画伯
進むのであれば、長く休憩すべきだ。リルエッタの魔力をできるだけ回復させたい。
戻るのであれば、短い休憩でもいい。僕が大ネズミとの戦いにだいぶ慣れてきたから、来た時よりは消耗しないだろう。
そこで問題なのは物資である。
「松明の替えは大丈夫だよね?」
まずは灯りの問題。
さっき松明よりランタンの方がいいのではないか、という話をしたけれど、それはそれとして松明を持って来たのは正解だった。おかげでリルエッタの魔力は節約できたからだ。
これ以上進むなら松明はまだ必要になる。残り本数は確認しておきたい。
「まだ十分ありますよー。これ、けっこう長く保ちますねー」
「つけた火がすごく長持ちする、松明に適した木と油で作るんだって。木はベッジの森にもあるらしいけれど、油は海の深いところに棲んでる魚からとるらしいよ」
「おおー。キリ君、物知りですねー」
思わず昨日、大部屋で聞いたばかりの知識を披露してしまった。深海の魚の油が松明に使われてるの、ちょっと面白いよね。冒険の役に立たないけれど。
松明がどれだけ保つかは、冒険できる時間に直接関わる。だから大部屋の人に時間を聞いたのだけれど、結論としてはよく分からなかった。だいたいみんな、けっこう長く保つぞ、くらいのことしか教えてくれなかったからだ。
まあ冒険者が大雑把で適当なのはしかたないので多めに買ったのだけれど、今の時点でまだ二本目だ。これなら先へ進む分には問題ないだろう。
では次。これは肝心。
「水は? 特にリルエッタ、僕の怪我を洗ってくれた時にけっこう使ってなかった?」
今まで休憩できる場所なんてなかったから、食料は消費していない。まあ多少長く潜ることになってもなにかあった時のために余分に持つようにしているし、大丈夫だろう。
それより問題は水である。なにせここは水を手に入れる手段がない。というか水はあるけれど絶対に飲みたくない。松明が長く保つと分かった今、水筒の残量が下水道での活動時間と言っても過言じゃないと僕は思う。
「問題ないわ。たしかにあの時使いはしたけれど、あまり喉が渇く気温じゃないもの」
「ユーネもほとんど飲んでませんねー」
二人は自分の水筒を確認して、そう教えてくれる。冬だから汗をかかない分、喉が渇くのも遅いのだ。確認してみると、僕もほぼ残っている。
うん、それなら物資は問題なさそうだ。
「じゃあ、まだ進めそうかな? 二人はどう思う?」
「わたしは前進に賛成よ」
「同じく賛成しますー」
これで三人の意見が一致だ。探索続行決定である。
――うん、どうなることかと思ったけれど、こうして休憩できる場所があるとなったら一気に余裕が出てきたな。これなら当初の予定通り、最上流まで行って帰ることもできるかもしれない。
「ではー、休憩は長めにとってお嬢様の魔力回復を待ちましょうー。食事もここで摂っちゃいましょうねー」
言うが早いか、ユーネは自分の荷物から携帯食料を取り出す。味が薄くってパサパサしていて、がっつくと歯が欠けそうな堅パン。……あんまり楽しみにするようなものではないはずだけれど、ユーネはけっこうよく食べるからお腹が空いていたのかもしれないな。
「でも、食事の時間だけだとあんまり魔力回復しないよね。どうする? ここなら安全だろうし、昼寝しても大丈夫そうだけど」
「冗談。ここは床が乾いているとはいえ、下水道で寝転びたくはないわ」
それなら話でもして時間を潰すことになりそうだ。
下水道の構造のこととか、大ネズミとの戦い方とか、次に来るときランタンの他に必要なものはないかとか、いろいろ考えることはある。話題は尽きないだろう。
探索の途中の休憩って大事だな。身体を休みつつ行くか戻るか方針をじっくり考えられるし、今までの反省もできるし、先へ行くための作戦を考えることもできる。うん、とても大事。
ウンウンと頷きながら、僕は自分の携帯食料を出す。下水道で食事を摂るのって抵抗感あるな……でも食べなければ力は出ないから、素手で触れないように包み袋から直接堅パンを囓る。うん、味気ないしパサパサする。
