お誘い
「えらい! えらいぞチビちゃん! 自分で果たし合いのお誘いできるならもう一人前の男だ! いいぞ、カッコいい! 最高! 抱いて!」
そんなに褒められるようなことはしていない。
上機嫌にニャハハと笑うスピフィを見て、やっぱり早まったかなと後悔する。よくよく考えたら、帰り道も五日間はあるのだ。どこかで機会はあっただろう。
まだスピフィの技を習って二日目で、明日には本番とかちょっと無謀だ。
「バーカ、それでいいんだよ。完璧を目指すヤツは先延ばしにする理由を探してるだけだ。なにより、自分より強い敵に挑めないなら冒険者じゃない」
薄い月の淡い明かりを浴びるように、スピフィが両手を目一杯広げて笑う。
「強敵じゃなけりゃ、勝つ意味がないだろ?」
この人、なんで今まで生きてこれたんだろう。
「バッハッハ! こればっかりはスピフィの意見に賛成せぬわけにはいかんの。なにせ敵が強ければ強いほど、勝利の祝い酒は美味くなる!」
特徴的な重低音が夜に響く。今日もダルダンは手伝ってくれている。
さすがドワーフ。期待した以上の手際で本体を仕上げてくれていて、もう今日にも終わりそうな勢いだ。ただ昨夜領主様から振る舞われたお酒を飲みっぱぐれたことはずいぶんと効いてしまっているようで、今日は気を抜くと手が震えてしまうと言っていた。冗談だと思いたい。
「この非才の身にはあまり戦いのことは分からないが、早い内にやる利点はあると思うよ」
ずいぶんと目の下のクマが薄くなったグミさんが、布で丁寧に眼鏡を拭く。馬車の揺れが大きくなったけれど、どうやら平気そうでなにより。
この人はたまにこうして、強制的に睡眠を取らせた方がいい。
「ついたてがあるわけじゃないんだ。君が何をしているかを兵士たちが目撃すれば、エルノ君の耳にも入るかもしれない」
たしかに。兵士たちはあまり冒険者たちのいる列の後方には来ないけれど、見られる可能性はあるのだ。
実力的に僕が勝つには、スピフィの技に頼るしかない。けれど何をやるかを知られていたら、対策されてしまう可能性はあった。
明日試合をするのは悪いことばかりでもないのか。
「ユーネはあんまり無茶な特訓をしてほしくないですけどー」
あの技試すたびに治療してもらってるからね……。
「でも、無茶をするのなら勝ちなさい」
リルエッタはもう止める気はないようだ。エルノとは一応許嫁という話だけれど、僕を応援していいのだろうか。
まあそれを考える必要は……余裕すらも、僕にはないのだろう。
ただ明日のことを考えればいい。それ以外は余計だ。
「しかし、アタシの技を二日で使う気とはね。ニャハハ! いいじゃんいいじゃん、無謀は嫌いじゃないぜ」
「うん。多くても二回しか使えないなら、二個に絞って覚えようかなって」
何度も使えないなら、あらかじめ使う技を決めておけば、それだけを訓練すればいい。魔力の発動自体はできるのだから、それなら今日だけで習得することも可能だろう。
問題はどれを使うかだけれど……。
「へぇ……チビちゃん、分かってるのか? それはお前、あのエルノをハメるってことだぜ?」
言い方が悪いなぁ。
「あらかじめ使う技を決めておくってことは、それが決まる状況に誘導するってことだ」
「うん。そのつもり」
僕は木剣を握る手を持ち上げる。
試合とはつまり、この木剣を先に相手の身体に当てれば勝ちという勝負。であるなら、選択肢は多くない。
つまり攻撃か、回避の動き。つまりこちらから防御不能の攻撃で先に剣を届かせるか、あちらの攻撃を向こうの予想を越える動きで避けて反撃するか。
使える時間は今夜中。なら回避は無理だ。動きの候補がたくさんありすぎる。魔力を使うなら、右に避けるか左に避けるかですら、個別に練習しなければならないだろう。改めて考えても、これを使いこなせるスピフィはおかしいと思う。
今から短時間で習得するなら、自分から動く技でなければいけない。攻撃技しかない。
「よぉガキんちょ、なにやってんだ?」
その声は聞き慣れたものではあった。けれど、普段とは違う気がした。いつもの元気がないというか、ジメジメ暗いというか、とにかくらしくない。
振り向けば見慣れた、一房だけ白が混じった濃い茶色の髪の戦士がいた。肩を落としていかにも疲れていますと言ったふぜいで、こっちに向かってくる。
「ウェイン……」
「これはこれは、冒険者の代表さんじゃん。お疲れ!」
