出発当日
「やあやあ待っていたよ! 君たちならきっと、この非才の身を助けるために来てくれると思っていたさ!」
ちょっと傾いた眼鏡の奥にいつもよりいっそう深いクマをつくったお姉さんは、ボサボサの髪とあちこちシミのついたヨレヨレのローブで僕らを迎えてくれた。出発当日なんだけど。
「ちょ……グミさん! 領主様と同行なのになんて格好してるの、お家じゃないのよ!」
「せ、せめて櫛で髪を整えましょうー」
もう遅い気がするなあ。周りで兵士さんたちが荷馬車の点検をしているし、冒険者たちも全員集まっている。グミさんのだらしない姿はもう多くの人に見られてしまった。
いやでも、領主様にまだ挨拶する前だったら、まだ遅くないのか。いやでもこの人、兵士さんたちと一緒にやってきたな。ならもう領主様とは会っているのではないか。
リルエッタとユーネがグミさんの身だしなみを整えている間に、僕は周囲を見回す。
冒険者の集合場所は南西の門……の外だった。なんでも領主様は戦用馬車に乗って大勢の兵士たちと館を出発し大通りをゆっくりと行進してきたらしい。おかげですでに昼前の時間である。
ここからは町の警備に戻る兵士たちと別れて、残った兵と僕たち冒険者が合流することになっていた。
「いやあ、やはり君たちを呼んで良かった。アンサルクロストフの錬金術師は身だしなみというのが大の苦手でね。パレードの最中も馬車の中に引っ込んでいろと閉じ込められてしまったほどだ。……年頃の美しい女性が同行して笑顔を振りまけば民衆も沸くに違いないのに、酷い話だとは思わないかね?」
「領主様もそれを期待していたと思うよ」
町の西に出現した魔物の大群討伐のため、領主様直々の出陣ということで出発は派手に演出する手はずである。ちょっとしたお祭りのような雰囲気になっているはずだ。
正直、ずいぶん悠長だな、と思いはする。今にもゴブリンロードは近辺の村を襲っているかもしれないのに。
でもこれは必要なことらしい。領主様がこれだけの兵を率いて出たのだから、事態はかならず解決する、と町のみんなに知ってもらうために。
まあ近くの村にはもう兵が派遣されているとのことだし、廃砦の方も監視下にあるらしいから、なにかあったら対処できるのだろう。
「こんな汚れた服で華やかな場所に出られるわけないでしょう。まったくもう。礼服どころか、部屋着でパレードに参加する人がどこにいるのよ」
「いや、これは普段着ではなく錬金術師の実験用ローブで……」
「式典用を着てくるものなの!」
グミさん、あの服以外に持っているのだろうか。前に掃除に行ったときは同じ服ばかり投げ散らかされていた気がするけれど。
「まあ、もう見世物は終わりだから身だしなみも適当でいいよ。勇壮な兵隊の行進はここまでで、ここからは荒くれの冒険者が引き継ぐ。この非才の身の実験着も、君たちに紛れてしまえば目立たないからね」
「髪くらいは梳かしましょうようー」
整えている途中で動き出そうとする錬金術師を、ユーネが肩を押さえて制止する。
けっこうな規模の仕事だと思うのだけど、どうやらグミさんはいつもの調子だ。きっとこの調子で僕らも呼んだのだろう。
相変わらず冒険者を日雇いのお手伝いさんだと勘違いしているけれど、でもちょっと安心はした。僕たちは戦力として呼ばれたわけではないらしい。
「……それでは皆の者、しばしヒリエンカを頼む」
「はっ!」
門の方から、そういったやりとりが聞こえてくる。それと同時に大勢の兵士たちが門の中へと帰って行って、残ったのは……三十人くらいか。町から同行する兵士たちの数は、冒険者の総数とほぼ同じくらいらしい。
―――敬礼されている口髭の男の人が、噂の領主様だろうか。
細かくて豪奢な意匠を懲らした金属鎧に飾り布をあしらい、赤いマントを纏ったその姿は、なんだかあんまり似合っていないように見える。……というかちょっと鎧が重そうだ。動きも鈍いし、夏は過ぎたというのにもう汗をかいている。鎧が体格に合ってないのかもしれない。大丈夫なのかなあの人。
そして、その横にはもう一人、気になる背の低い姿があって……―――
「ニャハハ、田舎者丸出しの顔してるぞチビちゃん。見るのは初めてかな? アレがノグランズ・リオノックス子爵だよ。王都から離れていて交通の要所というわけでもない、無駄に広いだけの田舎地方を統治する、我らがヒリエンカの領主殿だ。見ての通り武芸の方はからきしだけど、なかなかクセ者で性格悪いオッサンだから注意しておきなー」
僕が視線を向けているのが分かったのか、解説が投げかけられる。
聞いたことのある声だ。女性で、明るくて、少し荒っぽい。そして余計な言葉が多い。
「スピフィさん」
「やほー! カワイイね今日も!」
振り向くといきなり抱きつかれて頭をグリグリなで回される。今日の彼女は前とは違って、黒く染めた鎧に細身の剣を腰に吊した姿だ。
おかげでゴツゴツして痛くって、慌てて逃げだそうとしたけどガッチリと掴まれて離れられない。撫でる手も遠慮がなくてホントに痛いんだけど。
「やー、子供たちも本当に来たんだ。うんうん、いいねいいね。兵隊と西のヤツらばかりの団体行動なんかむさくってたまんないけど、ここは最高の癒やしスポットになりそうだ。たまに息抜きで来ていい?」
リルエッタが警戒して後ずさってるし、それを見てユーネも困り顔だ。正直遠慮してもらいたいのだけれど、たぶん断っても来るんだろうな、この人。
「えっと、スピフィさんの仲間は?」
「アイツらならあっちでさっそく喧嘩してる」
見れば、知らない冒険者たちがCランクパーティと睨み合っていた。みんな顔が恐くて、なぜか装備を黒で染めているのが目を引いた。
そういえば、東の冒険者の店は黒鱗シーサーペントの剣牙亭だったか。みんなで色を合わせてるのいいな。なんか仲間って感じがする。
「とめなくていいの?」
「アタシ、今回はガス抜きしながら行った方がいいと思うんだよねー」
やっと手を離してくれて、ニャハハと今日の天気のように気持ち良い笑顔をするスピフィ。
どうやら彼女なりの考えがあるらしいけれど、いいのだろうか。
「それより、今日は領主も子供連れて来てるのか。まああの坊ちゃんはデキがいいから実戦を見せてあげたいんだろうけれど……相手がゴブリンだからって舐めてるんじゃないだろうね?」
スピフィはもう一度領主がいる方を眺めると、呆れたように肩をすくめる。
彼女の視線の先には口髭の領主様と、その隣にもう一人。
目が覚めるような金髪の、僕と同じくらいの歳の男の子がいた。
「あの子は領主様の―――?」
「息子だよ。エルノって名前だったかな。リオノックス家の長男で、たしか十歳だったはず」
町に残る兵士たちと別れた領主様が振り向いて、こちらへと歩いてくる。彼の隣の、綺麗な金髪をした子供もそれに続く。
こちらへやってくるその子と目が合って、ほんの一瞬だけだったけれど、ニコっと笑いかけられたような気がした。




