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第18話 御使の盤面

 真白は贈られた刀を義景の足元へ置いた。


「兄上と呼ぶのは、これで最後です」


 朝の軍議所に、鞘の触れる音が響く。


 外には源氏の兵が三重に立っていた。


 真白と瑠璃は、捕らえられたのではない。


 正門から名を告げ、自分たちで入った。


 義景は軍議を中断し、家臣を全員下がらせた。


 床には西国の地図が広げられている。


 赤い駒が平家。


 白い駒が源氏。


 そのどちらにも属さない黒い駒が、四つ。


 倶利伽羅、都、千綾の山、北の砦。


 真白が人を救った場所へ置かれていた。


「返すのか」


 義景は足元の刀を見る。


「よく手に馴染んでいただろう」


「斬れるようになりました」


「それは残念だ」


 本当に残念そうな声だった。


「お前には一生、鞘から抜いてほしくなかった」


「抜かなければ死ぬ人を、兄上が置いたからです」


 最後の呼び名を口にすると、胸が痛んだ。


 それでも、目を逸らさない。


 義景は兄の顔をやめ、軍師の顔で二人を見た。


「何を聞きに来た」


「全部です」


「便利な言葉だ。人は全部を知れば耐えられると思いたがる」


 瑠璃が黒い駒を一つ拾う。


「では、耐えられないところから。真白の村を襲わせたのは、あなた?」


「そうだ」


 迷いのない答えだった。


 真白の耳から、ほかの音が消えた。


 焼ける茅の匂い。


 井戸から聞こえた小夜の泣き声。


 看取り帳へ書いた名。


 記憶が一度に戻る。


「鎌頭組を、烏羽の金で」


「雇った」


「村の人たちが死ぬと、知っていましたか」


「死者が出る命令をした」


「どうして」


「お前を山から出すためだ」


 義景は地図の村へ指を置く。


「玄斎殿のそばにいれば、お前は鈴を持ったまま戦から離れて暮らした。だが鵺の封印を外せるのは、白笹の血と三息を持つお前だけだった」


「だから燃やした?」


「そうだ」


「小夜を井戸へ入れたのも」


「八咫烏の者だ。生き残りがいれば、お前は捨て置かない」


 真白の手が震える。


 拳を握っても止まらない。


 義景へ飛びかかれば、少しは楽になる。


 だが、聞くために来た。


 怒りで答えを途切れさせないため、爪が掌へ食い込むまで耐えた。


「鈴守の記録を、瑠璃さんが盗めるようにしたのも?」


「平家の蔵番へ金を渡した。姫が夢を調べていることは、以前から知っていた」


「私と真白を会わせた道も」


 瑠璃が問う。


「斥候を遠ざけた。お前が陣を抜ける夜に、山道を一つだけ空けた」


「私たちは、自分で会ったつもりだった」


「自分で選んだのだろう。私は選べる道を狭めただけだ」


「それを、操ったと言うのよ」


 瑠璃が黒い駒を地図へ戻す。


「小夜の姉を捕らえたのも?」


「千代は殺していない。食事も薬も与えた」


「人質にしたことを聞いています」


「必要だった」


 義景の言葉は、いつも同じ場所へ戻る。


 必要。


 勝つため。


 終わらせるため。


 数にされた人の名だけが、そこにない。


「玄斎先生を殺させたのも」


 初めて、義景の視線が揺れた。


「姉妹へ真白の居場所を伝えた。玄斎殿を狙えとは命じていない」


「でも、先生が僕を庇うと知っていた」


「あの人なら、そうすると思った」


「同じです」


「違う」


 義景の声が強くなる。


「私は玄斎殿を敬っていた」


「敬っていた人まで、盤へ置いた」


「戦とはそういうものだ」


「これは戦ではありません。あなたが作った処刑です」


 義景は黙った。


 窓の外で、兵の足音が規則正しく往復する。


 逃げ道のない屋敷。


 それでも真白は、刀を返したことを後悔しなかった。


「三度の救命を、すべて設計したんですね」


「最初の足軽は偶然だった」


「甚助さんが崖へ落ちることが?」


「誰を救うかは選べなかった。あの戦場なら、お前は必ず誰かの白い息を見る。それで十分だった」


「結と解は」


「金で雇った。二人が命を一つにすることは、報告で知っていた」


「千代さんは」


「お前が追いつける時刻に処刑すると告げた」


「僕が助けると分かっていた」


「疑ったことはない」


 その信頼が、刃より痛い。


「なぜ、鵺を起こすんです」


 義景は地図の西へ目を落とす。


 平家の赤い駒と、追う源氏の白い駒。


 海へ向かって集まっている。


「武士の世を終わらせる」


「鵺で?」


「源氏も平家も、勝てば次の戦を始める。血で土地を奪い、子へ刀を持たせ、その子がまた奪う。ならば壇ノ浦へ双方の力を集め、まとめて焼けばいい」


「何人死ぬと思っているの」


 瑠璃の黒い息が激しく揺れる。


「必要なだけだ」


「私の家族も、あなたの兵も?」


「武士である限り」


「真白だけは別なのね」


 義景の目が、弟へ戻る。


