むところなので文句はない。
「しかしリルエッタ君は日に日に美しくなっていくね。その華のような薄紅色の飾り布もよく似合っている。君の姿を見たら春の訪れを知らせるソムルソリスの子が喜んで竪琴を奏でるのではないかな?」
「まあ嬉しいですわ。ありがとうございますノグランズ様。―――それで、この茶番はもう少し続けますか?」
「うむ、そろそろ終わろうか」
ノグランズが椅子に座るのを待って、わたしもまた椅子に座った。年嵩の侍女はお茶の用意をしてくれる。
わたしは鞄から今日手に入れた押収品を取り出すと、小さな円テーブルへと置く。ハンカチの包みを丁寧に解いた。
「今日、こちらを見つけました。検めていただけますか?」
口髭に触れて、ノグランズは証拠品を手に取る。
彼が包装を剥くと白色が見えた。粉状で、おそらく粒は挽いた小麦粉より細かいだろう。包装を解いてすぐ崩れたそれは放置されて一年たつにもかかわらず、あの小さな遺跡で嗅いだ薬品臭を強く放つ。
「本物であろうな。どこでこれを?」
「ガルブ一家が拠点として使用していたとされる廃村です」
「なるほどな」
反応が薄い。……つまり、そういうことなのだろう。
彼は最初から、そういうこともあり得ると考えていたのだ。
「ノグランズ様。兵士の中にガルブ一家の協力者がいますね?」
わたしの渾身の笑顔に、ノグランズ・リオノックス子爵は目を逸らす。




