貴族と元傭兵
横薙ぎで振るわれた剣は鈍い音をたてて兵士の兜をひしゃげさせ、そして自らも根元から折れ飛んだ。
兵士はランタンの明かりの届かない場所へ吹っ飛び、折れた剣は鞘がついたまま馬車へと当たって跳ね返る。鈍い悲鳴が上がった。
「我は武器を下げろと言ったが?」
最初に槍を構えた兵を鞘がついたままの剣で殴り倒した父上は、倒れて気を失ったらしい若い兵士を見下ろす。
死角からの意識外の一撃だ。痙攣している兵士は大丈夫そうには見えない。剣が折れるほどの力で振るわれたのだから、下手したら死んだかもしれない。
「なにをしている。早くこの者の手当を。あの錬金術師のところから治癒術士も呼んでこい」
顎で近くの兵士に命じれば、彼らは顔を見合わせてからその通りに動く。優先順位が入れ替わり、当然ながら槍を構える者はいなくなる。
―――錬金術師のところの治癒術士と言えば、キリネ君のパーティの人だろう。なら自分も彼らと一緒に行った方がいいだろうか、と少し迷って、いやと思い直す。おれが行かなくても、怪我人がいると説明すれば治癒術士はすぐに来るはずだ。行く意味がない。
なにより、自分はここを見届けなければならない気がした。
三人が治癒術士を呼びに行き、二人が倒れた一人の応急手当をする。水や布、水薬を取りに行く者が一人。残った者は護衛に戻るが、槍は構えなかった。
それを確認した父上……ノグランズ・リオノックスは、柄と鍔だけになった剣の残骸を放り棄てる。完全に丸腰となって、冒険者の青年へと向き直る。
「重ね重ね、すまなかった。こちらは武器を棄てたので、そちらも剣を収めては……どうしたのかね?」
「……テメェが……折った剣が……こっちに飛んで来たんだよ……!」
呻くように答える青年。どうしてか彼は後頭部を押さえてうずくまっていた。近くには鞘に収まったまま折れた剣が落ちていて、どうやら馬車に当たって跳ね返ったそれが彼の後頭部を強かに打ったらしい。
まさか領主が自分の兵を剣で打ち据えるなど考えもしていなかっただろう。さらに剣が折れ飛ぶとも思わなかっただろうし、馬車に当たったそれが跳ね返る軌道を予想するのも困難だ。
―――とはいえ、なんて運が悪い人だ。
「それは……さらに重ねてすまなかった。さすがにわざとではないのは理解してくれ」
「クソがっ、いつだって素人が一番恐ぇなチクショウ!」
素人は予想できないことをしてくるから恐い、と衛兵たちからよく聞く。特に酒に酔った相手は恐いらしい。
剣を振っているところは見たことがないけれど、父上も貴族として少しは剣術をやっていたはずだし、もちろん酒なんて呑んでいないのだけれど……でも、たしかに一振りで剣を折ってしまうのは情けない。普通くらいの腕があればああはならない。
「つーか貴族の剣ってクソ高いヤツだろ。雑に扱って折るんじゃねぇよ。鍛冶師が泣くぞ」
「うむ。その剣はヒリエンカで一番の鍛冶屋であるドワーフ……の弟子の、そのまた弟子見習いが初めて打った力作だ。彼には悪いことをしたな」
「嘘だろ……ガチのなまくらじゃねぇか。ウチのガキんちょだってもっといい武器持ってんぞ」
「領主とは多忙なものでな。安物ならば手入れをサボっても、まあいいかとなるだろう? 数年放置したらなぜか鞘から抜けなくなったが、どうせ飾りなのだから特に問題はなかった」
「錆びで一体化してんだそれは」
衝撃だった。あまりにもあんまりだ。絶句してしまう。あの二人はいったいなんの話をしているのか、意味は分かるのに理解したくなかった。
貴族であり仮にも剣を佩く者が、手入れを怠ったと? 父上はそんなゴブリンの得物みたいなガラクタを腰に、今までの式典なども参じていた……?
「それに名剣、宝剣の類は好かぬ。我は腕が立つわけではないのでな。いざ握ったとき、刃こぼれを恐れて切っ先が迷うこともあり得よう。その点も安物はいい。投げつける選択にすら躊躇はいらぬ」
「腕相応の武器を持つべきってのは同感だが、だからって手入れサボんなや。だから折れるんだぞ。あと気軽に味方ぶっ叩くな。アレ結構ヤバそうに見えたぞ」
「ヒリエンカの兵はヤワではないし、錆で劣化した剣で殴ったところで、曲がるなり折れるなりしてしまえば大した威力は出ぬ。幸いにして治癒術士も同行しているのだ。明日には快復しておるだろう」
ああ言えばこう言う父上に口を歪めて、青年は肩を落とした。なんとも言えない目で手にしていた剣を見て、ゆっくりと鞘に収める。
そうして、彼は踵を返した。
「……冷めた。明日も早いからな、今日は終わりにしとくわ」
「では後日軍議を開くとしよう。貴殿の出席を期待する」
青年は返事をせず歩き出す。その背を見て、ふぅー、と大きく息を吐いた。それでやっと、自分が呼吸を止めていたことに気づいた。
……一触即発だった両者は武器を引き、議題は先延ばしになった。
とりあえず、この場はなんとか収まった。あの兵士が死んでいなければ、損害は兜と安物の剣一つ程度だ。あのこじれた状況からならば、ひとまずは良しと言っていい。―――いや、仮にあの兵士が死んだとしても、この結果は決して失敗とは言えない。
もしあのまま冒険者と兵士が争いを始めていたら……数の力で相手を屈服させようとしたなら、冒険者たちはギルドクエストなどという縛りなど無視し、明日を待たず引き返したかもしれない。そうでなくとも、領主側と冒険者に深い溝ができただろう。
そうならないために、父上は部下である兵へと本気で剣を振るったのだ。
おれは馬車の側面に取り付けられたランタンの明かりが届かない、離れた場所で立ち尽くしてゴクリと生唾を飲み込む。
……そこまでしなければならないのか。
「一つよろしいか?」
父上が去ろうとする青年に声をかける。終わったと思っていたから、思わずビクリと身構えてしまった。
冒険者の青年が足を止め、面倒そうな顔で振り返る。
「先ほどの手柄の横取りで後ろから斬られる話……あれは経験談かな?」
「ああ。戦場じゃたまにあることだ」
戦場。……戦争。父上も経験したことがないハズのその言葉を、彼はあっさりと口にした。あまりにも簡単に言うから、一瞬理解が遅れたほどだ。
たまにある、とはいったいどれくらいの頻度なのだろうか。口ぶりからして二回に一回よりは少なそうだけれど、そこから先が想像がつかない。それ以上絞り込めるほど、おれは戦について知らない。
彼はたしか……元傭兵だったか。だったらおそらく、やられた方だ。
「そうか。軍議についてはまた連絡させていただく」
「分かった」
父上が厳かな声で伝えると、青年は頷いた。
太陽の輝き宿すペリドットを差し置いて冒険者の代表になった、キリネ君に戦い方を教えていると聞く戦士の男は、今度こそ背を向けて立ち去っていく。それと入れ替わりのように治癒術士の少女が兵士に連れられて走ってくる。
凪いでいた夜の風が吹き抜けて、モヤモヤした何かが胸の奥で波打った気がした。




