97:敵か味方か
(……!)
ティアの部屋を退出し廊下へ出たところで、アイリスは思わぬ事態に遭遇する。
象牙色の魔術師のローブを着込み、深く被ったフードからは僅かに溢れた金色の輝き。
それと同じ色彩を持つ一対の金の瞳に宿る強い光が、彼が誰であるかを物語っていた。
「……すまないね。あの娘に、大切な話があって」
アイリスの反応に苦笑いしながら、男が言う。
とても王族とは思えない衣装を纏っているとはいえども、その存在感までは誤魔化せない。
「お……」
「ああ、あまり大きな声を出さないでくれるかい? 一応これでも、妻の目を盗んで護衛も撒いてきてるんだ」
慌てて跪こうとするアイリスを制し、人差し指を口元に当ててそう言ったのは、リュリュイエ女王アクエリアムの夫である、ウラヌセウト=マリク=ネプトゥヌス=メルグリアその人だった。
アイリスは瞬時に様々な考えを巡らせる。
(先ほどの女王陛下との謁見で……王配陛下もその場にいらっしゃったはず……一体何の御用で?)
「できれば、人払いをしたいところだが……それは難しそうだね」
人払い、と口にした瞬間に、アイリスの深い紫色がより一層深くなったことを感じ、ウラヌセウトは苦笑する。
「君はあの娘が一番信頼しているという侍女だね? 名は……アイリスと言ったか」
「……光栄にございます」
アイリスは深々と頭を下げる。
「あの娘に会わせてもらえないだろうか?」
「……かしこまりました」
アイリスは今出てきた扉を振り返り、ノックをする。
「ティア様。失礼いたします」
扉を開くと、ティアが近づいてくる。
「……ど、どういう状況なのですか、これは」
「わたくしにもわかりません……」
アイリスの少し後ろにウラヌセウトの姿を見つけたティアは、大きく開いた瞳をぱちぱちとさせる。
「こ、このような格好で申し訳ございません……っ」
先ほどの謁見時に纏っていたドレスは正装であったが、すでに普段着に着替えていた。
元々煌びやかなドレスを好まないティア。
シンプルになりがちなデザインを補うために、細やかな刺繍が施された薄布を何枚も重ねて誂えたワンピースは、彼女を慕う侍女たちの努力の結晶だ。
ただ、王配陛下をお迎えするような衣装ではないので、ティアはもう一度着替えるべきかとアイリスに視線で問う。
その様子に気がついたウラヌセウトは、それは自分も同じだ、と身に纏ったローブを広げてみせた。
「全く構わないよ。それより、少し込み入った話になるのだが……」
そこまで言って、横目でアイリスの方を見た。
「……込み入った話……ですか」
「そうだな、昔話……とでも言おうか」
ティアはその言葉の裏を探る。
(今日の謁見の話か、それともミオティアル様や魔女の話か……問題は、王配陛下が誰の味方なのか)
どの話だとしても、アイリスや他の人間を近寄らせるわけにはいかないと判断した。
「では……アイリス、奥の応接室は使えるかしら?」
今いる部屋は、ミオティアルの資料が山のように積まれている。
自分が読み解いている途中のものもあり、誰かに見られるわけにはいかない。
……それに今日は、栽培棟で聞き込みをしていたリリアナのまとめた資料も足されている。
ウラヌセウトがどんな目的で行動しているのかわからないのに、中に入れるわけにはいかない。
「はい。そちらでしたら、清掃も済んでおりますし、人目につくこともありませんので、問題ございません」
「ではわたくしがそちらにご案内致します。……アイリスはリリアナと一緒にお茶の支度をお願い」
「かしこまりました」
アイリスは返事をして、その場を去っていく。
「……よいのか?」
振り返ると、意外そうな表情をしているウラヌセウトと目が合う。
「何がでしょう?」
「……侍女をそばに置かないのか?」
ウラヌセウトの質問に、ティアは困ったように微笑むと、歩き出した。
