カラトア神官の挫折
勇者―――それはお伽噺だ。
かつてとても恐ろしい魔王が現れて、たくさんの魔物の軍勢と攻め込んできました。そのあまりの強さと勢いに人々は負けてしまいそうになりましたが、神の祝福を受けた勇者が現れて魔王を倒し、世界は平和を取り戻しました―――
今ではめざましい活躍をした英雄のことを勇者と讃えることもあるけれど、本当にそう呼ばれ歴史に残っているのは……たった一人。遠い国の、すごく昔の人だけ。
真偽不明の偉人。恐ろしい魔王を倒した勇者。よく知らないけど凄く強い人。それがこの国の一般的な人の、勇者のイメージ。
けれど……教会は把握している。その人物は本当にいたのだと。
普通の人族とは逸脱した力を有し、仲間と共に魔王と戦って世界に平和をもたらした勇者。そんなものの後継候補に、キリ君が選ばれていただなんて……―――
いえ、変ですね。なにかがおかしい。
もし本当にそうであるなら、なぜキリ君は商人になるために町へ来たのでしょう。
「もう十年近く前のことです。辺境巡回神官に任命されたわたくしがニビトイ村に到着すると、村は喪に服している最中でした」
ポツリ、ポツリとカラトア神官は語り始める。
彼女がキリ君の村に配属されてすぐの、過去の話を。
「村の近くに出没した強力な魔物を、村人たちは自分たちで戦って倒したそうです。ですがその時に前任の神官は殉職し、村人の男性も一人戦死しました」
辺境巡回神官は担当した村落に迫った危機の対処も仕事の内だ。だからこそ神官戦士でなければ務まらない。
魔物と戦って殉職することもあるでしょう。
「その報を受けて、産後の肥立ちが悪かったその男の妻も死去し、まだ幼い兄姉と赤子だけが残った家族がいました。キリの家です」
「そう……ですかぁ……」
キリ君に親がいないことは聞いていたけれど、そこまで細かい話は知らない。
改めて聞くと衝撃だった。彼はきっと自分の親の顔も知らないのだ。
「赤子を抱く兄姉たちは、両親を亡くしたにもかかわらず気丈に振る舞い、村人たちの助けを借りながら助け合って生きていこうとしていました。そんな兄姉のために、わたくしはなにかしてあげられないかと思い……そうして、考えたのです。ささやかな孤児院を建て、あの兄姉を引き取ってはどうか、と」
孤児院の経営も教会の役割の一つです。ヒリエンカの教会の隣にも孤児院があって、神官や修道士たちが子供たちの面倒を見ていますから、カラトア神官がそう考えるのも当然でしょう。
「当時、あの兄姉は長兄ですら十に満たない年齢でした。現実的に考えて、親なしで生きていくのは難しい年齢です。ですので孤児として引き取り育て―――そしてまだ幼い彼らを早い内から鍛え上げれば、勇者候補として恥じない能力を得られるのではないか、と計画したのです」
―――……ん?
「えっと……勇者候補さんってー、特別な資質や素晴らしい才能を見つけるとかぁ、そんな話だったはずではー?」
「失念していました」
忘れていた……とな……?
