剣の稽古をしよう!
ガタガタと馬車が振動している。眠りから少しずつ覚醒して、木箱の隙間で身を捩らせた。毛布を敷いているとはいえ、狭くて硬くて揺れる場所で寝れば身体が痛む。
目が覚めたのは速度の変化を感じたからだろう。人が歩く速度に合わせていた馬車の進みが、少しずつ遅くなっていく。もうすぐ止まるという予兆だ。
馬車は急には止まれない。特に重い荷を積んだ馬車はなかなか止まらないらしく、完全に停止するまでには多少時間がある。
今日は出発から三日目。予定では以前も宿泊した平原の村に、今日辿り着く。
もっともこれだけの人数を泊められる宿はないから、また野営になる。あの寝台で眠ることはできない。
「……夜は作業だから同じか」
少し残念で、少しホッとする。寝台ならばぐっすり眠れるかもしれないと思う反面、あの髪を逆立てた男の悪夢をしっかり見てしまいそうで怖かった。
あの夢は馬車で眠るようになってから見ていないので、そこは少し助かっている。
馬車が止まる。完全に目が覚めてしまって、僕はゆっくり起き上がった。
昼食休憩の時間だろう。つまり作業の開始だ。荷下ろしに時間がかかる大物は夜にやるから、昼は小物をやっつけることになっている。荷物を出して、グミさんがすぐ作業開始できるよう準備しておかないと。
兵士さんたちが持ってくる食事を食べ終えた頃には、エルノがやってくる約束だ。
「さっき昨夜の兵士さんの容態を診に行ったんですけどねー。もう大丈夫だから必要ないー。って、追い返されたんですよー。頭の怪我だから恐いのにー」
今日の昼食は干し肉とジャガイモのスープに堅パンだった。だいぶん野営食っぽくなってきたと思いつつ、堅パンをスープに浸してかじる。
「冒険者にあまり借りを作りたくないのかもしれないわね。治癒術士はこっちにしかいないのに。……領主だったらお抱えの治癒術士くらいいそうなものだけれど、どうしていないのかしら?」
「ああ、それは歴史の勉強になるよ、リルエッタ君。いや神学かな? 百年以上前の古くさい話だけれど、神の奇跡は万民のためにあって、お偉い方が独占してしまっていいものではないとの言説が流行ってね。それ以来、この国では為政者がお抱えの治癒術士を持たなくなったんだ」
リルエッタの疑問にグミさんが得意気に知識を披露する。
眼鏡の錬金術師は普段よりも眠っているせいか、今日も機嫌が良さそうだ。……いや、この人はいつも機嫌がいいか。よくよく考えれば、怒ったりしているところを見たことがない。
いつも笑っていて、なにかあると喜んで、実験が失敗すると少し落ち込むけれどすぐに立ち直る。グミ・アンサルクロストフという女性はそういう人だ。
「へぇ、それは初耳。キリ、知ってた?」
「ううん、知らなかった」
リルエッタに聞かれて僕は首を横に振る。僕は村の神官さんにいろいろ教わったけれど、そんな話は知らない。たぶん領主様が治癒術士を雇うのがダメとか、そんな話は必要ない場所に住んでいたからだと思う。
「ユーネはちょっと知ってますよー。治癒術を授かったなら領主様に仕えるのはやめなさいって言われます。教会側でも気を遣ってるようですねー」
最近まで修道士として教会にいたユーネが言うなら本当の話なのだろう。
神の奇跡は万民のため、か。それはたしかにその通りだろう。偉い人しか治癒術を受けられないのは大地母神の教えには反する。貴族がたくさんの治癒術士を抱えたせいで平民を診てくれる治癒術士が足りないなんて状態になったなら、そういう風潮にもなるのではないか。
「気を遣ってるんじゃなくて当てつけの意味合いが強いと思うけれどね。なにせ、言い出したのは王侯貴族なんだから」
「え……?」
グミさんの言葉は意外で、思わず僕は口を開いて驚いてしまう。リルエッタとユーネも同じような顔だ。二人も知らなかったらしい。
「王政へ強く干渉していた教会の影響力を下げるために、当時の国王がそういう建前で王宮の治癒術士を全員解雇した事件ですよね。その王は数ヶ月後に病気で亡くなったとか」
「そう、よく知っているねエルノ君。その病死は教会が治癒術の行使を拒否したからだ、いや王が治癒術士を遠ざけたからだ、などとずいぶん揉めたらしい。そして、まるでその王が望んだかのように両者には深い深い溝ができて、教会の影響力はさらに削られていった。最後には王侯貴族と教会は和解しているが、その間にはまだ溝が残っているようだ」
「父上も今回の遠征で教会への協力要請しようとしたらしいんですけれど、冒険者に数名治癒術士がいたから見送ったようです。あまり教会に借りを作るのはよくないって」
