なぜ?
少しだけ、みんなと離れる。魔力の明かりが届かない場所。けれど薄い月明かりが照らしてくれて、視線を巡らせば作業しているみんなの姿も見ることができる、本当に近く。
わざわざ他の人に声が届かない場所まで来た理由は、いったいなんなのか。
「さて。なによりもまずは、今日の試合についてだな。素晴らしき戦いであった。あれほど心躍ったのは久方ぶりだ。君に賞賛と感謝を贈りたい。ありがとう」
ありがとう、とな……?
「えっと……お礼を言われるようなことはしていないんですが」
指揮権を賭けてたんだから僕が勝ったら領主様としてはダメだったわけで、しかもエルノって領主様の息子なんだからその子を投げ飛ばしたわけで、少なくとも感謝されることは何一つしていないはず。
僕はこの人の敵方だった。……なぜか最後、この人は僕の勝ちだと言ってウェインと揉めていたけど、それはそれとして立場としては敵方で間違いないはず。
「行軍は体力と精神力が削られていくものだ。混成であれば特にな。ここに来るまでに皆は少なからず疲弊していたし、そして悪い雰囲気も漂っていた。だがあの試合は見る者に気力を漲らせ、双方の陣営に良い影響を与えてくれたと思う。―――君のような子供があれほどの戦いを見せるならば、明日の戦いでは誰一人として不甲斐ない姿を晒すわけにはいかぬだろう?」
「ええ……?」
そんなつもりで戦ったわけではなかった。ただ目の前のエルノを倒すことだけを考えていたし、それ以外のことなんか知ったことかと意識から捨て去ったほどだ。
だから本当にそんなの知らないし、お礼なんか言われても困るんだけど。
「引き分けに終わってしまったことだけは残念だったがな。できれば君の勝ちにしてやりたかったが、曲がりなりにも立会人として見届けた神官の判定では覆せぬ。許せ」
「僕の勝ちだといろいろマズくなかったんですか?」
おそらくはこの人にとって、あの試合は余興……いや祭事みたいなものだったのではないか。
日々の疲れを癒やし、皆で楽しんで笑い合い、明日を頑張ろうという気力を充実させるための催し。村の神官さんもお祭りの時は毎回、とても重要な行事だと言っていた。
だからあんな条件まで飲んで、事を大きくした。この一団にはそれが必要だと判断したから。
けれど、それはエルノが勝つという前提で成り立つはず。
「まあマズいな。領主として陣頭指揮し、危険な魔物を討伐したという実績は欲しいところだ。でなければ戦では頼りにならぬ貧弱領主として、先代と比べられる辟易した日々に戻ることとなる。……が、我が失うのはそれだけだろう」
しかし惜しくもなさそうに、領主……ノグランズ・リオノックスはそう言った。
「そもそも我に武才がないのは周知の事実である。ここは下手に汚名返上などと息巻くことなく、潔く負けを認めた方が体裁が良い。愚息も机上でしか戦を知らぬ我より、傭兵上がりからの方が学べることは多かろう」
穏やかな声。神妙な顔。まっすぐこちらを見つめてくる瞳。
どうしてだろう。少しうさんくさい……のだけれど、なぜかわざとそういう臭いを出しているような気がする。これで納得してくれるな、と言われているような。
……貴族としての体裁と、そしてエルノのため。その二つの理由はたしかに理解できる。けれど納得はできない。それだけでは足りないはず。
「ウェインが指揮することになったら、明日死ぬ兵士さんは冒険者の命令で命を落とすことになりませんか」
「おお。そなたはやはり頭が良いな。あのような戦い方をするだけはある」
少し考えてから投げた問いに、ノグランズは嬉しそうに微笑した。
「うむ。あれらは我の兵だ。我の号令で動かし、我が戦わせ、我の命令で死なねばならぬ。指揮を他者に任ずるにしても、それは我と兵の双方に信頼される人物でなければならぬ。でなければ士気は保てぬだろう。故に指揮権を渡すにしても、号令をかけるのは我でなければな。彼は助言者として我の補佐に迎え入れる形になるのが最良だろう。……なに、これでも交渉事は得意である。あの男がどれだけ手練れでも、話術に関しては素人だ。丸め込み条件を飲ませる自信はあるとも」
「それでは、指揮官は領主様のままということになりませんか?」
「うむ。かくして我は体裁を保ち、優秀な軍師を得て、魔物討伐の名声も得ることになる」
悪い笑顔だ。すごい似合うな。
つまり、この人は負けたときのことも計算ずく。むしろその方が利が多いとすら考えていた……か。
どうやら大変な条件だと思っていたあの賭け品は、大人の事情で形を変えるフワフワしたものだったらしい。肩の力が抜ける思いだ。元々背負ってなんかいなかったけれど。
「だがまあ、そのシナリオは面倒ではあるし、上手くいかない可能性もある。わざわざ選ぶほどの利はないのだが」
けれど今度は仮面を変えたように悪い笑顔を脱ぎ捨て、領主様はさも面倒くさそうに首を横に振る。僕はその変化について行けず、少しだけ固まってしまう。
ええっと……でも、そう言われれば、たしかに?