「真白は武士ではない」


「刀を与えたでしょう」


「身を守るためだ。使わずに済む世を作るまでの」


 義景は真白へ歩み寄る。


「お前だけは戦わなくてよい世にする」


「僕以外を燃やして作るなら、そんな世はいらない」


「今はそう言う」


「これからも言います」


「母上も、同じことを言った」


 真白の呼吸が止まる。


「母を、知っているんですね」


「私の母でもある」


「母は、何をしたんです。なぜ僕を」


 義景の手が、真白の頬へ伸びる。


 触れる直前で止まった。


「それを知れば、お前は自分を責める」


「決めるのは僕です」


「言わない」


「また、守るためですか」


「そうだ」


「なら、その守り方を拒みます」


 真白は一歩下がる。


 兄の手が、行き場をなくして下りた。


 初めて、義景の顔に痛みが浮かぶ。


「私を憎め」


「憎んでいます」


「なら、なぜそんな顔をする」


「愛されていたことも、嘘ではないからです」


 熱を出した夜。


 足に合う草鞋。


 栗餅。


 稽古で転んだ幼い真白を背負った背中。


 どれも、村を焼いた手と同じだった。


「でも、もう愛されるために従いません」


 義景は目を閉じる。


「お前が私から離れれば、最後の封印は守れない」


「瑠璃さんが最後なんですね」


 沈黙が答えだった。


「黒い息の命を救えば、鵺は完成する」


 瑠璃が言う。


「だから、私を真白のそばへ置いた」


「お前が生きたいと望まなければ、真白は迷った」


「私の望みまで利用したの」


「望みは利用されても、偽物にはならない」


 義景の言葉に、瑠璃は唇を噛む。


 真白は彼女の手を取った。


 今度は、選ぶために。


「帰ります」


「どこへ」


「兄上のいない場所へ」


 義景が手を上げる。


 外の兵が一斉に槍を構えた。


「帰せない」


「僕を傷つけないよう命じていますね」


「当然だ」


「だから、瑠璃さんと一緒なら動けない」


 真白は瑠璃の前へ立つのではなく、隣へ並ぶ。


 二人で戸口へ進む。


 槍の穂先が揺れた。


 兵は真白を突けない。


 だが道を開けることもできない。


 その時、屋敷の外で怒鳴り声がした。


「火だ!」


 煙が上がる。


 兵たちの視線が逸れた。


 裏門の閂が、内側から外れる。


「こっちだ!」


 甚助が顔を出した。


 源氏の胴丸を着ているが、胸の紐を外している。


「何をしている!」


 義景が叫ぶ。


「拾われた命の使い道を、俺が決めてる!」


「お前の家族は、こちらで保護している」


 義景の声に、甚助の顔が一瞬だけ固まる。


「門を閉じれば、妻子の暮らしは保障しよう」


「開けたままなら?」


「敵を逃がした兵の家族として扱われる」


 甚助は腰の文を握った。


 助けられた日に死んだと思われていた家族へ、まだ渡せていない文だ。


「あんたは、何でも人質にするんだな」


「守るべきものを示しているだけだ」


「守るってのは、首に縄を掛けることじゃねえ!」


 甚助は閂を地へ投げた。


「家族には俺が頭を下げる。俺の足は、俺が決める!」


 甚助は門を全開にする。


 外には馬が二頭。


 一頭の鞍へ、真白の看取り帳が結ばれていた。


「小夜からだ。千代と寺へ逃げた。先生の名を置いていくなってよ」


 真白は帳面を胸へ入れる。


「甚助さんも来てください」


「俺は火を消す。放火で死人を出したら、お前に怒られる」


「もう怒っています」


「なら、生きてあとで聞く!」


 甚助が笑い、兵の前へ立つ。


「行け!」


 真白と瑠璃は馬へ乗る。


 門を抜ける直前、真白は振り返った。


 義景は追ってこない。


 地図の中央で、一人立っている。


 返された刀を拾い、幼い弟の遺品でも抱くように胸へ寄せていた。


 真白を追う命令より先に、義景は甚助の家族へ手を出すなと兵へ告げた。


 最後まで聞こえたその声が、兄を憎むことさえ簡単にはしてくれなかった。


「真白!」


 瑠璃の声に、前を向く。


 二頭の馬が朝靄へ飛び込んだ。


 屋敷が見えなくなるまで走る。


 川辺で馬を止めた時、真白の手はまだ震えていた。


「後悔している?」


 瑠璃が問う。


「分かりません」


「私もよ」


「でも、戻りません」


「私も」


 川面へ、二人の息が重なる。


 白でも黒でもない朝靄の中で、誰かが握り飯を食べる音がした。


 対岸の柳に、あの爺が座っている。


 いつ来たのか、馬も気づいていなかった。


 柳の細い枝は、爺の体重を受けていない。川面にも、人の形をした黒い影しか映っていなかった。


「兄弟喧嘩は済んだか」


 爺は最後の一口を飲み込み、にたりと笑った。


「逃げるなら祠へ来い。四匹目が、お前たちを待っておる」


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