天馬の乗り手
ペガサスが翼をいっぱいに広げて減速し、ゆっくりと雪の上を歩きながら着地して止まる。その光景を僕らは呆然と眺める。
降り続く雪と同じ色の白く輝く毛並みが美しくて、まるで冬の化身のように見えた。
天馬はその雪を払うようにブルリと身震いし、翼を閉じる。そしてグルリと裏庭を見回して、僕らへと顔を向ける。
なんて綺麗な馬なのかと、僕は息をするのも忘れて魅入ってしまった。
―――だから、その背からズルリと何かが落ちても動けなかった。それがドサリという音と共に雪を巻き上げて、やっと我に返ったほどだ。
「……人?」
少しだけ躊躇する。ペガサスは美しいが魔物だったはずだ。近寄っても大丈夫だろうか、と警戒してしまう。
けれどその天馬の背に鞍が付けられているのを見て、駆けだした。人が乗っていた証拠だし、それならきっと人に慣れている。
焦る。さっき躊躇った時間を後悔する。見た感じ、無事な落ち方ではなかった。受け身をとる様子すらなかった。一刻を争う状況だったらマズい。
「すみません、大丈夫ですか! 無事っ?」
膝をついて抱え起こす。
雪に倒れていたのは、白い防寒具を身につけた人。人間の女性にしては小柄で、肌が白くて、三つ編みにした薄紅色の髪をおさげにしている。……そして、大きいまん丸な眼鏡をかけていた。
「都会の人?」
ヒリエンカで眼鏡をかけている人は珍しい。僕が知ってる人だとグミさんくらいだけれど、グミさんも元は都会から来た人のはずだ。
その眼鏡の奥の瞼が、うっすらと開く。紫色の瞳が覗く。……良かった生きてる。
「……さ」
唇が震えるようにして動き、小さく消え入りそうな音を発する。耳を近づけなければ聞き逃しそうな、雪が降り積もる音のように小さい声。
「さぶい……」
……そりゃ、こんな天気の日に空を飛んできたら寒いだろうね!
「すみませんすみません。こんなに毛布を貸していただいて、お湯までいただいてしまって、本当にすみません―――」
「死なれると寝覚めが悪いだけよ。いいから暖かくしてなさい」
暖炉の横で椅子に座らされ、大量の毛布で大きな球みたいにさせられたその女性は、しきりに謝りながら濡れた髪をリルエッタに拭かれている。鼻水を垂らして震えるその顔は地の色白を差し引いても青白く、本当にもう少しで凍死していたところだったのではないかと心配してしまう。
「大変でしたねー。ほら、鼻水チーンしてくださいー」
まるで子供にそうするみたいに、ユーネが布を女性の鼻へともっていく。素直に鼻かんでるけど、その人ユーネより歳上だと思うよ。
「ユーネさん、桶にお湯用意できました!」
「新しい薪も持ってきましたよ、ユーネさん!」
「あ、ありがとうございますー。ではお湯に足を入れて温めてもらってー、薪はドンドン暖炉にくべちゃってくださいー」
湯を張った桶と薪を抱えて走って来たニグとヒルティースに、ユーネはほわほわと笑いかけて指示を出す。
三人は二日酔いで潰れた人たちをこうして介抱していたらしく、手際よく寒さに震える女性の世話を焼いていく。
うん、ユーネが来てくれたから治癒術もあるし、もう大丈夫だろう。
「……それで、ペリドットはなにしてるの?」
「過去イチで苦悩してるっスね!」
横から覗き込むようにペリドットを観察しているテテニーが、すごくいい笑顔で答えてくれる。
暖炉の横で壁に向かってしゃがみ、頭を抱えてブツブツと何事かを呟いている海猫の旋風団リーダーはなんというか、普段とはまったく違う様子だった。
女の人を抱えて運んでくるときもずっと真顔で無言だったし、これは重症かもしれない。
「ペガサスに浮気しそうになってるだけ」
暖炉の火の勢いを魔術で増幅していたシェイアが、心底どうでもよさそうな視線をペリドットに送る。
まあ外野からしたら本当にどうでもいいことなのだけれど、僕はその苦悩、ちょっと分かるかもな……。
「うう、すみませんすみません、うちのパカパカちゃんがカッコよすぎてすみません……」
「待ってあのペガサス、パカパカちゃんって言うの?」
桶に足を入れて毛布でぶくぶくになりながらガタガタ震えている女性の言葉に、思わず反応してしまう。パカパカちゃん。
「あ、はいすみません。子馬のころはずっと、うちの後ろで蹄をパカパカ鳴らしながらついて来たからパカパカちゃんって呼んでます。可愛いですよね?」
「大丈夫っスかリーダー! 顔色が瀕死っスよ意識をしっかり持つっス!」
胸を押さえ過呼吸で床に崩れ落ちるペリドット。すごい、本当に体調悪くなるほどショックなんだ。
ちなみにそのパカパカちゃんとメルセティノは今、厩にいるはずだ。隣の馬房にいるはずだから仲良くしてるといいけれど。
「少しは落ち着いたようね。それで、貴女はどちら様なのか聞いてもいいのかしら?」
薄紅色のおさげを布でぽんぽんと叩いて水気を吸い取りながら、リルエッタが問う。
丸眼鏡の女性はだんだん身体が温まってきたのか、たしかに落ち着きを取り戻しているようだった。
「は、ハイすみませんまだ名乗ってなかったですね。その、うちはレイミィ・パディピーターと申します」
レイミィさんっていうのか。
名字持ちならいいトコの生まれなのかもしれないけれど、発音に少し訛りがあるのと腰の低さから貴族ではないと思う。
「普段は王都の冒険者ギルド本部の懲罰執行部に籍を置いています。このたびは冒険者ギルドの査察官として暴れケルピーの尾びれ亭所属Cランク冒険者ウェイン氏の査定、および懲罰執行部として彼の国家間スパイ容疑について調査に来ました」
ぼっ、と黒い煙が暖炉から吹き出した。
レイミィのためにシェイアの魔術で火の勢いを調整していたはずだけれど、火が青白くなって、勢いはあるのに押しつぶされたような形になって、ひっきりなしに火花が弾けている。なんだあれ、どうやったらあの魔術でああなるんだ。
「なんの冗談?」
「い、いいいいいえいえ、すみませんすみませんすみません冗談ではないです!」
シェイアに静かに問われ、鼻水を垂らしながらガタガタと震えるレイミィ。今度は寒さが原因じゃなさそうだ。
「ちょ、懲罰執行部と言ってもうちは伝令が主なお仕事でして、悪いことして逃亡した冒険者の人相書きなどをパカパカちゃんで配って回る感じの―――」
「そっちではなく」
「う、ウェイン氏の容疑に関しては、Bランク昇格に際して南の大陸にてギルド関係者が調査を行い―――」
え、すごいな。海向こうまで行ったのだろうか。それとも手紙で向こうにいる人とやりとり? なんにしろけっこうな手間だ。
Bランク昇格ってそこまでして調べるんだな。ギルドも大変だ。
「彼は南の大陸の北方を拠点にして活動する傭兵団、火爪の鷹団の現団長である、との情報を得ました。よって、彼をギルドの要警戒対象として設定。とにもかくにも最速の移動手段を持つうちが真偽の確認に赴いた、というわけです」
レイミィはそこまで言ってから深呼吸し、そしてこの場にいる者たちを見回す。
「それで……すみません。そのウェイン氏はどちらにいらっしゃるか、分かる方はいますか?」




