野営地と足跡と血痕と
「あなたのお父上は、ナバーロ・イズス様ではありませんか?」
休憩が終わってまた街道を進み出してから、カラトア神官はそう会話を再開する。
ナバーロはたしかにお父さんの名前だった。
「は、はいー。父の名前はナバーロです。ヒリエンカの町で神官職を務めています」
「やはりそうでしたか。あなたのお父上はわたくしの先輩にあたるのですよ」
そう言われても、そんなに驚きはなかった。休憩中に思い至っていたからだ。
ヒリエンカの教会はそこまで規模が大きくない。神官位の聖職者くらい、全員が知り合いで当たり前。
だからもちろんカラトア神官も、お父さんと知り合いなのは当然だった。
「懐かしいですね。ナバーロ殿は神学と治癒魔術に秀でていて、また物腰が柔らかく暖かい御方でした。あのころの若い修道士たちの間では最も人望があり、特に後輩たちに人気でよく頼られていましたよ」
「は、はぁー……」
すごく褒めてくださるけれど、だいぶんお世辞が入っていそうだ。お父さんは神官位ではあるけど全然出世していなくって、重要な祭事とかだといつも端っこの方にいる。今の仕事も主に、孤児院で優しい神官さんとして子供たちの面倒を見ることだし。
お人好しだからきっと、後輩たちにいいように振り回されていたのでしょう。
「かくいうわたくしも、ナバーロ殿によくお世話になっていた一人でした。わたくしのメヌアという姓は、あなたのお父上につけてもらったのですよ」
「えっ、そうなのですかー?」
そこはビックリしてしまった。
三十年くらい前までは王族や貴族しか姓を持てなかったから、いまだに平民で姓を持つ人はそんなにいない。―――だって姓を名乗ると貴族を詐称したとして死刑になっていた時代の人たちが、わざわざ少なくないお金を払って姓を登録するかといえば……まあしないでしょう。なくても生活には問題ないですし。
ただ、聖職者は神官位になると必ず姓をもらいます。姓を得ることで先祖、子孫との繋がりが名称によって固く結ばれ、名乗ることで血筋に恥じない行いを心がけることができると考えられているからです。―――つまり変なことをしたら末代まで揶揄されるから気をつけなさい、という戒めですね。聖酒杯コルクブリズさんの姓はきっと、ずっと先まで語り草にされるでしょう。
でも、姓を名付けるのは普通、ただの先輩とかじゃありません。
「えっとー……階位授与の儀で神官位を得た方に姓をつけるのは、その教会で一番偉い人のはずではー?」
「……おそらくそれは最近の話ですね。十年前までは自分で決めたり、親しい友人に考えてもらうのが普通でした。もちろん最高位の方に名付けてもらう方もいましたが、とても畏れ多く、そして名誉なことだったはずです」
「ああ、なるほどー」
どうやら時代の流れというものらしい。……まあ、この愚僧めはあまり祭事について詳しくないので、もしかしたら今でもいい案があれば希望してもいいのかもですが。
しかし……姓をつけてもらうなんて特別なことのはず。なにせ一生使うのですし、子孫にまで受け継がれるのですから。
カラトア神官自身がお父さんの考えた姓を使うと決めたのなら、かなり仲のいい間柄だったのではないでしょうか。
「そういった縁もあり、わたくしは辺境巡回神官を任されるまで、イズス家とは懇意にさせていただいていたのです。まだ幼いユーネさんや、あなたのお兄さんともお会いしたことがあるのですよ」
「そうだったんですかー。すみません、全然記憶にないです……」
「最後に会ったのが十年前ですからね。ユーネさんはまだ四歳ほどでしたか。覚えていないのも無理はありません」
街道を歩くカラトア神官の姿勢はとても美しい。背筋が真っ直ぐに伸びて、頭の位置が全然ぶれない。
日が完全に真上になって気温も上昇し、夏の厳しい暑さが身体に熱を持たせるけれど、彼女は汗一つかいていなかった。
不思議な縁だ。
以前からキリ君の話で聞いていた神官さんと自分は十年前に会っていて、お父さんの後輩で、今はこうして並んで歩いているのだから。