領主様からしたら軍師にウェインがつくというのは頼もしいかもしれない。けれどそのためには賭けの相手であるウェインを説得して、兵士たちを納得させて、なんとか士気を保たなければならなくて。……普通に綱渡りだ。この人はやりきる自信はあるのだろうけれど、やりたくはないに違いない。
でも、じゃあ、ここまでの話はいったいなんのために……―――
「故に我はただ、そなたが勝利したと感じたから、そう主張しただけに過ぎぬ」
―――どうにでもできる。どちらでもいい。だから、公正に判断したのだ、と。
あれは僕の勝ちだったと、貴族であり領主であるこの人が、認めてくれると。
「エルノの父親なら、贔屓すべきでは?」
言いようのない感情が胸の奥から湧き出しそうになって、それに蓋をするように問いかける。
「そなたに倒された後、愚息がなんと言ったか覚えているかね?」
僕が、エルノを倒した時。投げ飛ばした、後。
覚えている。初耳で驚いて、知らなかったのは僕だけだったと恥ずかしくなったあの言葉。
「剣を落としたら負けだ、と」
「それだ。地に倒され命を握られた状況で、愚息は勝ちに縋り付いた。いまだ終了の合図もない内に気を抜いて油断するなどという無様を晒しておいて、判定を乞う言葉しか出てこなかった。あれでは父といえども贔屓する気も起きぬよ」
身内の恥だと眉間にシワを寄せて、ノグランズ・リオノックスは口髭を撫でる。
「あれは宝剣や名剣と同じだ。いくら切れ味鋭かろうと、美しさや希少価値をもてはやされ芸術品として飾られていれば、いずれ存在意義がねじ曲がる。もしあれが純粋に戦うための武器であったなら、まず真っ先にそなたへ暴言を浴びせたであろうよ」
あ、暴言なんだ。
あれかな。ウェインやスピフィみたいに、ぶっ殺す! テメェこの野郎! クソが! みたいな言葉だろうか。エルノはそういう感じじゃないと思うけれど、でも言ってるところちょっと見てみたいかもしれない。
でも言われるの僕なのか。それはちょっと……ショックで落ち込んじゃうかも。
「貴族は戦う者。見栄を張る必要があるのは億劫だが、本質は民を守る剣であって、宝であってはならぬ」
今、億劫って言ったなぁ。見栄って面倒くさいのか。
この人は本気でそうかもしれないな。
「そういう意味では重ねて礼を言わねばならぬな。今回の試合、愚息にはいい薬になったであろう。そしてそれを教えたのが君のように賢く誠実な人物であったこと、幸運に思う。そしてこの出会いを神々に感謝するよ。……もしかしたら今後、領主として冒険者の君たちに依頼をすることもあるかもしれないが、その時はよろしく頼む」
「あ……えっと。はい。もしなにかあれば、精一杯頑張らせて……」
スッと握手を求められて、手を出しながら返答し、その途中ではたと言葉を止める。
今、君たち、と言われたな?
僕だけじゃなくてパーティの話だ。もちろん僕が固定パーティを組んでいる以上それは当然なのだけれど、相手は領主様だからけっこう大変なことをやらされる可能性もある。はたしてリルエッタやユーネに相談せず僕だけで決めていいのだろうか。マグナーンや教会と領主の関係によってはマズいんじゃないか。というか領主様の依頼ってギルドクエストになるから、普通の仕事より報酬安くなるんじゃないか―――
「そなたは本当に頭がいいな。……だがまだまだ、隙だらけだ」
強引に手を取られて、握手されて。
―――見ての通り武芸の方はからきしだけど、なかなかクセ者で性格悪いオッサンだから注意しておきなー。
……なんて、そういえばスピフィが言ってたなと思いだして。
やっぱりこの人は悪い笑顔が似合うなと、僕は口の端を歪めたのだった。
会わなければならない相手がいた。話さなければならない相手がいた。
確かめなければならない事柄があった。
きっと作戦を詰める前に軍全体の状況を確認しに行ったのだろう。最後の軍議が始まる直前、父上は少しの間だけ皆の様子を見に行ってくると言って出て行った。
戻ってくるのにそう時間はかからない。だから、話はすぐに済ませなければ。
のんきにのびをしながら歩いてきた元傭兵の冒険者の前へ、おれは進路を妨げるように姿を現す。
「ん? おう、どうしたお坊ちゃん」
「……少し、二人で話しませんか?」
腰に吊した鉄の剣の柄尻に手を置き、視線で馬車の列から離れた場所を示す。
聞かなければならない。どうしても納得できない。
―――なぜお前は、おれを勝たせようとした?