資料の置かれた部屋近くは入れる人間を制限しているため、基本的に人影がない。
ミオティアルの研究資料を人目に触れさせないことと、ティアが読解に集中できるようにとの配慮だ。
控えめな色彩の絨毯の上を、二人の足音と、衣擦れの音だけが響く。
ふわり、ふわり、とティアのドレスが揺らめくのを、後ろを歩くウラヌセウトは複雑な表情で見つめる。
(……このようなことに巻き込まれなければ、自由な人生であったのだろうな)
しばらく歩き、応接室の扉の前で立ち止まると、ティアはウラヌセウトの方を振り返った。
黄金の瞳が、何か言いたそうにティアを見下ろしている。
一見ふわりとした目元。その瞳の奥に宿る強い光。
(……オーケヌス殿下と同じ、優しい目)
ウラヌセウトはきっと、自身の大切なものを守るためなら、どんなことでもするのだろうとティアは本能的に感じてしまう。
「……巻き込みたく、ないのです」
俯き、ポツリと呟いてから、聖女の微笑みを被り、スッと顔を上げる。
ウラヌセウトが僅かに息を飲むのが聞こえた。
「こちらへどうぞ」
(ウラヌセウト王配陛下がどのようなお考えなのか、きちんと向き合わなければ)
ティアは扉を開くと、控えめでありながら細やかな細工のなされた衝立の奥、ゆったりとしたソファへとウラヌセウトを案内する。
ウラヌセウトを先に座らせ、ティアもまた、ローテブルを挟んで、向かいに回る。
姿勢を正して僅かに目を伏せ、頭の先から足先までブレないように気を張りながら、ドレスの裾を優雅に捌き、腰を下ろす。
その様子にウラヌセウトは目を細める。
(……たいしたものだな)
侍女や教師から指導は受けていることは知っていたが、元からできていたのではないかと思うほどに、その動きは洗練されていた。
「たった今、オーケヌスの元へ行ってきたのだが」
「……っ」
ウラヌセウトの言葉に、淡水色の瞳が、僅かに揺れる。
平静を装ってはいるが、不安の色を隠しきれていないことがわかる。
開きかけた口が、キュッと閉じられた。
「……なんの話をしたのか、聞かないのか?」
我ながら意地の悪い質問だと思いながら、ウラヌセウトは尋ねる。
「それは、わたくしが聞いて良いことではありませんから」
「……ほう」
「ただ……王子殿下の御様子は……気になっております……」
消え入りそうな声で付け足された言葉には、心配の他に、違う色が混じっているように思えた。
ウラヌセウトは、少し試してみるかと思い立つ。
「……様子、か」
「きっと……お疲れでしょうから」
そう言って、視線を逸らすティア。
無意識なのか、それはオーケヌスの部屋のある方角。
結われた髪の根元に、銀細工の鎖と蒼玉が揺れる。
「……それほど不安にならずとも、其方の想いは伝わっている」
「……えっ? わたくしはただ……っ」
思っていた以上に狼狽えるその姿に、ウラヌセウトはそっと息を吐く。
「御心が少しでも……落ち着けば……と」
「ああ……あの薬草茶はとてもよく効いたようだった」
「……それならば、良かったです」
ウラヌセウトがそう言うと、ティアはほっとした顔になりつつも、その視線はどこか泳いでいるように見える。
(なかなか興味深い反応だが……この辺りにしておこう)
オーケヌスといい、ティアといい、どちらもどちらだな、と思う。
「それで、其方に伝えなければならぬことがある」
ウラヌセウトは、本題を切り出す。
「今日、其方に与えられた名だが。……あの名は、初代リュリュイエ王妃の名だ」
「――!?」
突然告げられた事実に、ティアは凍りついた。
お読みただき、ありがとうございます。
何も知らないアイリス達を巻き込みたくないティア。
突如ウラヌセウトから告げられた事実。
何故、このようなことになったのか。
何故、ウラヌセウトはこのことを伝えにきたのか。
そしてこれから、ティアにとってどう影響してくるのか。
次回更新は火曜昼です。




