迫害
「あー……やっぱ背中側から斬られてんな」
「これで仕留められないのはヘタクソだ」
ニグさんがゴブリンの死体の肩を掴んで横向きにし、ヒルティースさんが傷をマジマジと観察する。
キリ君が倒したゴブリンには、右肩から背中にかけてかなり深い傷があった。止血も完全ではなかったのか、流れ出た血液は濡れている部分がある。腰に巻いたボロ布まで赤で染まっているので、かなりの出血だ。
「力任せだな、切り口がダセぇ。棍棒使え」
「肩の骨に当たって肩甲骨を削っている。背後をとってるなら落ち着いて狙うべきだ」
散々な言いようですが、つまりこのゴブリンがあの野営跡にいた人を襲って反撃され、この傷をつけられたということでしょう。それが致命傷にはならなかったから逃げ出して、けれど痛みと失血で弱ってこの場所に隠れていた……だいたい事前に推測したとおりの結果でした。
傷を確認し追えたニグさんが、ゴブリンの肩から手を離し再び仰向けにする。そしてじっと自分の手を見てから、手のひらを地面に擦りつけた。
……まあゴブリンの垢より、土汚れの方がマシなのは分かります。
「ニグさん、よかったらハンカチをどうぞー」
「えっ……い、いえいえいえ、いいですいいですよユーネさん。こんなの平気なんで!」
ハンカチを渡そうとしたら、両手を振って固辞されてしまった。
……たしかに普通の冒険者なら、これくらいの汚れなんて気にしないかもしれない。やはり自分はまだまだなのだなと反省してハンカチを収めると、ニグさんがすごく複雑そうな顔で目を逸らしていた。そんな彼の背中を、ヒルティースさんがポンポンと叩く。
もしかして、こんな潔癖症なのと一緒にやっていけるのか、と不安がらせてしまったのだろうか。これは呆れられてしまったかもしれません。
「なんか、他にも傷が多いね」
キリ君の声がして、死体のゴブリンへと視線を戻す。
そうだ、カラトア神官は何らかの気がかりがあって、このゴブリンを追跡したのだった。それがなんなのかちゃんと見なければ。
ゴブリンは以前にも遭遇したことはあったけれど、こんなにじっくりと観察なんてしなかった。
肌が緑色で、醜く、額に二つ小さな角がある、子供くらいの大きさしかない魔物。
改めて見てみると、肩から背中にかけての傷とキリ君が刺した槍傷の他にも、このゴブリンは傷を負っていた。
頭には二つも大きなコブがあって、右目の周りには殴られたような内出血をともなう腫れ。痣やかさぶたも身体のいたるところにある。
「その怪我もさっきの場所でやられたのかしら?」
眉をしかめるお嬢様は、少し離れた場所にいた。ゴブリンは臭いからあまり近寄りたくないのだろう。
羨ましい。できることならこの愚僧めもお嬢様のお側にいたいところですが、辺境巡回神官さまがしゃがみ込んでマジマジと観察しているこの状況では、この生肉がドロドロに腐ったような臭いを我慢するしかありません。
「いえ。背中と胸の傷の他は昨日今日のものではありません」
お嬢様の声にそう答えながらカラトア神官は、ゴブリンの左腕の位置を少しずらす。……よく見ればその前腕部は、変なふうに曲がっていた。
「一度折れた骨が曲がったままくっついていますね。歯もいくつかないようですし、白濁した右目は失明しているでしょう。他にも体中のいたるところに傷痕があり、そしてひどく痩せている。……どうやら日常的に暴行を受けていた個体のようです」
「暴行……ですかー?」
「ゴブリンは群の中で、弱い者を迫害することがあります」
そこまで聞いて、このゴブリンの傷の意味がやっと分かった。
「魔物とはいえ同種だろう。仲間同士で傷つけるのか?」
「人間でもあるでしょう。同じことです」
疑問を口にしたヒルティースさんは、たったそれだけの説明で黙った。なにか心当たりがあったのかもしれない。
改めてその死体を見れば、苦悶の形相のまま事切れた目がこちらを睨んでいるような気がした。全身の傷がその凄惨な日常を物語っていて、人に害する魔物であると分かっていても痛々しい。
