上流へ。
「実は、遺跡探索はちょっとしてみたかったんですよねー」
入り口でそんな話をし始めたのは意外にも、火をつけたばかりの松明を掲げたユーネだった。
行く先を炎が照らす。どうやら狭い通路になっているようだ。僕とリルエッタならギリギリ並んで通れるくらいの幅だ。
「ユーネがそんなことを言うなんて珍しいわね」
流れてくる下水の臭いがキツいのか、ハンカチで鼻を押さえたリルエッタがくぐもった声を出す。僕と同じことを思ったらしい。
「だって勇者様の物語にも、遺跡を探索する話があるじゃないですかー」
勇者様の物語か。たしかにあったな。
「神様が造った遺跡に挑む話だよね」
「そうですそうです。あの話は面白いですよねー」
あの話は僕も好きだ。仲間と一緒に罠をかいくぐりながら進んで、最後にはすごく強い竜と戦ったんだっけ。この下水道には大ネズミくらいしか出ないから竜は出ないけれど……ああいや、ワニは前に出たのか。下水道は西と東では繋がっていないはずだけれど、一応それも気をつけた方がいいだろう。
スピフィとフォルトは灯りの魔術だけ遺して、もう冒険者の店の方へ戻ってしまった。はしごの上の扉もとっくに閉められている。つまり、松明に火をつけたらもう出発するだけだ。
「……よし、行こうか」
暗い中を踏み出す。これは勇者様もやった遺跡探索だと思えば、少しやる気も湧いてくる。勇者様ごっこは村の子供たちの間でもよくやっていた。僕は混ざったことはないけど。
隊列は僕、リルエッタ、ユーネの順。松明を持つのはリルエッタだ。僕の武器は槍でユーネはポールメイスだから、どちらも両手が塞がってしまう。ただ彼女はマッピングもするから、そのときは僕かユーネが松明を持つことになっていた。
当たり前だけど進めば先の様子が見えてくる。この通路はまだ下水道ではなかったようだ。だってどこにも水が流れていない。流れているのはこの先で、すぐに直進を遮られた。
「これが、遺せ……下水道なのね」
意外なほど近くからリルエッタの呟きが聞こえてくる。なんで言い直したのかは聞かないでおいた。たぶん臭いから。
揺らめく松明の炎が下水道を照らす。右から左へゆっくりと、濁った水が流れているのが見える。どうやら真ん中を下水が流れるようにしてあって、両側は人が歩けるようになっているようだ。
上を見れば、天井はアーチ状になっていた。上部まで切り出し石を組み合わせて造られているので、なんだか横から見た大橋を思い出す。橋桁と橋桁の間はたしかこんな感じだった。
「どっちに行く?」
壁に手を触れるとやはり湿っていて、指先に汚れがついた。
向こう岸はちょっと跳んで届く距離ではないから、行ける場所は限られていた。つまり右か、左か。
「上流にしましょう。もしこの遺跡が魔術陣になっているのなら、起点になにか術式があるかもしれないわ」
「魔術陣なら下流にも循環の術式があるんじゃない?」
「ないでしょう。水は上には流れないもの」
……そういうものらしい。
マナの媒介が水だと循環の術式は使いづらいのだろうか。グミさんの錬金術で魔術陣には触れてきたけど、やっぱりまだ分からない部分が多いな。ちゃんと理解できてるリルエッタはすごい。
「この場所を忘れないようにしなきゃですねー。まあ、素通りはしないでしょうけどー」
ユーネは壁に立て掛けてある木の板を見下ろしながら、そう苦笑いする。たしかに、と思って僕も苦笑した。
立て掛けの板は看板のようで、白い字で大きく『出口』と書かれているのだ。それどころか、壁にも大きな矢印と共に同じ文字が書かれていた。東の冒険者が目印に書いたのだろう。ヘタクソな字で殴り書きだけれど、それがいかにも冒険者らしくって笑ってしまう。
「遺跡をなんだと思ってるのかしらね……」
