判定
シン、と静まりかえった。風すら凪いでいた。
やがて周囲からザワザワと声がしだして、どよめきが大きくなっていく。
痛みに顔をしかめたエルノの目が、僕を見上げていた。
「キリネ……剣術試合は、剣を落としたら負けだよ」
「え、そうなの?」
やっと口を開いたエルノの言葉は、僕の知らない試合のルール。
それが合図だったように、どよめきはさらに大きくなる。その内容も耳に届くようになってきた。……これってどうなるんだ、とか、反則じゃないか、とか。どうやらみんなそのルールを知っていて、困惑しているらしい。
うわ恥ずかしい。知らなかったの僕だけだ。けれどたしかに剣術の試合なら剣で戦うべきで、だとしたら剣を手放した時点で負けが確定でもおかしくないというか、なっとくというか……
「たしかに。正式な剣術試合ならばこの勝負、そちらの少年が武器を手放した時点で勝敗が決まっているであろうな」
よく通る声が響いた。声量はそこまででもないのに威厳あるその音は、周囲の困惑すら沈める。
ざり、と靴が砂を踏む音がして振り向けば、すぐ近くに領主様の姿があった。
五歩の距離までやってきた領主様は背筋を伸ばし、厳格な表情で僕らを見下ろす。……正確には、地面に仰向けになったエルノを。
「しかし相手は冒険者であり、試合前にもその説明はなかった。であるなら、それはそなたの早とちりというものだ」
ぐ、とエルノが言葉に詰まる。それに追い打ちをかけるように、領主様は瞼を閉じて息を吐く。
「そして、その姿は勝者に見えぬ」
地面に倒れたままのエルノは、なにも言えず唇を噛む。
早とちり。……それでいいのだろうか。剣を落としたら負けというルールが一般的なものなら、それはそういうものだと考えて当然なのではないか。反則ではないか、とさっき観客の誰かが言っていたが、それで納得できるものだろうか。
「そいつは異議ありだ、領主さん」
その納得できないと訴える声は、領主様が来た方向とは逆から。
「剣術試合で剣を落とせば終わり、なんてのは常識だろ。説明がなかったからってぶん投げて勝ちました、つっても通るはずがねぇ。そもそも剣術で勝ってないわけだからな」
冒険者たちの壁をかき分けてこっちへ来ながら、ウェインが反対意見を言う。
たしかにそれはそうだ。最後の投げは体術だから、僕は剣術で勝っていない。それでは剣術試合の勝ちとは言えないのは明白だ。
あとやっぱり、常識なら知らなかった僕が悪いのではないか。
「そも、我は試合と聞いただけで剣術の試合とは聞いておらぬ。であるなら剣が落ちようが鎧が剥がれようが、有効な一撃が入るか降参するまで続けるべきだろう」
「いやいや、互いに木剣持ってりゃ剣術試合だろうがよ。んでもって、ルール上で勝ったなら気を抜いて当たり前だ。剣を落としたところで終わらないと分かっていれば油断はしなかっただろ。結果は違ってたかもしれねぇ」
「だが結果が同じだった可能性もある。我の目には、そちらの少年の戦い方は見事に映ったよ。賞賛に値すると感じるほどにな」
「いいや。ズルして勝ったんじゃ後味が悪い。ここは後腐れないよう、一般的なルールで勝敗を決めるべきだ」
…………んん?
ウェインと領主様の言い合いに、見守る観客が揃って首を捻っていた。僕もそんな気分だ。
領主様はエルノの父親なんだから、当然エルノの味方だよね。それで、ウェインは冒険者だから僕の側のはず。
二人はなにか大切なものを賭けてた気がするのに、なんで領主様が僕の勝ちを主張して、ウェインがエルノに勝ちを譲ろうとしてるの?
地面に寝転がったままのエルノを見ると、彼もまた眉をひそめていた。
「実戦であれば死んでいる」
「これは試合だった」
「そちらの少年は剣術試合のルールを知らなかった」
「不勉強な田舎者の手落ちだ。合わせてやる必要はねぇ」
「無力化したと勘違いして油断する方が悪いだろう」
「負けが確定した後に反則する方が悪いに決まってんだろ」
口論が進むごとに距離は縮まり、僕らはドンドンと置いてけぼりにされ、二人の声が刺々しくなっていく。
なんだ。これはいったいなんだ。なんで路地裏のチンピラのように超至近距離で睨み合ってるんだこの二人。靴の爪先がぶつかってるんだけど一歩も引かないのホントになんだ。
いろんな意味で恐いんだけど、これだけ観客がいる中でやるな。
「我は領主ぞ? 譲ってやるから受け取れ」
「冒険者が権力に屈しろと? くれてやるから持ってけ」
ヤメロみっともない。
「フフフフフフフフ、いやぁ素晴らしい。互いに勝利を譲り合うその心意気。己の立場よりも賭けの結果よりも、試合の勝敗が正当であることを最上とするその信条。積み上げた権威も戦歴も大人げない本性は隠せませんな」
横から投げかけられた声に、大人げない大人の首がグリンと回る。
立会人の神官はとてもいい笑顔でニコリと笑った。
「ですがこの試合は教会の神官である拙僧が立ち会った勝負ゆえに、神前のもの。そして、誇りを懸け全力で戦った彼らのものであります。外野は疾く下がるがよろしい」
領主とウェインの両方に睨まれて一切気圧されることなく、コルクブリズが睨み返す。……そういえばこの人、普段の振る舞いが悪すぎて忘れそうになるけどBランク冒険者で神官だったっけ。
「……道理だな。そして神前での試合ならば、勝敗の判定は立会人がすべきか」
「……そうだな。よりによってコイツかよと思わないでもないが、他に適任がいねぇ」
領主とウェインの二人ともが苦々しい顔だったが、どうやら決着の行方を委ねる相手が決まったようだ。
「下がる気はないと。まあよろしい。これ以上この戦いを穢しさえしなければ、神々もお赦しになるでしょう。なにより、最前列で結果を聞きたくなるほどに素晴らしい試合でしたのですから」
肩をすくめた細身の神官が、二人の大人からこちらへ視線を移す。
僕と、エルノへと。
「この神官コルクブリズ、お二人の試合に立ち会い、確かに見届けさせていただきました。そして神々に仕える者として、僭越ながらこの勝負の判定を務めさせていただきます」
聖印に触れた聖職者が一礼する。神々の判定が下る。
ゴクリと喉を鳴らす音が聞こえた気がした。今の音は自分のものだろうか。それともエルノのものだろうか。それすら分からないまま、審判が口を開く。
「勝者―――」
―――どっちだ。




