喧嘩好き
高く、美しい声が風に乗っていた。耳に心地よい鼻歌は、ヒリエンカでは聞いたことのないもの。
おそらく無意識のものだろう。黄と紫の髪がピョコピョコとリズムに合わせて跳ねるのも、彼女は気づいていないはずだ。
そしてそれを指摘したところで気にはしない。むしろ喜んで罵声を浴びせてくるだろう。いつも挑発的な言動をするこの女性は、喧嘩の機会をいつも狙っている。
迷惑なことに彼女にとって、喧嘩は娯楽なのだ。楽しんで喧嘩し、気持ちよく勝敗を決め、また次の相手を誘うのが、派手好きな彼女の習慣なのである。
冒険者にとって喧嘩は日常なのだから、こういう喧嘩好きにとっては天職だと言える。我の強い腕自慢、それも西に比べてガラの悪い者たちが集まる傾向にある黒鱗シーサーペント亭ならば、この女性が退屈することはない……はずだった。少なくとも東のトップに上り詰める前なら退屈しなかっただろう。
「やあ、上機嫌だねスピフィ」
「おうペリドットじゃん。へっへー、分かる? 分かっちゃうだろうなー。そう、何を隠そうアタシは今すっげー機嫌いい! なんせチビちゃんたちに癒やされてるからねー。ほら、若い力を吸うと元気出るだろ?」
「君、十分若いだろう?」
たしかグミとかいう錬金術師の手伝いをしているんだったか。昨夜も完徹しただろうに元気なものだ。
「あまり子供たちをイジメないであげてくれないか。君の愛情表現は、彼らには刺激が強すぎるからね」
「ニャハハ! まるでお兄ちゃんみたいなこというじゃん、太陽の輝きの。だけどヤダよ。あんなおもろいオモチャ、かまうなって方が無理があるでしょ? どうしてもってなら、代わりにそっちの兎ちゃんモフらせてくれるなら考えてやんよ。姿見えないけれど来てんだろー?」
「ハハハ、相変わらずだねぇ。テテニーは人前に出るのが苦手だから、少し離れた場所にいるよ。あまり離れないように言ってあるから、近くにはいるはずだけれど」
馬車を牽く馬の蹄がパカパカと地面を鳴らし、車輪がカラコロと音を立てて、その速度に合わせて歩く。
西の筆頭と東の筆頭。とはいえ、そうなったのは互いに最近だ。顔を合わせるようになったのはそれからなのだから、けして深い仲ではない。
とはいえ、分かることはある。この女がここまで上機嫌であるなら、それはロクデモナイことが起こるのだ。
「よし、言い方を変えよう。何を企んでいる?」
隣で歩く者にだけ聞こえる声で、問う。馬車の音で声はかき消されるから、よほど耳の良い者でも盗み聞きは難しいだろう。
「お、一口ノるかい?」
だというのに、普通の声で返される。
隠す気がないのか、信用しているのか。……それとも、聞こえた者は全てノってくると確信しているのか。
これは、待たれていた可能性もあるな。
「ニャハハ! いいぜ、それならお前も仲間だ。協力しろよ、ちょうど手が足りないところだったんだ」
「まだ何も言ってないんだけどね」
「とりあえずお前んとこのダルダン貸せ。あの酔っ払いドワーフが必要なんだよ」
「うん、いつも通り話を聞かないね」
やれやれ、と肩をすくめる。どうやら彼女は今回、とても楽しんでいるようだ。
だいぶん日が傾いてきた。もうすぐ平原の村が見えてくるだろう。牧羊の盛んなあの村に寄るのなら、夕食は羊肉だろうか。
「で、結局なにを企んでいるんだい?」
「ニャハハ! そんなの、喧嘩に決まってるじゃん。西のヤツらは腑抜けばっかりだと思ってたが、あのチビちゃんは望外だ。今回は絶対いいのが観られるぜー!」
「うん、あまり子供たちをイジメないであげてくれないか」
これを言うのは二回目だが、聞きはしないだろう。無類の喧嘩好きなのは知っていたけれど、どうやら自分がやるのではなく観戦するのも好きらしい。
おそらくキリネ君とエルノ君をぶつけるつもりだと思うが、はたして上手くいくのだろうか。あの二人はあまり本気で喧嘩する印象はないのだが。
「……喧嘩か」
派手な髪の女性が嬉しそうに歩く横で、馬車の音に消えるように呟く。世間では控えるべきだとされてはいるが、自分は忌避すべきものとは思わない。
