血痕の追跡
「えっと、ニビトイ村へは向かわなくていいんですかー?」
地面が固い草地だからか、足跡は薄い。しかも林が近づくにつれて血痕の目印は次第に少なくなり、キリ君が立ち止まる回数は増えていった。
それでも彼は痕跡を見つけては、確実に追いすがっていく。
「元々ヒリエンカの町では、キリの捜索に何日かかけるつもりでした。村民たちが待つと言った期日までには余裕があります」
どうやら期日があるらしい。
行方不明者の捜索にはどれくらいを見ているだろうか。村人たちはそうとう怒っているようだし、あまり長くは待てないだろう。長くて十日、短くて三日くらい?
なんにせよ、カラトア神官は捜すまでもなく冒険者の店でキリ君と再会できたのだから、時間についてはまだ問題ないようです。
「それに、もし魔物に襲われた人が逃げ隠れしているのでしたら、救出しなければなりません」
それは……たしかにそうだ。怪我をした人があの林の中にいるかもしれない。もしかしたら今もまだ追いかけられている最中かもしれないし、そうでなくとも逃げてる最中に血を失いすぎて動けない状態になっていたら、誰かが救助しなければ死んでしまう。
そうだ。人の命がかかっている可能性があるのだから、この捜索はできるかぎりやるべきです。
「いや、たぶん逃げたのはゴブリンだよ」
自分とカラトア神官との会話が聞こえたらしいキリ君が、こちらを振り向かずに推測を口にする。
「さっきの場所だと分かりにくかったけど、これなんか分かりやすいと思う」
キリ君がしゃがみ込んで、指で地面に楕円を書いた。追いついて覗き込んでみると、たしかにそこには地面を踏みにじったような足跡が残っている。
小さい。たぶん子供くらい。キリ君やお嬢様の足と比べてみても、そんなに変わらない。
「林に入る前に、足を止めて振り返ったんだと思う。そのときに足の裏で地面を擦ったから、少しだけハッキリ残ってるんじゃないかな」
雑木林に入る直前の行動だ。怪我を負って逃げ、遮蔽物の多い場所へ逃げ込む前に後ろを振り返り、追っ手がきていないことを確認した。
そんなことまで分かるのか。
「で、小さい人型だからゴブリンか、子供かハーフリングだけど……裸足なんだよね」
たしかに裸足だ。細かな形までは分からないけれど、ちょうど足指の先と付け根の間くらいの場所に地面が擦れてない部分がある。
靴を履いていたら、足跡はもっとのっぺりするはず。
「こんなところで裸足なのはゴブリンだけだろ」
「あの野営跡で、靴を脱いで休んでたのかもしれないけどな。だが、そんなのはよっぽどの間抜けだ」
ニグさんとヒルティースさんも頷いて、ゴブリンの可能性の高さを肯定する。
「キリ、何匹かは分かるの?」
「一匹だと思う。あそこで野営していた人たちは来てないね。ほとんど追いかけなかったみたい」
お嬢様が質問すると、キリ君はそう答えた。余計な足跡がないぶん、あの野営跡よりも痕跡が分かりやすいらしい。
「はぁぁ……キリ君はすごいですねー」
「血の痕がなかったら、たぶんもう見失ってるけどね……」
彼は謙遜するけれど、感心してため息を吐いてしまう。前々から観察眼に優れた子だとは思っていたが、こういうことをやらせたら本当に頼もしい。
「ゴブリンによる野営地襲撃が視界のきかない夜間に起こったのなら、追いかけないのは当然の判断です。では警戒しながら追跡しましょう」
カラトア神官は頷くと、みんなをそう促す。どうやら追跡は続行のようだ。
「えっと……仕留めるんですかー?」
「それもあります。ゴブリンは危険な魔物ですから。ですが、気がかりを確かめたいというのが本音ですね」
―――気がかり。そう、彼女は口にした。
思えばこの人は、少々気になる、と言って逃げた者の追跡を開始した。けれど怪我をした人がいるかもしれないのなら、少々どころではなく気になるはず。神官なのだからそれが当然だ。
もしかしたらこの辺境巡回神官は、最初から逃げたのはゴブリンだと気づいていたのではないか。
そんなふうに、疑いの目で見ていたのに気づかれたのだろうか。カラトア神官はこちらをチラリと見て、ほんの少しだけ目を細めた。
えっと……微笑んだ、のでしょうか?
