魔術を覚えたい理由
考えを改めよう。
戦いに赴く彼は怖いとか、性格的に商人の方が向いているとか、普段の彼の方が好感が持てるとか、そんな理由は捨て去ろう。
おためごかしはもういい。
答えはシンプルに、事実だけ。
彼は冒険者を続けたがっている。
冒険は危険が伴う。死ぬ可能性だって高い。……そんなことは誰もが理解しているのだから、もう考慮に入れない。
できるからじゃない。その方がいいからでもない。
やりたいから選ぶのだ。―――わたしのように。
仮面を被って生きるために生きてきた彼が、仮面を脱ぎ去りありのままでいるためには、たしかに冒険者はうってつけ。
冒険者は自由なのだから、束縛から逃げてきた少年が行き着く場所としては順当だ。まるでそういう運命だったのではないかと感じてしまうほどに。
「悩んで損したわ。結局は今まで通りってことね」
なんだか気が抜けてしまって、わたしは地面にそのまま腰を下ろす。
冒険者になる以前の自分だったら、ハンカチも敷かずに外で座るなんて絶対にしなかっただろう。というかこうして地べたに直で座ったのは今日が初めてだ。
かまわない。服に付いた砂なんて、後で払えばいい。
彼が冒険者を続けるのであれば、わたしはこれからも彼と共に冒険へ行けるのだ。……それを嬉しいと思える程度には、リルエッタ・マグナーンはキリという少年のことを好ましく思っているのだろう。
もちろん完全に今まで通りというわけではなくて、彼が年齢を誤魔化していることを知ってしまったし、事情も聞いたのだから、もう前とまったく同じには戻れないのだけれど。
でも……それもまた一つの前進だと思えば、決して悪くはないと思うのだ。
とはいえ……それはそれとして。
冒険者か商人かという選択が終わったのだから、次はその先へと向き合うべきである。
つまりは、そう。そろそろこんな話題に決着をつけなければならないだろう。
「ねえキリ。貴方は、魔術を使いたいのよね?」
今朝のことだ。彼ははっきりと、錬金術師であるグミさんに相談していた。
魔術を使いたいと、思い詰めた表情で。
「……うん」
頷く彼の横顔は、少し暗い。―――そんなふうに表情を曇らせる理由に、実はわたしには心当たりがあった。
だって、あの日の夜。わたしは一睡もできなかったのだから。
「どうして?」
「それは、使えれば便利だから……」
「違うわよね」
隠すのには理由があるのだろう。
けど、もう聞かずにすませて後悔する気はなかった。
「グミさんには約束がどうとか言っていたわ。それも嘘だったみたいだけど」
「…………えっと」
表情を曇らせ、まだ言い淀む彼は……なるほど、こうして見るとやはり年下の男の子だ。
ああ、まったく。ごまかしたいのなら嘘を重ねればいいのに。―――それができないということは、彼にとってはきっと重大な話。軽々しい嘘で汚したくもないような。
「貴方、テテニーと一緒に泉へ行ったでしょう?」
「え」
自分の膝に肘をついて頬杖したわたしは、彼にそう告げた。たぶん、ちょっと拗ねた口調になってしまった気がする。
それはあの島の、夜の話。
「それに、その後シェイアともどこかへ行ったわよね」
「え」
キリの表情が面白いほどに固まる。悪戯がバレた子供そのものだ。
「あのね、貴方の衝撃的な話を聞いてわたし、すごくショックだったのよ。なのに眠れるわけないでしょう?」
「あ、起きてたんだ……」
寝たふりをしていたのは事実だけれど、そこを悪びれるつもりはないから、堂々と。
正直あの夜は頭がぐちゃぐちゃになりすぎて、どうしていいのか分からなかった。
辺境の村で親もなく育ったキリと、町で有力商人の家系に産まれた自分とは、なにもかも違いすぎる。
そのことをやっと理解して、どう接することがいいのかすら全然分からなくて、テテニーとシェイアが彼を連れて行く時も声を上げることすらできなかった。
やっと自分なりの答えが出せたのは、今朝のグミさんの依頼を聞いてから。それも的外れな話だったのだから、わたしはそうとう困惑し迷走していたのだろう。
……ああそうだ。その、グミさんの話だ。
―――君は魔術なんて使いたくないし、約束もどうでもいいんだよ。
あの眼鏡の奥に深いクマを刻んだ錬金術師は、彼の嘘をそう見破った。
彼は魔術を習得するためにあの島へ行ったのに、約束だって大事にする性格なのに、そう言い切ったのだ。
もしそれが正しいのだったら、きっとあの夜にあったことが―――あの人格的に問題のありそうな二人の女冒険者が、深く関わっているに違いない。
「そっか……うん。気になるよね」
キリは気まずそうにしてから、腕を組んで少し唸る。
どうやらそうして考えを纏めなければ伝えられないほどには、複雑な話らしい。