「ゴブリンでもそんなことがあるんだね」
キリ君がそう呟いたけれど、彼もまたしゃがんで死体を覗き込んでいたので、その表情までは窺えなかった。
「なんらかの理由で群からはぐれて、単独で行動するゴブリンはたまにいます。その理由は様々ですが、このゴブリンは群から逃げた可能性が高いですね」
「それで草原に迷い出てきて、あの野営跡の人を襲ったってことかしら?」
「ゴブリンは残忍ですが臆病でもあります。この個体は武器も持っていませんし、痕跡からして野営していたのは複数人。そこまでの無謀はしませんね。おそらくですが、荷物を掠め取ろうとしたのではないでしょうか」
まるで見ていたかのように、カラトア神官は推測を語る。
きっと辺境巡回神官としての経験と知識からそう判断しているのでしょう。田舎の村々を任されていたのであれば、魔物などへの対処も仕事の内です。
「―――問題なのは、ここまでの迫害を受ける個体がでるのは、基本的に大きい群だけだということです」
その言葉には、ゾワリと背筋に震えが走った。
「たしかに、五、六匹の巣じゃこんなやつ見たことねぇな」
「ああ。十や二十の群にならいるものなのか?」
「どの程度の規模から出始めるのかは分かりませんし、もちろんこういう個体がいない群もあるでしょう。……ですが、こういう個体がいる大きな群であるなら、特殊個体がいる可能性が高いはずです。ホブゴブリンやゴブリンシャーマンなどですね」
話には聞いたことがある。普通のゴブリンよりも身体が大きかったり、魔術を使ってきたりするゴブリンの亜種だ。熟練の冒険者ならともかく自分たちにとっては十分強敵で、しかも群を率いている。
戦ったら、絶対に無事ではすまないだろう。
―――正直、絶対に遭遇したくなかった。
そんな想像をしている間に立ち上がったカラトア神官が、薄い唇に人差し指の甲を当て考え込む。
「まだヒリエンカから半日ほどの距離です。町に近すぎる。戻って衛兵に警戒を呼びかけたいところですが……群を直接見たわけではありませんし、すべて推測の域を出ませんからなんと報告するべきか」
まだ時間に余裕があるとはいえ、その漏れた呟きには驚いてしまった。どうやら一度町に引き返すことを検討しているらしい。
この愚僧めが、もし自分たちが遭遇したら、なんてことを考えているあいだに、この辺境巡回神官さまは他の人々の安全を憂いている。
これが―――格の違い。
「あの、もしかしてー……このゴブリンを追跡していたのは、この近くに大きな群がいるかどうかを確認するためー……ですかぁ?」
「その通りです。なんらかの理由で単独行動しているゴブリンでも、持ち物や健康状態である程度ならどのような群にいたのかは推測できますから」
どうしたら当然のようにそんな発想ができるのか……。
「この個体は頭皮や肩の皮膚が厚く、日焼けが少ない。洞窟などに棲み着いている群に所属していたようです。装飾痕がないのでシャーマンはいませんね。乱暴者のホブが纏めている群でしょう」
いえ、きっと経験の差なのでしょう。なんだか倒してきた数が違う気がします。
「町への報告なら必要ないわ。商人ギルドではもう注意喚起されているもの」
リルエッタお嬢様の言葉は、自分も初耳でした。
「ゴブリンが増えていることくらい、町の外へ出る機会がある商人なら知ってるでしょう。カラトア神官も、教会の司祭様から注意するように言われたと聞きましたが?」
「そうですね……。ヒリエンカの町では、すでにゴブリンが多くなっていることが広まっている。推測の域を出ない報告はするまでもありませんか」
カラトア神官は納得した様子で頷くと、また人差し指の甲を薄い唇に当てる。考える時の癖らしい。
「分かりました。ではこのまま進みましょう。……ですがゴブリンの群にはなるべく遭遇したくありませんから、少し予定していた進路を変更したいと思います」




