剣の稽古
―――スピフィは、僕がエルノのことを嫌いだと言っていた。
僕にはそれが分からない。けっして悪い子ではないと思うし、貴族で剣術がすごくて頭も良くて、尊敬できる子なのだろうと思っている。
僕には分からない。そんな彼が、なぜ彼は僕に会いに来るのか。彼は僕をどう思っているのか。
僕には分からない。彼のことが嫌いなのか、どうかすらも。
「それでは、剣の素振りをやっていきます!」
細かな雲が群れるように流れていた。秋の涼しい風が抜けて、木剣を持ったエルノはサラサラの髪を揺らしながら、元気よく宣言する。
邪魔をしないようグミさんの作業している場所からは離れて、広い場所に移動していた。馬車の列からもちょっと離れたから、見渡せば休憩をする冒険者と兵士たちの姿がよく見える。
……もちろんこちらから彼らの姿が見えるということは、向こうからも僕らが見えているはずだ。それがエルノの狙いだとしても、注目されている気がしてちょっと落ち着かない。
「まず構え。基本の中段だね。剣をお腹くらいの高さで持つんだけど、剣を持つ位置よりも姿勢が大事だからよく見てて。こう、少しだけ腰を落として、背筋を伸ばすんだ。腰から背筋の線は体幹って言って、全ての動きの軸になるから常に意識すること」
エルノは実際に自分で手本を見せて、剣を構える。姿勢がビシッとして、本当に背筋に軸が入っているかのように静止した。
上、下、右、左、斜め、突き。どれも出せるし、どれも受けられる構え。剣術における最も基本の型。
「ここから剣を振り上げて、振り下ろす。これが一番よくやる素振りだね」
一歩踏み込みながら、言葉通りに剣が動く。
「このとき、さっき言った体幹がブレないように意識すること。そうすれば肩を支点に剣が弧を描いて、切っ先の方に重さと力が集中する。その弧の軌道が綺麗なほどスパッとよく斬れるんだ」
綺麗に振れると威力が出るというのは、なんとなく分かる。兄ちゃんたちがやっていた薪割りと同じだろう。
試しにやらせてもらったときは危うく足に当たりかけて、すぐに斧を取り上げられたけれど。
槍だとああいう振り方はあまりしない。僕が知っているのは突きと薙ぎだけだ。本格的に習えばあるのかもしれないけれど、槍は刃の部分が少ないからあまり有効とは思えない。
「えっと……こうかな?」
僕は言われたとおりに構えてみる。やっぱり槍とは全然違う感じだ。特に持ち手の間隔が狭いのが変な感じがする。
木剣だから軽いけれど、本物の剣は鉄の固まりだからもっと重いだろう。そう思うと、本物を持ったとしても振れるだろうかと不安になる。
「そうそう! それで振ってみて!」
促されて、さっきの手本を思い出しながら振ってみる……剣の勢いに身体が流れた。
腰の落とし方が足りなかったのだろうか。あるいは腕や手首の力が足りないか。エルノはビシッと振った木剣を止めていたのに、思った以上に体勢が崩れてしまってショックだ。
「うん、いい感じいい感じ。しっかり振れてる!」
だというのに、エルノは手放しで褒めてくれる。
……つまり、それが僕と彼の差なのだろう。初心者と熟練者。彼と僕では、訓練に費やしてきた年月が違うのだ。
「ほらもう一度もう一度! 試合の時に正しい振り方を考える暇なんかないから、素振りは何度も繰り返して身体に覚えさせるんだ」
素振りは何度も繰り返すもの、か。……では、彼はこれを何度やったのだろうか。何百、何千、あるいは何万。もしかしたらもっと?
いったい何年やってきたのだろう? 練習試合の数は何度? 戦った相手は何人? 剣以外で使える武器の数は?