「えっと……テテニーと泉に行ったらネティエペさんが待ってて、教えてくれたんだ。さっき言ったとおり僕はなんにもないから、魔術を覚えると遊びみたいになって、度を超しちゃうほど夢中になっちゃうって。チッカみたいに」
「それは困るわね。あの釣り好きみたいになったら仕事が手に付かないわ」
「だけど魔術を目的にするんじゃなくて、ただの道具にすればいいってシェイアに言われて」
それはただの言葉遊びではないのか。魔術を覚えるのは一緒だと思うのだけれど。
まあでも……かなり、だいぶん、すごく端折ってる説明な気がするから、きっとそういうロジックがあるのかもしれない。そもそも魔術を遊びにすると沼にハマるとかいう話がわたしには意味不明なので、その辺りの理解は諦めがちなのだけれど……とりあえず彼が悩んでいたことは分かった。今日なんだか様子が変だったのも、それが原因に違いない。
つまり魔術以外の何かを目的にして、魔術をそれを叶える道具に落とし込みたいと。
「まあ……まあいいわ。それで?」
「うん。えっと……実はシェイアは、すごく大変なクエストを抱えてるんだ。難易度が高すぎて僕じゃなんにも手伝えないようなのを。―――だからせめて、応援したくって」
「応援?」
キリはわたしと目を合わせようとしなかった。
視線を地面に向けたまま、諦観のように、彼は胸中の想いを吐露する。
「シェイアは、僕が魔術に堕ちたら殺してくれるって約束したんだ。だから……約束は絶対守る人だから、僕が魔術を覚えたら、いつか僕が堕ちる時までシェイアは生きてなきゃいけない。だったら、そのクエストからも絶対に生きて帰らなきゃいけないでしょ?」
風に流れる夏の大きな雲が、ほんの一時だけ日差しを遮る。
―――馬鹿すぎる。
彼の言葉を聞いて、頭の中が全部空白になった。落ちた砂が重なるように意味を理解するまで、わたしは真顔ではしたなく口を半開きにして、ただただ目の前のバカを見つめていた。
キリはやっぱりわたしとは目を合わせない。合わせるわけがない。
そんな理由を、わたしが許すはずがないから。
「没」
彼も分かっているのだから、遠慮なんていらない。わたしはその目的とやらを二音で却下する。
「そのクエストがどんなものか知らないけれど、それ、なんの意味も無いわ。ただの自己満足。そんなに生還の約束がほしかったら、出発の直前に帰ってくるって言わせればいいじゃない」
「うぐ」
「そんな簡単なことを回りくどく目論んで、これが目的です、だなんてバカじゃないの?」
「くぅ……」
あまり笑い事ではない話ではあるけれど、言い返すこともできず呻く少年がちょっと可笑しくて、ちょっと笑ってしまいそうになってしまった。
きっとこれは、彼の純真さが導き出した答えなのだ。
たしかに回りくどくて、分かりにくくて、益体もない話だ。けれどその回りくどさは、少しだけロマンチックかもしれない。
本音をひた隠して自分には向いていない魔術を習得し、困難な冒険へ向かう先輩を見送って、貴女は僕を殺す約束があるのだから絶対に生きて帰ってきてね―――なんて願う見習い魔術士の少年。
……ああ、腹が立つわ。想像したら眉間にシワが寄ってきた。なんて実利のない話だろう。お金を貯めて高い水薬の一本でも贈った方がまだ使いようがあるでしょうに。
「堕ちるとか殺すとか、物騒な話を世間話みたいにしてるんじゃないわよ。貴方は堕ちないし、殺させない。わたしがそんなことは許さない。だからそんな約束はそもそも意味を成さない。分かった?」
「……でも、そもそも僕に魔術を教えるっていうのがシェイアとの元々の約束だから。……魔術だって使いたいことは使いたいし」
わたしに捲し立てられたのが不満なのか、少年は口を尖らせる。自分でもどうかと思ってただろうに、完全否定されるとそれはそれで嫌らしい。
でも、当然ではないか。そんな話を許容できるはずがない。あの女にキリを殺させるなんて絶対にない。そこは譲らない一線だ。
「なら、もっとマシな理由を考えなさい」
それでも、魔術を覚えるのをやめろとは、言う気にならなかった。
彼は束縛から逃れるために村を出たのだから、わたしが縛り付けてはいけない。間違っていると思ったら意見はするけれど、だからって邪魔者にはなりたくないと思うから。
「考えろって言われても……じゃあ、先に聞かせてよ。リルエッタはなにか目的ってあるの?」
そう聞かれて、むぅ、と唸った。……けれど、すぐに笑む。
なるほど。今回はわたしばかり彼のことを知ってしまった。だから、わたしだって彼に教える義務があるだろう。
なにより……話の流れとはいえ、自分のことを聞いてもらえたのが嬉しかった。
「ええ、いいわ。教えてあげる。わたしは―――」