「たぶん西にもあると思うよ」
リルエッタはぼやくけれど、手に余るほどたくさん大ネズミが出てきた時、逃げている最中に出口を見落としてしまったら最悪だ。たぶん生きて帰れない。
だからこれくらいは冒険者にとって当然で、むしろ控えめな方だと思う。
実際、僕もちょっと安心したし。
「ユーネ、松明を少し持っていて」
「はいー」
リルエッタはユーネに松明を渡すと、羊皮紙とペンを取り出す。
まずはいっぱいに半円を描き、その中央より少し下くらいに小さな円を書いた。そこから半円の底辺の方へ線を少し引っ張った後、その左右に別れ道を描く。
「この半円は、東側の町の中心部。つまりこの下水道のだいたいの広さを予想したものよ。普通の遺跡だったらそんなの分からないから、少しズルかしらね?」
「分かるのならいいんじゃないかな? チッカなら、描かなかったら逆に怒ると思う」
「ですねー」
どうせなら地図の書き方、チッカに聞いてくれば良かったな。まあ今朝はいなかったんだけど。
まあ今そんなことを後悔しても仕方がない。フォルトはデキのいい地図ができたら買うと言っていたけれど、何日も潜ってしらみつぶしに歩き回る気はないのだ。
とりあえず帰り道が分かればそれでいいのだから、完璧な地図は必要ない。
「いい? 今日は上流、水の流れの一番元の場所まで行って、何かないか調べて戻って来ましょう。つまりここね」
リルエッタは半円の底辺の端っこを指で示す。
どうやら目的地は決まった。
「でしたら右ですねー」
ユーネがリルエッタに松明を返し、自身の武器であるポールメイスを持つ。僕も槍を手に、慎重に歩き始める。
炎が照らす下水道内に、コツン、コツン、ピチャン、コツン、と三人分の足音が響く。
湿気っているからか、たまに水が溜まっている場所を踏んで水音が混ざる。つまり足元が濡れているから、地面は滑りやすい。たまにヌルッとするし。
「足元に気をつけて」
特に滑りやすい場所は後続にそう注意しながら、チラリと下を見る。
濁っているから底は見えない。なので深さは分からないけれど、たとえ落ちても泳げさえすれば自力で這い上がれそうな水位ではある。……とはいえ、汚水の中に飛び込みたいなんて絶対に思わない。暗くて滑りやすい足元を確認しながら進む。
すぐに道の分岐が現れた。左右に通路が続いていて、左へは小さな橋が架かって向こう岸に行けるようになっている。水の流れは……左側からだ。
「左へ行きましょう」
また松明をユーネに持ってもらって、地図を記したリルエッタがそう言った。とりあえず流れを辿っていく方針のようだ。
「先に行くね」
さすがに僕らが乗ったところで落ちる橋じゃないだろうけれど、まずは僕が一人で渡ってみる。通路より細くて壁がないので、少し不安だ。転びそうになったとき壁に寄りかかれない。
ここは注意だな。襲われたら困る。こういう場所はさっさと通り抜けた方がいい。
「よっと」
向こう岸まで渡りきって、ふうと息を吐いた。……それで、自分の緊張を自覚する。
まだいくばくも進んでないのに、暗さと足元の不安さで呼吸が浅くなっている。肩肘が張っていることに気づいて、首と肩を回しながら深呼吸する。胸いっぱいに臭気を吸い込んでしまって、ゲフッと咽せた。
「何やってるのよキリ。大丈夫?」
「……大丈夫。渡って来てもいいよ」
心配したのは僕の身体か頭かどちらかだろうけれど、周囲のことだと聞き違えたことにした。下水道で深呼吸して咽せるとか、恥ずかしい失敗は説明したくない。
―――ヂヂッ、と鳴き声がした。トトトッ、と音がした。
顔を上げる。松明の明かりの向こうで、何かが動いた気がして。
「やっぱり渡っちゃダメだ!」
僕が槍を構えるのと同時、暗闇の向こうから大ネズミが跳びだして来る。