「ですが相談した村長には村で助けていくから必要無いと言われ、兄姉たちも出会ったばかりのわたくしに引き取られるのは抵抗があったらしく―――それならばと、彼らが働いている日中のみ、まだ赤子であったキリの世話を引き受けさせてもらったのです」
「えっとー……まずキリ君の兄姉全員を勇者候補にしようとして、ダメだったからキリ君だけを訓練することにしたのですかー?」
「そんなところです」
なんだか最近になって嗅ぎ慣れた臭いがしてきた気がして、振り払うように首を横に振った。まだ、まだ分かりません。
「そしてわたくしは教会へキリを勇者候補として申請し、辺境巡回神官の業務のかたわら、彼を勇者として相応しい人物へ育成していくことにしました」
「……その申請はー、まだキリ君が赤ちゃんのころに?」
「はい」
そっかー。
ということは、きっとそういうことなんだろう。そうでなければ、キリ君が商人になろうと町にやってくるはずがありません。
この人、先走ったのですね。
「そしてわたくしは、人生で初めて挫折したのです」
夜とはいえ、季節は夏。屋外でも気温は暖かく、夜風は心地よいくらい。
寝てる者たちには、少し冷えるだろうか。地面で雑魚寝している四人がお腹を出していないかをそっと確認して、また平原の光景に視線を戻す。
可視範囲に動く影はない。
いい夜だな、と思う。これで野宿中じゃなかったら、月を見上げていたでしょう。
「もしも子供が思い通りに育つのであれば、この世は勇者候補で溢れているでしょう。……いえ、そもそも赴任したばかりの若輩が業務の片手間に子供の世話をできるという考え自体、救いようのない驕りでした。辺境巡回神官の仕事も、田舎の村での生活も、十分な訓練に費やせる時間の余裕などありませんでしたから」
ガシガシと焚き火を掻き回す音が聞こえる。生木の燃える煙が夜風に乗って広がった。
「というかそもそも、辺境巡回神官に課される勇者候補の選別など、ただの形式でしかないのです。―――各地を捜し回り集められた特別な者たちの中から、さらに厳選された最高の一人……という偶像を造り出すための布石。本命はどこかの貴族や聖職の子で、優秀な教師たちに手厚く指導されているでしょう。つまり最初から我々は、引き立て役を連れてこいと言われているようなものなのです」
ああ……分かる。分かります。これはもう分かってしまいました。
徳の高い辺境巡回神官様からこの愚僧めに持ちかけられた相談。その真意が、ようく理解できました。
そう、これは―――愚痴。
誇り高い業務と崇高な使命を得てやる気に燃えはしたものの、思った以上に大変で全然上手くいかず、しかも勇者候補は本命がちゃんといるからこの失敗すら大したことではなくって、それらの諸々が教会上層部に対して積もる不満となりどこかに吐き出したいという欲求が膨れ上がり……そこに都合の良い吐け口として白羽の矢が立ったのが、この愚僧めだったのです!
「えっとー……キリ君は優秀だと思うのですがー……」
よせばいいのに、とは思ったけれど、それでも口を挟んでしまう。こういうときは、はあ、とか、そうですね、とか、おっしゃるとおりです、なんて曖昧な肯定をしてやり過ごすのが得策なのです。相手は胸の内を吐き出したいだけなので、気が済むまで口に出せば満足するのですから。
けれど、パーティの仲間の話であれば適当に流すわけにはいきません。キリ君はちゃんと優秀です。たとえば今日なんて、この愚僧めよりよほど役に立っています。
「それはそうでしょう。キリはとても素直で賢く、また努力できる子でしたから」
カラトア神官はそこは否定せず、まるでキリ君を自慢するような台詞を言って、しかしため息を吐く。
「ですが、一番最初に身につけさせようとした治癒術は、ついぞ修得することができませんでした」
「えっとー……治癒術は強い信仰心をきっかけにして修得することがある、というものですから。信仰心があったとしても必ず得られるわけではないのでー……」
「キリは賢く大人しい子でしたので、治癒術が合っていると思ったのです」
たしかにキリ君の性質から考えれば、分からなくはないですが……治癒術を覚えさせるために信仰心を植え付ける、というのはなかなかギャンブラーと言わざるをえません。
というか神官としてどうなのかと思います。もし神の御心がかかわっているのなら、その打算こそ見透かされたのではないでしょうか。
「勇者候補には高潔な人格も求められますから、神学は教える必要があったのです。……しかし毎日祈りの時間をつくっても、どれだけ神話を語り聞かせても、教典を読ませても、彼は治癒術どころか信仰に目覚めることすらなかった。……もう一度聞きますが、キリは三ヶ月も町にいて、一度ですら教会に足を運ぼうとしなかったのでしょう?」
「は、はい……そうですねー」
「でしょうね、彼は神を信じていませんから」
キリ君?
