ユーネの立ち位置
二匹の蝶々がヒラヒラ飛んでいた。まばらな空の雲はゆっくりで、夏の日差しは暑いくらい。
南側に海が見える街道は少し狭くて、町から少し離れると人の姿を見ることもなくなった。静かな道を隊列を組んで、のんびりと進んでいく。
ひたすらに、気まずかった。
隊列は、一番前が野外での警戒に慣れたキリ君。続いて戦士のニグさん。真ん中を自分と依頼人のカラトア・メヌア神官が歩き、その後ろにリルエッタお嬢様がついて、最後尾を守りの堅いヒルティースさんが請け負っている。
つまり、ユーネ……いえ、あたし……わたし……わたくし……拙僧……いいえ、この愚僧めは、ただいま辺境巡回神官であるカラトア・メヌア女史の隣を歩いているのだ。
なんと畏れ多いことか。
辺境巡回神官と言えば「骨折は治せば丈夫になるから祝福」「血反吐、血尿が出てから本番」「腕と足はもげてなければ動く」「痙攣は這って進む訓練をしろとの啓示」「生還を神に祈るな。自力で成せ」などの名言でお馴染み神官戦士の修行を長年耐え、かつあらゆる大地母神の祭事に精通し、そして人格的にも認められたというエリート中のエリート。
対するこの愚僧めと言えば、修道院の修行は途中でドロップアウト。教典の暗唱すらもあやしい不勉強さで、現在はちょろっと使える治癒魔術を頼りに冒険者として活動中。端から見たら完全に落ちこぼれコース爆進中です。
けっして……そう、けっして、同じ聖職者なんだし話も合うでしょ、などという軽い理由で並び歩いていいハズがありません。この愚僧めは本日初めてキリ君を恨んでます。
「キリが一番前なのですね」
隣から不思議がるような声が聞こえて、思わずビクッとなってしまう。隊列の先頭は一番危ないから、一番年下の彼が務めているのが疑問に思われたのか。
たしかにおかしい。なぜこの臨時パーティは十にも満たない子供に一番重要な役割を任せてしまっているのか。
いや本当に、なぜ彼以外は周囲警戒の技術を持っていないのでしょうか。町の外で活動する冒険者なら一番重要な技術では?
「みんな町の産まれだからね」
カラトア神官の声を聞きつけたキリ君が振り向いてそう答えて、またすぐに前へと視線を戻す。
この辺りはまだ町も近いし、見晴らしもよく安全そうでも、彼は全然気を緩めていない。……というか、あれくらいはもう自然にやっているよう。
普段の冒険でも、彼の野外での動きはなんだか特殊な訓練を受けた人みたいで、視線は自分たちより一つも二つも上の次元を見つめている気がする。だからこそ一番前に彼がいることには、もはやなんの違和感も感じなくなってしまっていた。
「キ、キリ君はすごいんですよー。とっても目がよくて、薬草とかゴブリンの足跡とかを見つけるのが上手なんですー」
とにかくなにかを言わなければならないと思って、キリ君を褒めちぎる。
そう、自分たちはけっして一番年下の子を理由なく一番危険な場所に置いている、酷いパーティではない。彼が一番適任で頼りになるからこの隊列なのだ。本当にそうだ。
「そうなのですか。あまりにも自然に先頭を歩いているので、少し驚きました」
カラトア神官は一つ頷いて、キリ君の小さな背中を眺める。
彼女は百戦錬磨の神官戦士だからか、彼がこの中で一番周囲警戒に優れていることにも気づいているらしい。その表情の薄い顔にも納得の色が見て取れた。
「軽い体重は足音を消し、小さな身体は物陰に隠れやすい。子供の彼はたしかに、ハーフリングのような斥候をするのに向いているかもしれませんね。……ただ、どこで覚えたのでしょうか。村での彼はまだ、あまり狩りに参加していなかったはずですが」
「ああー、ハーフリングといえばチッカさんと仲良しですし、野伏の技は彼女に教えてもらったのかもしれませんねー」
「いましたね……ハーフリングの女性が」
そういえば以前聞いたことがあるが、キリ君の革鎧はチッカさんにもらったものらしい。
彼女の鎧がそのまま着られるのだから、体型的にはまさしくハーフリングだ。斥候は向いているかもしれない。
「……ということは、キリが大きくなればあの技術は活かせなくなるわけ?」
すぐ後ろを歩くお嬢様が、話に入って来てくれる。ああ、とてもありがたい。できればこのまま位置を変わってほしい。