きっとその全部が僕なんかよりも多くて、その分だけ、彼は先にいるのだ。
今日の目的地は平原にある村だと決まっている。村で補給物資を纏めてくれている先遣隊の一部がいて、そこで食料や水を補給させてもらって一泊。朝になったら出発という予定だったはずだ。
予定が決まっているなら、急ぐ意味は薄い。馬と人の疲労を考えるなら休憩は長く取るべきだ。
とはいえ、少しゆっくりしすぎている気もする。……いやまあ、僕は移動中に馬車の中で寝てるから歩き疲れてなくて、余計そう思うのかもしれないけれど。
「先遣隊、特に偵察隊は熟練の騎兵だからね」
結構な回数を素振りして、親切な兵士さんたちが的まで用意してくれて、それでもなかなか出発しないことに不安になった僕は、砦のゴブリンたちが村を襲ったりはしないのかと聞いたのだけれど―――エルノは誇らしそうにそう答えてくれた。
「ゴブリンが大群で動いたとして、騎馬の機動力と突破力ならゴブリンの群なんて翻弄し放題だから、足止めどころか数を減らせる好機だよ。むしろ砦から出てくれた方が嬉しいかもしれない。……森に入られたら騎馬は不利だから戦えないけれど、それでもゴブリンの速度よりよほど早くこっちに報告がくるからね。戦場が変わってやりやすくなるだけだと思う」
平原や森でぶつかるより、砦を利用される方が嫌なのか。それならこの行軍速度も頷ける。急ぐのではなく、万全で辿り着くのを優先しているのだ。
「でも、砦から出られると殲滅が難しくなるんだけどね」
……それも分かる。ゴブリンが砦にいると攻めるのが難しいけれど、砦という箱に入っているからこそ一網打尽の好機なのだ。
平原や森で戦うとなると、勝ったとしてもかなりの数をバラバラに逃がしてしまうだろう。そんな事態は避けたい。
多少時間をかけてでも万全の状態で砦まで辿り着き、砦を攻めて駆逐する。これが領主様の考えであり、たぶん最良なのだろう。
「まあ向こうも騎馬がいるのは分かってるだろうし、ゴブリンはすぐには動かないと思う。秋の森に入れば食料は手に入るから、しばらくは砦から離れないんじゃないかな?」
「むぅ」
僕程度が考えつくことは、すでに考慮済み。それを確認して、唸りながら木剣を振り上げた。姿勢を意識しながら振り下ろす。カァン、と兜を叩く音が響く。
素振りを繰り返している間に兵士さんが持って来てくれた的は、木箱を二つと兜だった。木箱を重ねてその上に兜を載せれば、ちょうどいい高さになる。……兜が少しヘコんでいるから、昨日ユーネが治療したという兵士さんのものだろう。
これは、当てた後に斬り伏せるための練習。
振り下ろす動作に余計な力は入れない。下手に力を入れて剣の軌道が歪めば、刃はただの鈍器になってしまう。
けれど、重さと速さだけでは十分な威力が出ない。だから力は的に当たる瞬間に、押し込むように入れる必要があった。そうすれば骨すら両断できる斬撃になる。
「痛ぁ……」
「あ、大丈夫? もっと肩の力を抜かないと」
―――手がビリビリ痺れていた。少し余計な力が入ってしまったためか、剣が変な跳ね返り方をして手首に痛みが走ったのだ。
今のはダメだった。エルノの指摘通り、もっと力を抜いた方がいい。
心配して小走りに寄ってこようとする少年を制すために、手首を軽く振って見せた。痺れと痛みはあったけれど、捻ったりとかしたわけではない。大丈夫、問題はない。
もう一回構えからやり直す。……内心、少し焦りがあった。休憩に入ってから時間がたっている。予想よりゆっくりしているとはいえ、さすがにそろそろ出発が近いだろう。
せめてまともに剣を振れるようになりたい。そんな思いを胸に、中段に構えて位置を測る。
「キリネの構え、ウェインって人に似てるね」
いつの間にかエルノは、僕のことを呼び捨てにするようになっていた。……僕に剣を教えることで、距離がまた一つ縮まったと思ったのかもしれない。
