少女と少年
「ここ?」
顔を上げて、今いる場所を確認する。―――確認しても、やはりこの場所に特別な何かがあるわけではなかった。
ああ、間違いない。ここは見慣れている。
いつも、通り過ぎるだけの場所。
「そう。北西の門」
町をぐるりと囲む壁に四つある門の、一つ。
わたしたちが町の外へ向かう時に使う、冒険者の店から一番近い門。
「門番さん、おつかれさまです」
「おお、小さいの。この時間からいくのかい? フワフワした嬢ちゃんはどうした?」
「今日はすぐそこまでしかいかないから」
ちょび髭を蓄えた門番に軽く挨拶して、門を通る。
特に手続きは必要ない。冒険者でこれだけ若い三人組というのも珍しいからか、私たちの顔はここの門番たちに覚えられている。
「さっきの門番さん、僕が最初にこの門を通ったときにもいた人なんだ」
門をくぐりながらそう口にする彼は、懐かしそうに笑っていた。
彼はわたしたちよりも冒険者になるのが少し早い。つまり先輩に当たる。けれどその、わたしたちと会う前の話は……実はあまり聞いていなかった。
たぶん悔しかったのだと思う。
彼には事情があったとはいえ、自分と同い年の相手に先をこされたというのは、あまり気分がいいものではなかった。
そしてきっと、彼も話したがっていなかったはずだ。なにもなかったのか、なにがあったのかはよく知らないけれど、喜んで話すようなことはなかったのだろう。
そう。
そんな関係でいたから、わたしたちはお互いのことをほとんど知らない。
だからあの人魚があんな短時間で引き出したほんの数言の話ですら、自分たちは知らなかったのだ。
冒険者の関係なんてそんなもの。パーティであっても日によって別々に行動したり、特に挨拶もなく抜けたりなんてよくあること。
事情なんて聞いてもしょうがない。互いに深く詮索し合ったりはしないのが普通。そんなことは分かっているけれど。
それでも、今は知りたい。
「僕、なりゆきで冒険者になったから、なんにも持ってなくって。ウェインに薬草採取の依頼書を渡されて、シェイアに小さなナイフをもらって、それだけで冒険に出たんだ」
「それで放り出す方も、放り出す方ね……」
「冷やかしだって思われてたみたい。満足したら家に帰るだろうって」
門をくぐってすぐのところで立ち止まって、少年は風景を見渡す。
草原を割るように、長い年月を踏みしめられてできた街道。まばらな木々。遠くに森や山。空には濃い青と大きくて高い白と、強い陽。
町の外に出る日はいつも見ている光景だ。なにも特別なことはない。
「村を出たかったんだ」
キリはそう言って、街道を歩き出した。
その声を聞いていたくて、わたしも追いかける。
「うちって兄ちゃんが二人、姉ちゃんが一人の四人兄姉で、親がいなかったから、いつも村の人たちに助けてもらってたんだよね」
その話はもう知っていた。彼は隠していたのに、ズルで聞いてしまった。それをわたしが告げたから、もう隠す必要はないと話してくれている。
……できれば、そんな事情がなくても話してほしかった。あんな事件がなくても、聞くべきだった。
話を聞いていても、後悔ばかりが頭をよぎる。
「だから礼儀だけはしっかりしなさいってよく言われてたんだけど、それが窮屈でさ」
んー、と歩きながら組んだ手を前に出して、キリは日向の猫のように伸びをした。
「それで、町に行こうかなって」
…………ちょっと殴ってもいいだろうか。
「ふざけているの?」
「ううん。全然」
わたしが低い声を出してあげると、キリは茶目っ気たっぷりにペロリと舌を出して笑ってみせる。そんな仕草からして、ふざけているようにしか見えないのだけれど。
街道を歩きながら少年は楽しそうに風景を見渡して、少し遠くにある背の高い木を指さす。
「僕、木登りが得意なんだ」
「……森でたまに木の実を採ってくるわよね、貴方」
「冒険者になって最初の頃は、木の実を食べてお腹の足しにしてたからね」
懐かしそうに語るけれど、だいぶん悲惨だ。食べる物にも困っていたということである。
町に住んでるのに森で食物を探すだなんて、半分サバイバルではないか。
「村にいたときは家の手伝いとか、神官さんに読み書きとかを教えてもらったりとか、そういうのであんまり機会はなかったけれど、村の子たちと遊ぶこともあったんだ。でも僕、あんまり遊び慣れてなかったから上手くできなくてバカにされててさ。でも木登りすることになって……年上の子もいたんだけど、僕が一番高い木に登ったんだ」
「なんだか、まさに田舎者って遊びね」
町でだって木登りする子供くらいいるでしょうけれど、やっているのは見たことがない。少なくともわたしはやったことがない。