このままさりげなく前に出てしまおうか。
「そんなことはないでしょう。身体の変化にともない多少の調整は必要でしょうが、身につけた技術は無くなりません。そもそも、人間の斥候だって多いでしょう?」
「……そうね。その通りだわ」
「ですがキリは、戦士としての訓練も受けている様子。もし金属鎧を着ることがあるなら、足音を忍ばすのは難しいでしょう。先行偵察などはしにくくなりますね」
さらっとカラトア神官はそう言うけれど、どうやらキリ君の持ってる槍が見せかけだけじゃないって見抜いてますねこれ。
商人になると言って村を出て行った子が、たったの三ヶ月で明らかに斥候と戦士の訓練を経ているのを目の当たりにするなんて、いったいどう感じるのでしょうか。ちょっと恐くて聞けません。
「ところで、リルエッタさんとユーネさんはどういう関係ですか? たしか昨日、ユーネさんはリルエッタさんのことをお嬢様と呼んでいましたが」
お嬢様が話に入ってきたからか、カラトア神官の興味はキリ君からキリ君の仲間である自分たちに移ったようだ。
「えっと……なんと言ったらいいのかー……」
「わたしはリルエッタ・マグナーンです。海塩ギルドの長を務めるマグナーン家の一族、で伝わるでしょうか?」
「分かります。十年前まではわたくしもヒリエンカにいましたので。やはり、あのマグナーンでしたか」
「はい、そのマグナーンです。そしてその当主であるわたしのおじいさまは信心深く、教会にはかなりの額の寄進を行っていまして。……ですので、うちの者が体調を崩したときは、教会がよく治癒術士を寄越してくれていました。彼女はその内の一人です」
つまり、自分たちはそういう関係だったりする。……もっと言えば、それをきっかけにして仲良くなった間柄だろうか。
マグナーンのおじいさまのギックリ腰を治すために通うかたわら、お嬢様とお茶をしたりお喋りしたり、甘いお菓子で餌付けされたりするうちに治癒術士ではなくユーネ・イズス個人としてマグナーン家に気に入られて……そして今はなぜか、お嬢様が無茶をしないようお目付役として、一緒に冒険者になってしまいました。
うん、運命とは不思議です。
「なるほど、そういう経緯ですか。運命とは不思議なものですね」
畏れ多いことにこの愚僧めとまったく同じ感想を口にして、カラトア神官は感情が読みにくい瞳をこちらへ向けた。
「ユーネ・イズスさん。わたくしは以前、あなたとお会いしたことがあります」
「えっ?」
まったく寝耳に水の話で、思わず声が裏返ってしまった。
以前会ったことがある? この人と? そんなの全然気づかなかったけれど―――
「ユーネさん! あそこにちょうどいい木陰があります。そろそろ休憩しませんかっ?」
「夏の行軍はこまめに水分を摂りながら進むのが基本ですよ、ユーネさん!」
驚きは臨時でパーティを組んでいる元気な少年二人の声にかき消されて、辿ろうとした記憶は押し流される。
困ったことに……どうやらニグさんとヒルティースさんは、自分のことをこちらのパーティのリーダーだと勘違いしているらしい。なので、なにかにつけてこうして名前を呼ばれてしまう。
いや、分かります。そうなるのは分かります。たしかにこちらのパーティで一番年上だし、修道女と言えばしっかり者というイメージがあるでしょう。当然、本来ならばリーダーでしょうとも。ですがユーネはリーダーとか代表とか、そういうの向いてないと思うんです。
なのでできれば、すぐにでもこの勘違いは直していただきたいところなのですが……胃が痛いことに、隣にはカラトア・メヌア女史がいらっしゃるのです。
もしここで、こちらのパーティのリーダーはユーネじゃないですよー、なんて言おうものなら、おやなぜですか? この若いパーティならば一番年上のあなたが務めるべきでは? 聖職者の端くれとしてお恥ずかしくないのですか? などと詰め寄られかねません。そして実際そのとおりなのでなにも言い返せません。
「そ、そうですねー。ではみなさん、あそこで小休止しましょうかー」
夏の暑さのせいか、それとも別のなにかのせいか、頬を流れる汗を手で拭いながら慣れない号令をする。
少し先には、大きな木が枝葉を広げて気持ちよさそうな木陰をつくっていた。