「最上流まであとどれくらいなんですかねー」
ユーネが水で堅パンを流し込んで、扉の方を見る。
「もうそこまで遠くはないんじゃないかしら。広いと言っても町の中心部だけだもの。くまなく歩くつもりならともかく、直線距離だとそこまででもないはずよ」
「でもまっすぐは行けてないよね。何度も曲がったし、それにネズミと戦いつつだからあまり進んでない気がする」
「たしかにー」
西側の地図を見たときもどうかと感じたけれど、実際に来て改めて実感した。下水道の構造はかなり入り組んでいる。ちょっとおかしいと思うほどに。
さらに言えば暗さと足場が厄介だ。松明の明かりの分しか見通せないのに床が塗れてて滑るしすぐ横は下水が流れているし、どうしてもゆっくりとしか進めない。
当たり前だけれど、地上とは全然違う。
「そうだリルエッタ。地図を見せてよ」
感覚はあくまで感覚だ。本当はどうかなんて分からない。けれど、彼女が描いていた地図を見れば実際はどれくらい進んだかも分かるのではないか。
僕はそう思って、あまり美味しくなさそうにチミチミと堅パンを食べる少女へ顔を向ける。目をそらされた。
「……リルエッタ?」
なんだか嫌な予感がした。
「お嬢様?」
ユーネも不信の声色だ。きっと僕と同じ予感がしたのだろう。
松明の明かりでチェリーレッドの髪をさらに紅く見せる少女は、まるで遠いどこかを見るように何もない壁へと視線を向ける。
「地図は……見せたくないわ」
そんなのいいわけあるか。
「ユーネ、僕が捕まえてるから荷物を確認して」
「ですねー。ちょっと冗談では済ませられませんー」
「躊躇いなく実力行使に出るじゃない! やめなさいやめて!」
リルエッタは暴れるけれど、しょせんは魔力切れ寸前の魔術士である。年上とはいっても背丈は同じくらいだし、一応前衛の僕に力ではかなわない。彼女の肩を掴んで動きを止めている間に、ユーネがリルエッタの荷物をあさる。
出てきた地図の羊皮紙を開く。
「……よし、帰ろっか」
「判断が早いわね!」
だって下水道で遭難したくないし。
「道順は分かるでしょう! 分岐をどう進んできたかは分かるから、これを見れば帰ることはできるじゃない!」
たしかにそれはまあ……問題はない、かな?
読み解くのに時間はかかりそうだけれど、記憶と照らし合わせれば、ああここはあの時の角か、あの橋を渡った分岐か、というのは分かる。帰るくらいはできるだろう。
けどダメでしょこれ。
「縮尺おかしいよ……なんでまだ途中なのにもう羊皮紙からはみ出しそうなのさ。今いるこの部屋だってこんなに小さくないし」
「仕方がないじゃない。どれだけの大きさで書き進めればいいのか分からないのだから! 暗いしちょっとくらい大きく描いた方が見やすくっていいのよ!」
「こんなグニャグニャした道はなかったですよー。道幅も特に変わらないのに、地図だと最初の方と全然ちがいますしー」
「た、立って羊皮紙を抱えながら描く大変さが分からないのかしらっ。描いてる途中で大ネズミが襲いかかってくることもあるし、そしたら線がブレるくらいするわよ!」
まあ、リルエッタの言うことも分からなくはない。なんなら僕だって同じ失敗しそうだ。
そもそも遺跡探索も地図を作成するのも初めてなのだし、上手くできなくて当然だと思う。
とはいえ不安すぎる。だってこれ、遺跡の地図だと言って他の冒険者に見せたら笑われそうなデキだ。こんなんじゃ黒鱗シーサーペントの剣牙亭だって買ってくれないに違いない。
これでこの先を進むのは……やめといた方がいいだろう。実際に帰れるかどうかは関係なく、不安を抱えるのが良くない。だって僕はこれ以上一歩も進みたくない。
今日はとてもとても貴重なことが分かったな。地図が汚いと精神に悪い。大切な学びだ。心に刻もう。
「というかリルエッタ、単純に絵が下手なんじゃない?」
「大ネズミみたいに魔弾で撃ち抜かれたいのかしら!」
大声が狭い室内に響く。グワングワンと反響して、耳の奥がキーンとする。
帰ったら何よりもまず地図の書き方だなぁと、僕は耳を塞ぎながら肩をすくめた。