「ここから林に入ってるね」
キリ君が新たな痕跡を見つける。
「ゴブリンがああいう街道に出るのは、少し珍しいですね」
林の中でも背筋を伸ばして歩くカラトア神官は、説法のときのように落ち着いた声でそう説明しだした。
……たぶんこの説明は、疑いの目を向けたこの愚僧めに向けているのでしょう。穏やかな声が逆に胃に効きます。こう、なんだか変な気がするなー、ってだけで、けっして不満があるとかじゃなかったのですが。
「街道は見晴らしがよく、そしてたまに兵士たちが見回っています。もちろん、あなたたちのように仕事に行く冒険者も行き交います。こういった林や森などに食料が豊富にある時期、わざわざ危険を冒して街道まで出てくるのは……おかしいと言うほどではないですが、希なことです」
キリ君が槍を手に進んでいく。
逃げた手負いのゴブリンが深手なら、奥の方までは行かない。体力の問題もあるし、ヘタに動き回って他の魔物などと鉢合わせしたら今度こそ終わりだ。追っ手が来ていないことを確認したなら、おそらく身を隠せる場所を探して潜む。
たぶん、すぐ近くにそのゴブリンはいる。
「そして、ゴブリンは基本的に群で行動するもの。一匹で行動することもありますが、それは特殊な事情があるときだけです」
「その特殊な事情ってなに?」
「まだ分かりません」
お嬢様が聞くと、カラトア神官は首を横に振った。
「ですが懸念があります。昨夜、泊まらせていただいた教会で司祭様から、最近はゴブリンが多くなっているから気をつけるように、と忠告を受けました」
「あー、依頼も増えてるぜ。けっこうな村が困ってるみたいだ」
「オレたちも最近、よく討伐に出向いてる」
ニグさんとヒルティースさんは剣を構えながら周囲を警戒している。
そういえば先日ひどい怪我をしていたのを治療したけれど、あれもゴブリン討伐の傷だったのでしょうか。
「やはり討伐依頼も増えていますか。では、わたくしが受け持っている村周辺でも目撃情報が多くなっているのは、気のせいではなかったのですね」
どうやら辺境巡回神官としても心当たりがあるらしく、声にはほんの少し曇りが含まれている。
なんだか、だんだんと分かってきた。カラトア神官は感情が読みにくい人だけれど、読みにくいだけで心の動きは普通にあるらしい。注意して読み取ろうとすれば、けっこう理解できる。
「……つまりー、そのゴブリンの事情が気がかりなんですね?」
自分もポールメイスを手に、ゴブリンを捜す。
血痕や足跡は先へと続いているようだけれど、回り込んで横から襲撃されるかもしれない。あるいは、もっと他の魔物や肉食獣が潜んでいる可能性だってある。
警戒は怠れない。いつ襲いかかられてもおかしくないのだ―――
―――耳をつんざくような叫声が。
「敵襲!」
誰の声か分からなかった。分からないままに武器を構える。視線を向ける。
聞こえたのは前方―――キリ君がいた方向!
「び、びっくりしたぁ……」
そこには両手を広げて跳びかかったらしきゴブリンと、その胸を槍で貫く少年の姿があった。
だらり、とゴブリンの腕が下がり、ぐにゃりと首が下を向く。膝がねじれるように落ちて座り込むように事切れる敵の身体を、キリ君は突き刺さったままの槍をひねって仰向けに寝かせた。
そうして、槍を引き抜く。
どうやら怪我で弱って動けなくなったゴブリンが、最期の力を振り絞って襲いかかってきたらしい。もともと力尽きかけていたところだったからか、一撃で倒してしまったようだ。
心臓に悪い。やはり彼が先頭なのは間違っているのではないかと思ってしまう。……けれど同時に、彼が先頭なのは正解だという結果がそこにあった。
ふぅー、と息を大きく吐く。そしたらやっと肩の力が抜けた。
ふと隣を見れば、カラトア神官は薄い下唇を噛み、たった今魔物を仕留めた少年をじっと睨んでいた。




