足跡と見取り図
ツアー客達の間に緊張が走り……。
その後、卯月達はリビングへと戻った。卯月は、皆を見渡して言う。
「皆さん、私はこれから現場検証をする為ここを離れますが、皆さんはここに留まって下さい。決して一人になる事のないように。一人になると、証拠隠滅をしていると疑われるばかりか、場合によっては犯人に命を狙われる事もありますから」
皆、神妙な顔で頷いた。それを見届けた卯月は、一人302号室へと向かった。
◆ ◆ ◆
302号室に入ると、卯月はまず志保の遺体を観察した。服装は、白いTシャツに紺色のハーフパンツ。恐らく、シャワーを浴びた後着替えたのだろう。見た所外傷は無い。やはりスカーフを使った絞殺か。
卯月は、ジーンズのポケットからスマホを取り出すと、遺体の写真を数枚カメラに収めた。プライベートなスマホで撮るのもどうかと思うが、鑑識がいないのだから仕方が無い。
彼女の遺体を予備のシーツで軽く覆った後、卯月は部屋の様子も何枚か撮影した。卯月が部屋の中を弄っていない証拠にはならないが、また誰かを現場に立ち会わせるのも気が引ける。なにせ、部屋の中にはご遺体があるのだから。
部屋のシーツが乱れて一部床に着いている以外は、特に争った形跡も無い。半開きになった白いバッグからは財布が覗いており、金品目的の殺害とは考え辛そうだ。
下手に部屋にある物を動かす事も出来ないし、現場検証はここまでか。関係者への事情聴取を優先して現場検証が遅れてしまったが、実害は無いだろう。
卯月は、スマホをポケットに仕舞うと、302号室を後にした。
◆ ◆ ◆
数分後。リビングには、ツアーの関係者全員が集まっていた。卯月は、志保の死因が絞殺と思われる事、部屋は大して荒らされていなかった事を掻い摘んで話した。
しばらく、お通夜のような空気がリビングに流れる。沈黙を破ったのは、人形マニアの若葉だった。
「……ねえ、白鐘さん。山下さんを殺害したのは外部犯だって事は考えられない?」
若葉は、縋るような表情で卯月を見つめる。卯月は、首を横に振って答えた。
「残念ですが、外部犯である可能性は低いでしょう。山下さんが殺害されたのは、昨日土砂崩れが起こった後。もし外部犯なら、この館の敷地内か近隣の道路・森で立ち往生しているはずです。しかし、今朝山下さんを手分けして探した時、外部犯が館に潜んでいる気配は無かった」
犯人が車中泊や野宿をしている、もしくは何らかの方法で遠くに逃げた可能性もゼロではない。しかし、それなら門の辺りに犯人の足跡が残りそうなもの。
しかし、現場検証から戻る前に玄関を見た限りでは、志保を皆で探す際の足跡はあったものの、玄関から門の方に向かうような足跡は見当たらなかった。
若葉は、震える声で呟く。
「……じゃあ、この中に犯人がいるって事じゃない……!!」
皆の間に緊張が走った。卯月は、優しい口調で答える。
「確かにそういう事になりますね。でも、落ち着いてい下さい。犯人の目的は分かりませんが、いつも複数人で行動するようにすれば、犯人に狙われたりする事はありませんから」
「そんなの気休めじゃない……!」
また部屋に沈黙が流れる。しばらくすると、若葉はハッとしたように顔を上げて言った。
「そうだ! この中であの山下とかいう人を殺害する動機があるのって、恋人のあなたくらいじゃない?」
若葉に鋭い視線を向けられた洋太郎は、ブンブンと首を横に振って答える。
「いやいや、俺は志保を殺してなんかないですよ!」
「どうかしら。夜中にこっそり彼女の部屋に行って殺害するのなんて、簡単でしょ?」
ツンとして言い返す若葉。洋太郎は、少し考えてから思い出したように言った。
「そ、そうだ! 俺は201号室に泊まってるんだ! 志保を殺す為には、302号室に行かなきゃいけない。でも、俺は302号室に行けないんだ! だって、俺は……高所恐怖症なんだから!!」
「ああ……そう言えば、野々宮さんにそんな事を言ってたわね……」
話によると、洋太郎は幼い頃自宅の階段を落ちてから、高所恐怖症になってしまったらしい。特に急な階段が苦手で、学校や会社でどうしても階段を使う時は、目を極限まで細めた上で、誰かに付き添ってもらっていたらしい。
「一階から二階に向かう下階段はまだいいんだよ。急じゃないから。でも、二階から三階に向かう上階段は下階段より急になってるだろ? 俺にはとても上れないよ。あ、俺、ちゃんと精神科を受診して診断書も貰ってるから」