「ああうん、一番見てるからかも」
これは、言い訳。本当はこうして教えてもらっておいてなんだけれど、なんとなくエルノのマネをしたくないという気持ちがあった。
お手本を見せてくれたエルノの型をそのまま参考にした方がいいのだけれど、僕としてはこっちの方が見慣れているし、たぶんエルノよりもウェインの方が剣の技量は上のはず。……だからこの方がいいんだと、僕は素振りの最中、ウェインの型を思い出してなぞるようになっていた。
「というか……えっと、ウェインが構えるところを見たの?」
それを誤魔化すように、僕は聞く。
少し言葉に詰まったのは、彼の名前を呼べなかったからだ。まだエルノを呼び捨てにできなくて、けれどエルノ君とも言いたくなくて、結局口にできなかった。
そんなのどっちでも、彼は気にしない気がしたのに。
「昨夜ね。……兵士九人に囲まれて槍を突きつけられてるのに、応戦するように剣を抜いたんだ。父上が兵の一人を殴り倒してなんとか収めたから良かったけれど、あのままだったらどうなってたことか……」
そんなことがあったのか。というか、ユーネが治療した兵士ってそのときに怪我したのか。
「……そうか。ウェインはすごいな」
「すごいって言うか、あれは無謀だよ。そりゃあ、冒険者との関係が悪化したらダメだから手を出すわけにはいかなかったけれど、あの時はすごくハラハラしたんだから……」
「それを教えるために剣を抜いたんだよ」
僕の言葉にエルノはキョトンとして、それから考え込むように手のひらで口元を覆う。
スピフィに教えられたから、意味がすぐに分かった。ウェインはきっと、領主様と対等であろうとしたのだ。
武器を突きつけられて脅されて、それで黙っているなんて対等なハズがない。冒険者はいいように使われる駒ではないと示すためには引くわけにはいかない。自分たちは協力している同朋であると、代表として行動で示した。
だからウェインは剣を抜いて、領主様はそれに応えたのだ。……でなければ共に戦えないのだと、双方が理解していたから。
雲が流れていた。今日は少し風が強くて、グミさんは羊皮紙が飛ばされないように注意しながら術式を書いている。
魔術陣に使うインクは特殊だ。魔力を通さなければならないから当然、マナに親和性のある素材で造る必要がある。さらにスピアフィッシュの体液などの素材も混ぜ、それらの特性が喧嘩しないように特殊な処理をして、となれば、インクの配合だけでもかなりの繊細さが求められた。
ため息が出る。どう考えても、量産、商品化には向かない。そもそもこれが本当に成功するのかも分からない。
今はこれが必要だし、絶対に成功させなければならないのだけれど、不安が拭えない。
「スピフィ」
「なんだいチビ嬢ちゃん?」
モヤモヤして、イライラして、それから気を逸らしたくて名前を呼べば、黄色と紫の髪をした奇抜な姿から上機嫌な声が返ってくる。
互いに作業の手は止めなかったし、視線も交わさなかった。ただ、呼ぶ名前を間違えたとだけ後悔した。
この相手に聞くべきことは決まっていたし、それについてどんな答えが返ってきても、きっとこの胸の曇りは晴れない。そんな予感がしていて、だから今まで彼女を無視していたのだ。
「……エルノは人を見下したりとか、嘲ったりとか、そんな子じゃないでしょう?」
「そーだな。それが?」
それでも、会話を始めてしまったからには止められない。止まらない。きっとロクデモナイ理由だと分かっていても。
わたしは錬金術で造られたインクを瓶に詰め、彼女は検査した魔石を容器に入れる。
「じゃあ、なぜキリにあんなこと言ったの?」
「ニャハハ! そんなの、チビちゃんがムカつくからに決まってるじゃん」
馬車の列の前の方で、兵が大声で休憩の終わりを告げた。