肩を掴まれた。それだけで動けなくなった。前もやられたヤツだ。どうやっているのかまったく分からない。
「チビちゃんならアタシが稽古つけてやってるとこさ! あんまり期待はしてなかったが、なかなか悪くないな! 明日エルノとぶつけるから観てやれよ!」
「……魔剣士スピフィがガキに稽古? で、あの領主の息子と再戦……? なんかやってるなとは思ってたが、スゲー不安だなおい」
ウェインは口元を歪めて僕とスピフィを見て、それからグミさんたちの方へと目を向ける。視線はドワーフの重戦士のところで止まった。
「なあダルダンのオッサン。何やってるか知らねーけど、大丈夫なのか?」
「かまわんじゃろう。無茶をせねばならん時はある」
「無茶してんじゃねーか」
落とした肩をさらに脱力させて、ウェインはため息を吐く。
「まあ、オッサンが言うなら……いや全然不安だな。酒カスの言うことなんか信用できるわけねぇわ。せめて死なないように気をつけろよガキんちょ。ソイツ、ヤベー女だぞ」
「ニャハハハハ! 言ってくれるじゃん。こないだの顔合わせが初対面のクセに、アタシの何を知ってるっていうんだい?」
「黄色と紫の髪見ればフツーじゃねーのは分かるだろ」
たしかにスピフィは変な髪だけれど、見た目でそんなふうに決めつけるのはどうかと思う。
ちゃんと中身を見れば、想像以上だってことが分かるのに。
「ま、明日ガキんちょが領主の息子と試合するってなら、観にはいくぜ。シェイアとチッカも誘って……いやもう、せっかくだし全員で観に行ってやるからよ、今度はもうちょっと見応えのある勝負しろよな。できれば最っ高の酒の肴になるようなヤツ頼むわ」
完全に他人事でそう言って、ウェインはニッと笑う。
なんて清々しい笑顔だ。これは勝てるとは思ってないな。その上で観客を連れてくるってことは、後でみんなで笑いものにする気だ。これで無様に負けたら一ヶ月はお酒の肴にされてしまう。
負けられない……これは、負けられない。
「じゃ、せいぜい頑張れ。明日は楽しみにしてんぜ」
ウェインは無責任に応援だけして、軽く手を振って背を向ける。どうやら本当に通りかかっただけのようで、何か用があったわけではないらしい。
……その背中に、声をかけようか迷った。
エルノの言い方では、まだ領主様から声はかかっていないだろう。でも、早ければ今日にでも誘われるはずだ。
どうするのだろうか。似合わないから断る気もするし、待遇さえ良ければ受けるような気もする。
前に聞いた話では、綺麗なお嫁さんと結婚して小さな家を建ててささやかに暮らすことが野望だとかなんとか。それは別に、冒険者でも兵士でもできることだと思う。
―――なら、引き留めるのも違う気がする。
冒険者はみんなダメ人間。冒険者が引退するということは、ロクデナシではなくなるということ。かつて、まだ僕が冒険者になりたての頃にそう教えられたことがある。
だからもしそうなるのであれば、祝わなければいけない。……そんなふうに考えてしまって、結局声をかけることはできなかった。
僕は。
「待てよ、代表さん」
肩を掴む女性の手に、力がこもっていた。
「聞くところによるとお前、物好きにもチビちゃんを訓練してやってるんだって? だったらそんな他人事みたいに行っちまうのはどうかと思うぜ。教え子が明日戦うんだ。ここは一つ、チビちゃんに協力してやんなよ」
言っていることはマトモ。だけど聴く者の神経を直接撫で回すような、ざらりとした舌で心臓を舐められるような、挑発的な口調だった。
僕のことなんか口実でしかないと、耳にするだけで分かってしまう声音。心の底から楽しそうで、心の底から嘲笑っていて、心の底から期待している。
眉をひそめながら、ウェインが振り向く。
「協力って、技の一つも教えてやれってか? 悪い、領主に呼ばれててな。これから軍議なんだわ」
「待たせとけばいいじゃんそんなの。どうせ面白くないんだから」
キン、と小さくて硬質な音が鳴った。剣を少しだけ抜いて、また戻す時に鍔が鳴る音。
夜の闇に、それは鈴のように響く。
「小難しいつまんねー話なんかより、面白おかしく楽しく遊ぼうぜ。そうやって生きるために冒険者になったんだろ、傭兵」
悪魔のように、スピフィは笑っていた。
「せっかく剣士が二人、ここにいるんだ。明日試合が控えてるチビちゃんのために、一つ剣士同士の戦いってやつを見せてやろうじゃん」