「みんな、ちょっと待って」
前方からそんな声が聞こえて、視線を向けると先頭を行くキリ君が立ち止まっていた。
もう海は見えないけれどかすかに潮の香りはする、少し遠くに林が見える場所。道はまだまだ草原を行くけれど、彼は街道から少し外れた草地の、大きな岩のある場所を見つめているようだ。
「野営の跡がある……けど」
「あー、焚き火の跡があんなぁ」
「炭を片付けてないのはマナー違反だ。魔物が寄ってくる」
キリ君が見つけた焚き火の痕跡を目にして、ニグさんとヒルティースさんが眉をひそめる。
人のいた痕跡があると、魔物はそこで待ち伏せしようとするそうです。なので野営の跡をそのままにするのはあまりいいことではないと、毎晩のように部屋へ遊びにくるテテニーさんが言っていた気がします。
まあ、街道の近くなら人が通るのは当然なので、いまさらではあると思いますが……あまり褒められたことではないのは確かです。
「荒れていますね」
野営跡を見てカラトア神官がそう呟いた。そして、躊躇いもなくそちらへと向かう。
それとほとんど一緒のタイミングでキリ君も同じ方向へ動いた。息がピッタリなのは、ニビトイ村で過ごした時間のせいだろうか。
……って、一番年下の仲間と護衛対象っ。
「ちょ、ちょっと、待ってくださいーっ!」
慌てて追いかける。そんなに距離はないのですぐ追いつくと、残りの三人も小走りにやってきた。隊列とかそういうのはもうない。
「血の痕がある」
一番最初に見つけたのはキリ君で、彼が指で示した方向を見ると、たしかに岩の一部や草の葉っぱに血がこびり付いている。
ゾッとした。ここで戦闘があったのだ。こんな街道で。
「うわマジだな。どれどれ……」
「待ってニグ。そこから動かないで」
血痕の方向へ行こうとするニグさんを、キリ君が制止する。彼はもう血痕は見ていなくて、地面へと視線を落としていた。
「足跡が重なっててよく分からないけれど、少しバタバタしてる……かな。でもあんまり派手な立ち回りをした感じじゃない。でも―――……ううん、ごめんニグ。やっぱりなんでもないや」
「いいえ、現場から情報を読み取る努力は重要ですよ、キリ。少し調べてみましょう」
カラトア神官は地面に片膝をついて、残った足跡を観察する。それを見てキリ君も、立ったまま周囲を見回す。……この場所でなにがあったかを、状況から読み取ろうとしているのだ。
ニグさんとヒルティースさんが首を捻りながらもしゃがみ込み、リルエッタお嬢様もなにか感じることがあったのか現場を荒らさないように移動して別の角度から観察しようとしている。
自分もこの場を見てみる。―――いくつもの足跡。雑に砂をかけて消されただけの焚き火跡。残された血痕。
気づいたことは、あった。
「えっとー……ご遺体がないですねぇ……」
「うん。引きずった跡とかもない」
やっぱりキリ君は気づいていた。まあ、見れば分かることだから当然でしょう。
キリ君はゆっくりとした歩き方で進み出ると、焚き火の炭を指で触る。
「さすがにもう熱くないけれど、新しい炭だと思う。足跡は薄いし見づらいけどちゃんと残ってるし、もしかしたら一日もたってないかも」
「そうですね。少なくとも、死体が獣にすべて食べられてしまうほどの時間が経過しているとは思えません」
キリ君の言葉に、カラトア神官が頷く。
「ここで争った両者は、自分の足でこの場を離れたってことね。あるいは、死体を担いでいったのかもしれないけれど……それはなさそうだわ」
少し移動して違う角度で観察していたお嬢様の視線は、血痕の方へと向いている。……正確には、その奥の方に。
羨ましくなるほど艶やかなチェリーレッドの髪の少女が指し示したのは、少し先にある林の方だった。
「あっちに血の跡が続いてるわ。傷を負った方が逃げたわね」
カラトア神官が顔を上げて、キリ君を見る。
「……少々気になります。追えますか、キリ?」
「たぶんね」
この中で一番若い少年は、正体不明の何者かが逃げた先を見据えて頷いた。