「わたくしがそれを理解したのが、彼が九歳になるころ。彼は家での働き手として忙しくなり、同時に外の世界にも興味を持ち始めていました。訓練の時間はさらに削られ、商人になりたいとも言っていて、神官の道には進む気もなさそうで……」
聞くのがつらくなってきました。
つまり……キリ君は勇者候補に相応しい人物になるため、最初は治癒術士としての修行をしていました。けれどその一歩目から彼には向いていなくて、いきなり躓きます。時間に限りがあるので他の訓練もあまりできておらず、また本人の心も外の世界へと向いていきました。そして勇者候補は他にもたくさんいてそこには本命も含まれていて―――
「わたくしは思うのです。あんな辺鄙な田舎村に産まれ、早くに親を亡くし、そして特別な素質や素晴らしい才能もない者が世界を背負う必要があるのかと」
それは教会に申請を出す前に気づくべきでしたねぇ。
「そもそも世には王族や貴族といった者たちがいるのです。彼らは戦うことが仕事なのですから勇者などやらせておけばよろしい。むしろそういうときに働かずしてなぜ人の上に立てるというのか。一般よりも恵まれた産まれと育ちを享受した者が、何も持たず産まれた者に責任ある立場を押しつけるなどおこがましいにもほどが―――」
「ス、ストップ。ストップですカラトア・メヌア神官。あまり声を荒げたら寝てる人が起きちゃいますよー」
実際は言うほど大きい声ではなかったのですが、抑揚はそのまま流れるように文句をツラツラ並べていく様子はなんだか、そういう怪談のオバケみたいで恐怖を覚えます。あとこのまま喋らせておいたらうっかり教会への不穏な悪口まで出てきそうでそれも恐いです。
「―――……失礼しました。今のは忘れてください、ユーネ・イズスさん」
「は、はぁ。努力しますぅ」
無理ですね。忘れられません。せめて心の奥の引き出しにしまって外に出さないようにしましょう。
……まあ、なんとなくこの御方の人となりは分かった気がします。
とても優秀で、使命感が強く、だからこそ大振りでから回る。先ほどは人生で初めての挫折と言っていましたが、本当なのでしょうか。帰ったらカラトア神官の修道士時代の話をお父さんに聞いてみたい気持ちでいっぱいです。
「ですが……わたくしはキリを見ていて、こうも思うのです。―――しょせん、生まれの貴賎や素質、才能などというものは、偶然持って産まれたものでしかないのではないか、と」
その言葉には、さっきまでの声音とは別のなにかがあった。
この愚僧めなどではなく、自分自身に問いかけるような。答えを追い求める哲学のような。
神に与えられた啓示に、向き合うような。
「それらは力であり、力でしかありません。産まれた際に自動的に付随してきただけの、普通の人は持たない珍しい力。……そんなものが、その程度のものが、本当に勇者の資格なのでしょうか?」
「……それはー」
「そのように考えるようになったので、わたくしは商人になりたいと言い始めたキリを町へ送り出しました。力なき者が戦いに赴いても死にますからね」
おおう……思い切りがいい。
さすが神官戦士。魔物に祈りは通じないからぶん殴ろう、の体現です。その辺りはしっかり割り切っていらっしゃる。
「しかし」
カラトア神官の落ち着いた声が、平原の風に乗る。
「しばらくぶりに再会した彼は商人ではなく冒険者となっていました。わずかな足跡を追跡し、襲ってきたゴブリンを倒し、魔術の修行までしている彼は……もちろん他の候補たちとは、比べるまでもない実力でしかないでしょうが」
ああ、そうか。
キリ君がゴブリンを倒したときと、空いた時間に魔術の訓練をしていたときに見せたあの表情。
あれは……そういうことだったのか。
「勇者の資格とはなにか。此度の再会によって、わたくしは再度、自身が抱いた疑問に向き合っているのです」
話の流れからして……おそらく、キリ君は勇者候補とかそういう話は知らないのでしょう。
だからキリ君は知らない間に勇者候補にされ、そして知らない間に一度候補から外され、そして知らない間にまた候補に復活してしまった。
彼が、冒険者になったから。