もちろん好きで誰彼構わずふっかける彼女は論外だが……喧嘩とは、ただイラつく相手と殴り合うことではない。気に入らないだけなら、ただ離れればいいだけなのだから。
喧嘩とは―――真正面からぶつかり合い、気に入らない相手と折り合いをつける過程。
今後の関係を構築するための儀式に他ならないのだから。
「喜べお前ら! このスピフィさんが今夜から、酔っ払いドワーフのダルダン大先生を助っ人に呼んできたぜ!」
羊肉の料理はとても美味しかった。特にあばら骨の回りの肉を骨付きのまま焼いたヤツがすごく良かった。
臭みがあるからとリルエッタはあまり食べなかったけれど、あれを食べてパンを囓るとなんかこう、すごく美味しくて良かった。とても美味しかった。
「バッハッハ! 紹介にあずかった火竜酒のダルダンじゃ。錬金術は分からんので手を出しあぐねていたが、東の嬢ちゃんが言うには問題ないらしいからの。ドワーフの職人技、遠慮なく披露させてもらうぞい」
その骨付き肉の一番大きいのを高々と挙げ、海猫の旋風団の重戦士は豪快に笑う。
この人、いつも酔っ払ってるから職人のイメージ全然ないんだけど。
「待ちなさい。貴方、戦士職のドワーフでしょう? 手伝ってくれるのは嬉しいけれど、錬金術の品はすごく繊細なのよ。細かい木工なんてできるの?」
僕と同じ不安を感じたリルエッタが即問いかける。Bランクの冒険者に物怖じしないの、本当にすごいと思う。
「うむ。儂の本業は酒蔵の経営なのでな。酒樽ならいつも作っておる。酒が漏れないように、かつ見栄え良く円形に造るのはけっこうコツがいるものでな。おかげで木工はそこそこ得意じゃぞ」
「おおー、急に頼もしく思えてきましたー」
職人としての顔なのか、急に真面目になって答えてくれる髭のドワーフさん。Bランク冒険者の口から本業がどうとか聞き捨てならない言葉が出てきた気もするけれど、ユーネが拍手する気持ちも分かってしまう。
僕らだけだと正直、組み立てが一番の不安要素なのだ。試作を繰り返していた時は四人がかりで、毎回苦戦しながら釘を打っていた。
「ダルダンのトコの酒は強すぎて飲めたもんじゃないけどな! アタシは吐いたぜ!」
「バッハッハ! ドワーフの酒じゃからの、人間の女子供にはツラかろう」
「子供は酒飲まないっつーの! ニャハハ!」
「おおう、人間はそうじゃったな、バッハッハ!」
笑いながらバンバンとダルダンの頭を叩くスピフィと、それでさらに笑うダルダン。
なんだろう、どうしてか混ぜちゃいけない二人な気がする。村の近くに野営させてもらってるんだけど、声が響いて迷惑にならないか不安だ。少なくとも近くで寝てる冒険者たちの安眠妨害にはなるんじゃないか。
「なるほど酒蔵の樽職人か。それは盲点だった。そういえば酒樽も円形だったね。ふむ、もしかしたら魔術陣との相性がいいかもしれないな」
「お? 酒造りに錬金術の技術を取り込むのか? ほほう、それは面白い! ぜひ試そうではないか。帰ったらすぐに! まさかこんなところに儂の酒蔵を救うかもしれん出会いがあるとは!」
「いいねぇ、火竜酒……炎の酒か。当然、火が付くほどの強い酒精なんだろうね!」
致命的に何かがすれ違っている気がする。
ダルダンは単純にお酒を美味しくしたいんだろうけれど、グミさんは兵器専門だからたぶんダメ。酷いことになりかねない。これは止めなきゃいけないヤツだ。……リルエッタがニコニコして僕の肩を押さえてるから、動けないんだけど。また商品にできるか期待してるなこれ。
「どーだい錬金術師さん。車輪職人じゃないのが不安だけど、これで少しは余裕できるだろ?」
「そうだね、助かるよ。これで間に合う見込みが出てきた」
今までは間に合う見込みがなかったんだね。それは最初から知ってた。
「てなわけで、チビちゃん!」
「は?」
意味が分からないまま、襟首をガシッと掴まれて立ち上がらせられる。
「アタシが、剣の稽古をつけてやるよ!」
どうして。