金髪の少年は掬ったスープのジャガイモを冷ましながら、領主側の事情を教えてくれる。ずいぶん古くて、難しい話だ。領主の子供というのは歴史の勉強もしなければならないらしい。……とはいえユーネもコルクブリズさんも教会に属しているのだから、遠回しに借りになってしまう気もするのだけれど。
「つーか、普通にいるじゃんチビ若ちゃんさー。なに? やっぱり向こうのむさ苦しい兵士たちに囲まれて食べてると、女いっぱいのここで食べてるこっちのチビちゃんが羨ましかったり?」
むさ苦しい男たちに囲まれるのが嫌で、休憩のたびにここに来るスピフィが茶化す。……なんだか僕も一緒に茶化されてる気分だけれど、たしかに彼がここにいるのは疑問だった。昨日の約束では、昼食を食べたらまた集まろうって話だったのに。
「それもあるけれどね。兵士たちと冒険者の関係を改善するのに、おれができることがなにかないかなって」
エルノはグミさんには敬語だったけれど、スピフィに対しては口調を崩す。距離の近さなのだろうか……それとも他の理由だろうか。
「それで、まずはおれが冒険者のキリネ君と仲良くするべきなんじゃないかなって思ったのさ。フフン、名案じゃない?」
ペリドットのマネだと分かる笑い方をして、髪をかき上げるエルノ。
得意気な顔をしているけれど、なぜそうなるのか。それのどこが名案なのか分からない。
「なるほど。領主の息子が冒険者のチビちゃんと子供同士で仲良く遊ぶところを見せて、冒険者と兵士の対立感情をやわらげてやろーってワケだ。それはたしかに、アンタにしかできない方法じゃんね。いいねー、やってみたら?」
「スピフィに言われるとなんか引っかかるけれど、うん。やってみるよ」
引っかかるもなにも、仲良くしても問題は解決しない、って言ってたよその人。昨日の夜に。
そんなことは露とも知らないエルノはジャガイモを頬張って、慌てて水を飲む。けっこう冷ましていたはずだけれど、猫舌なのだろうか。
……僕と彼が仲良くしているところを見せる、か。それで冒険者と兵士は仲良くなるだろうか。
もしかしたら兵士はエルノに遠慮するかもしれないけれど、冒険者は僕に遠慮なんかしないはずだ。あるいは兵士たちだって、仕事で来ているのだから僕らのことなんか気にしないかもしれない。
正直、あまり意味があるようには思えない。というか、なんだか引っかかる感じがして嫌な気分になる。―――それはつまり、僕を利用しようとしているということではないか。
「エルノ。貴方、今日は元気がないわね」
そう指摘したのは、リルエッタだった。彼女は堅パンをスープではなく水に浸してふやかしながら、視線を金髪の少年へと送る。
「そんなことないよ?」
首を傾げて不思議そうに返すエルノの顔は、別に調子が悪そうには見えなかった。けれど思えば、昨日や一昨日に比べればずいぶん大人しい気もする。
というか、元気すぎたのがちょっとだけ普通になった感じ。そう言う意味ではたしかに、今日の彼は元気がないかもしれない。
「そう。ならいいわ」
リルエッタも僕と同じように感じたのか、それだけ言ってふやかした堅パンを口に運ぶ。
遠征中に体調を崩す人はけっこう多いらしい。日中ずっと歩いて夜は野営なのだから、疲れるのは当然である。
だから心配したのだろうけれど、健康は特に問題ないようだ。
「元気元気。だからキリネ君。今日は一緒に剣術の稽古をしよう!」
うーん、どうしてそうなるのか分からない。昨日と言ってることが違う。昼食も一緒に食べてるし、気まぐれ屋さんなのだろうか。
「えっと……情報交換するって話じゃなかったの?」
「それは稽古しながらでもできるだろ? やっぱり仲良くしてるところを見せるわけだからさ、隅っこの方で話してるだけじゃなくって、目立った方がいいと思うんだよね。それでいて、みんなが興味を持って見ちゃうようなことがいい。だったら剣の稽古だよ。だって兵士たちも冒険者も、剣を知らない人はいないからね!」
まあ言いたいことは分かったし、ちょっと納得した。たしかに剣を知らない人はいない。そして戦士なら普段は剣を使わない人でも、剣をまったく使えない人はいないだろう。
目を引くには……見世物になるにはうってつけだ。
「でも僕、剣使えないよ?」
「えっ?」
僕がそう言うと、大きな声を上げてエルノは固まってしまう。信じられないものを見るような目で見られる。戦士職なのに? 嘘でしょ? ってその深い海色の瞳が言っていた。
……戦士職で剣を使えないのは珍しいよね。わかる。戦士をやる人って勇者や英雄の話に憧れるものだし、そういう人たちはだいたい剣もってるもんね。もしかしたら虹色のスライム並に珍しいかもしれない。
でも本当なんだよ。