洋太郎の言葉を聞いて、堀江雅人が口を挟む。
「医師の診断書があるのなら、高嶋さんの話を信じてもいいんじゃないでしょうか? すぐにバレる嘘を吐くとも思えませんし」
若葉は、渋い顔をして頷いた。
また沈黙が流れるかと思われたが、美智留がハッとした顔で言う。
「そうだ! 302号室に行けないといえば、私と大道さんも昨夜302号室に行っていない事を証明出来るかもしれません!」
「どういう事ですか?」
卯月が聞くと、美智留はガサゴソと自身の大きなバッグを探り、あるものを取り出した。
「これを見て下さい」
美智留がテーブルに広げたのは、この館の見取り図。美智留は、部屋割り等を把握する為に見取り図を持って来ていたらしい。
この館の出入り口は北向きになっていて、玄関ドアは東の端に位置している。一階にある部屋を東から順に並べていくと、食堂、キッチン、リビング、ホストの寝室、トイレ。
二階は東から順に201号室、コレクションルーム、書斎、シャワールーム、応接室。
三階も同じく東から見て行くと、301号室~305号室となる。トイレは一階にしか無い。
どの部屋も北側が廊下になるように造られていて、玄関が手前になるように見取り図を見ると東は右側ではなく左側になる。
美智留は、玄関と食堂の間にある廊下を指さして言う。
「今朝、私が寝室から出てキッチンに向かおうとした所、丁度トイレから出て来た大道さんと顔を合わせました。大道さんは、散歩がてら外の様子を見ようとしていたようで、私を追い越して玄関の方に向かいました。でも、丁度この辺りでバキッという音がしたんです。見ると、廊下が壊れていて、大道さんは足を踏み外していました」
廊下が老朽化していたのだろう。大道は、美智留の話を補うように言った。
「私がバスの中にある工具を持って来て、応急処置的に修繕したので今は通れます。皆様、ご安心下さい」
「ああ……そう言えば、私が食堂に顔を出そうとした時、何か廊下でゴソゴソやってたわね」
若葉が、思い出したように呟く。
トイレは一階にしか無いので、修繕してくれたのは助かる。そう言えば、先程卯月が玄関を見た時、玄関から門に向かう足跡は無かったが、玄関とバスを往復した足跡が一組あった。あれは、大道のものだったのだろう。バスは、ずっと玄関の側にある庭に停めてある。
美智留は、縋るように卯月を見つめて言う。
「もし私か大道さんが犯人なら、昨夜山下様を殺害する為に三階まで上がったはずです。そしたら、壊れた箇所の廊下を通らないといけないですよね? でも、廊下が壊れたのは昨日ではなく今朝。これは、私や大道さんが今朝まで三階に行かなかったという証拠にはならないでしょうか?」
言いたい事は分かる。もし美智留や大道が犯人なら、昨夜の犯行時に廊下を渡る際壊れていたのではという事だろう。
しかし、犯行時刻もはっきりとは分からないし、二人が無実とは言い切れない。
「残念ながら、それだけでは野々宮さんや大道さんの無実は証明出来ないですね。昨日夕食の時に私達がその廊下を通った時には壊れなかったわけですし、犯人が通った時も壊れなかったかもしれません」
卯月が言うと、美智留はしゅんとして目を伏せた。
若葉が、思い出したように言う。
「そう言えば、アレ、何だったの? ほら、事情聴取の時に話したじゃない。夜の八時頃に男性の悲鳴が聞こえたって」
洋太郎が、首を傾げて答えた。
「俺じゃ無いけど? てか、そんな悲鳴聞こえた? どこから聞こえて来たんだろう。俺がイヤホンで音楽を聴いてたから気付かなかったのかな」
雅人が、おずおずと手を挙げて申告する。
「あの……それ、僕です。蜘蛛の巣を見てびっくりしてしまって……」
若葉は、キョトンとした後、プッと笑った。
「何それ、蜘蛛の巣!? やだ、事件と関係あると思っちゃったじゃな……」
次の瞬間、ギュルルルという音が部屋に響いた。若葉が真っ赤になっているところを見ると、どうやら彼女のお腹が鳴ったらしい。
美智留は、クスリと笑うと、優しい声で言った。
「中途半端な時間ですが、食事にしましょうか。朝食、まだでしたよね?」
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