剣士の条件
「俺に軍の指揮官なんざできるわけねぇんだよ」
小指を耳の穴に突っ込んで、耳垢を掻きだしながらそう答えられた。
この男はいったいなにを言っているのか。
「そりゃたしかに海向こうじゃ一番でかい傭兵団にいたから、戦争の経験はあるけどな。ぶっちゃけ俺、ただの下っ端だったぞ。お前みたいな馬鹿に頭なんか任せられるかって、ずっと言われてたくらいだ。指揮なんか一回もしたことねぇよ」
フッ、と出てきた耳垢を息で吹き飛ばす男。その不真面目な態度が、逆にこの話の信憑性を上げているように感じた。
じゃああの賭けはなんだった? 最初から成立しないじゃないか。仕掛けたのはそっちだろう。―――なんて疑問、最初からやる気なんかなかったなら全て納得できてしまう。
「つーか、冒険者の代表だって成り行きでやってるだけなんだよな。ペリドットのヤツに押しつけられてよ。ほんっと余計なことばかりしやがって……まあそんなわけで、全軍の指揮なんかできねーのよ。やれって言われてもヤダって言うだろそりゃ」
夜の闇は深く、視界は悪く、岩山も森林も砦も見えやしない。ほんの数歩の距離より先は真っ暗が遮っていて、不気味な虫や風の音が聞こえてくるだけ。
馬車の席に座って王都へ行った時とは違う。こうして野営すれば、町の外の夜は魔物の時間なのだと嫌が応にも思い知らされる。
……不可解だ。そんな夜の闇よりも、この男の方が見通せない。理解できない。
「あなたは、おれが勝ったと思ったからああ言ったのではないのですか?」
「は? そんなワケねぇだろ」
月明かりだけが淡く周囲を照らしていた。
けれどその薄明かりに浮かび上がるのは、呆れの色で。
「ガキんちょとお前の試合なんか明日のための余興だろ? 盛り上がって士気が上がれば御の字だ。そういう意味ではよくやった。期待した以上のいーい試合だったぜ。まさかお貴族様がド田舎の農民出なんかと互角にやり合うとは思わなかった。ふがいなさ過ぎだろお坊ちゃん」
奥歯が折れそうな音を鳴らす。
自分が馬鹿にされるのは、分かる。けれど今の言い方はない。
キリネは強かった。あの試合の流れは最初から最後まで綿密に組まれたものだったと、今なら分かる。剣の技術は自分が上だという自負はあるけれど、戦術で上をいかれて負けたのだ。
田舎の農民出身? そうだとしても、彼はもう冒険者だろう。様々な経験をして、戦闘の訓練をして、魔物と戦ってきた戦士だ。
「……おれの勝ちだとも思っていないのに、勝敗をねじ曲げようとしたということでいいですか?」
声量を押し殺すのに苦労した。
―――少しだけ期待していた。あの試合はお前の勝ちだった、と言ってもらえたらと惨めに考えていた。
彼の言うとおりだ。完勝すべき勝負でふがいない姿を見せてしまった。最後の最後で気を抜いてしまった。叫びながら地面に頭を打ち付けたくなるほどの無様だ。
それでも元傭兵だというこの冒険者の代表が、おれの勝ちだと言ってくれたと……それに縋り付きたかった。
剣の柄に手を伸ばす。
あれは神前の試合だった。おれとキリネの闘いだった。正々堂々とした勝負だった。
それを侮辱したというのなら、ここで斬り捨てよう。例え返り討ちになろうが、ここで許すことはできない。
「どっちの勝ちだったとか興味ねぇよあんなクソ試合。どうせガキのお遊びだろ。強いて言えばどっちも負けだ」
殺す。
「剣は誇りなんだろ?」
そう問われたのは、柄を掴んだ瞬間。
抜けなかった。ピクリとも動けなかった。刃が夜気に触れれば、もう戻れないぞと言われた。
男は冷ややかにおれを見下ろす。
「ああ、アレは試合用の木剣だったってか? 木剣だろうがなまくらだろうが、名剣宝剣魔剣だろうがなんにも関係ねぇよ。なんならその辺に落ちてる木の枝でもいい。誇りってもんは得物の値段に宿るわけじゃねぇ。……誇りってもんが宿るのは、ソイツが人生で積み重ねてきた時間だ」
今ではない。未だ、彼は試合の話をしていた。
剣の、話をしていた。
「剣士を名乗るなら、ソイツの人生は剣で出来てる。棒っきれを振り回して、棒っきれを振り回すために生きてきた大馬鹿だけが恥ずかしげもなく剣士を名乗る。人生も誇りも命もなんもかんも全部剣に乗っけられるクソ野郎だ」
そんな……特殊な人種の話をされても困る。
剣を棒っきれにと言うくせに、その棒っきれに全部乗っけられるだなんて、どんな人生を歩めばそうなる?
ただの破綻者じゃないのか。
「そんなヤツが二人で顔を合わせて、ここで死んでもかまわねぇと比べ合うのが剣術試合の醍醐味だろうが。俺はこんな人生を歩んで来たこんなクソ野郎だ。なに言ってるんだ俺の方がクソ野郎に決まってんだろってな。他を蔑ろにしてきた分だけ人としてはゴミになって、敵を斬り伏せた数だけカルマを下げて、命を奪って得た金でメシを喰い繋いで、そうして手に入れた強さごときを誇りと称してぶつけ合う。だから見応えがあるんだよ」
その生き方ができるのは、クズだけだ。
「コルクブリズの判定は、まあ順当じゃねぇの? どっちの誇りも地に落ちました、だから勝者ナシ。ガキの試合ごっこだ。いいじゃねぇか微笑ましくて。二人の実力を比べ合いましょうって試合で、弱いまま強いヤツに勝つための奥義を出しやがったガキんちょも非常識だがな。でも、お前もお前でナメ過ぎだった」
そんな、侮辱するような目で、見ないでくれ。
「あの武器落とし、対戦相手が痛い思いをせず負けられるように一生懸命練習したんだろ? お優しいことだなお坊ちゃん」
剣の柄を握る手の力が抜けた。膝から崩れ落ちそうだった。
それは違うと叫びたかった。けれどできなかった。
「じゃあな、せいぜい明日は死なないように気をつけろ。初陣で死ぬタイプだぞお前」
踵を返して、背を向けて、男が馬車の方へと戻っていく。
言いたいことだけを言って、抉るだけ抉って、去っていく。
「……なぜ」
それが悔しくて、許せなくて、声を絞り出した。
「なぜ、指揮官なんてやる気もないのに、あんな賭けを仕掛けたんですか?」
そんなことくらいしか聞けなかった。
男の足が止まって、こちらを面倒くさそうに振り向いて、回答はたったの一言だけ。
ああ……もしかしたらそれは、おれへの問いかけだったのかもしれない。
「目くらまし」
これを聞いて、お前はどうするんだろうな? と。