……楽しいのだろうか。今度森に行ったときに挑戦してみようか。
「そしたら、キリのくせにって言われたんだよね」
わたしの足が止まる。
「……なによそれ」
「なんだろうね」
わたしが止まったことに気づいた彼も、足を止めて振り向いた。
お腹の底から嫌な感情が湧いて出てくる。胸がムカムカして、手が固い握りこぶしを作っていた。
だというのに、なぜ彼はヘラヘラ笑っているのか。
「村の大人たちにとって、僕は親を亡くしてるのに礼儀正しい、可哀想なのにいい子で」
少年がまた歩き出した。今度は街道を逸れる。腰まである背高の草を掻き分けていく。
わたしも怒りにまかせた足取りでそれについていく。
「村の子供たちにとって、僕は文字なんか習いながら大人たちにいい顔ばかりしてる、気にくわないヤツで」
キリの小さな背中を睨み付ける。そこにある胸の内の、その向こうにいるだろう村人たちに憎しみを覚えた。
仮面を被って生きるなんて、珍しいことではない。わたしだってマグナーンとして仮面を被っていた。それを窮屈に思うことだってあった。
でも……そこには誇りがあったのだ。
「村の誰からも下に見られて、それを受け入れる仮面を被らないと生きていけなかったなんて―――……」
まるで、奴隷ではないか。
そこまでは言葉にできなかった。言ってしまえば、彼はきっと傷つくだろうと思った。
「奴隷だよね。そんなの」
けれどキリという少年は、わたしが思うよりもずっとずっと強かった。
「だから、もういいやって。兄ちゃんも小さい兄ちゃんも、姉ちゃんも、みんなちゃんと村の大人に認められて仲間入りしたけれど……僕はなんかそういうの、面倒くさいなって思って。だから出てきた」
そんなふうに言って、可笑しそうに笑って、少年は軽い足取りで草むらを進む。
腰まである草むらなんて地面が見にくい悪路なのに、よく平地のように歩けるものだ。さすが田舎者は違う。大きめの石を踏んでしまってぐらつきながら、けれど悲鳴を耐えてバランスを持ち直す。こんなことで話を中断させたくはない。
もう分かっている。これは、彼が必死に隠してきた彼自身の話。
「僕には、本当になにもなかったんだよ。逃げて来たんだから」
あの魔女は、本当に余計なことをしてくれた。
キリは草むらでしゃがみ込むと、そこにあった背の低い草をつまんでナイフも使わず採取する。
千切られたそれは、青々とした色の一際広い葉っぱだった。
「薬草……じゃないわね。薬草採取の依頼書にはない植物だわ」
「それが薬草なんだよ。ヒシク草って言ってね、水薬や軟膏の材料になるし、よく揉んで傷に貼りつけても効果があるし、薬草茶にもなる」
そう言った少年は、パクリとその葉っぱを口に入れて、食べてしまう。そのあまりの奇行に、わたしはまばたきを繰り返してしまった。
「おいしいの?」
「うん、食べてみて」
手渡されて、マジマジと見つめてしまう。
草だ。どこからどうみても草。ただの葉っぱ。とてもじゃないけれど美味しそうには見えない。
……まあでも、よく考えれば葉野菜だって葉だ。山菜と思えば食べられないことはないのだろう。薬草茶にもするのなら、身体に入って悪いものというわけでもあるまい。現にキリは食べているのだし。
意を決して、口を開く。そのまま半分くらい囓った。
「う、酷い味……」
「アハハッ」
涙目になるわたしを見て、快活に笑うキリ。思いっきり嘘つきじゃないの。
「ごめんごめん。美味しくないよね」
そう言いつつもキリはヒシク草の葉をもう一枚口に入れると、味わうように噛んでから飲み込む。
この味が平気なのか。舌がおかしいのではないか。
「これも、冒険者になって最初の頃に食べた」
……なんでそんなに、懐かしそうに言えるのだろうか。
「冒険者登録して、薬草採取の依頼をやるって決めて、北西の門をくぐって町の外へ出て。不安だったし、心細かったし、お腹も空いてたけれど―――ワクワクしたんだ」
彼の視線を追って振り返れば、町の壁と門が見えた。
「自由になったんだ、って」
わたしはため息を吐く。
それが、彼の原風景。心の奥に在り続ける景色。
ならばもう、次の言葉なんて予想できる。
「ごめんリルエッタ。僕は村から逃げて来ただけだから……べつに、商人になりたかったわけじゃないんだよ」
「謝る必要はないわ。ただのお節介だったみたいだから」
夏の風になびく髪を押さえて、わたしは手に残ったヒシク草の葉の残りを口に入れる。
野草の青臭さと苦みが口に広がって、まったく美味しいとは感じなかったけれど……酷く不味かったけれど、しっかりと噛んで飲み込んだ。
この程度、なんのことはない。
わたしはきっと、これからとても困難な道を選ぶのだから。




