91:呪縛
目の前に立ちはだかる、両開きの扉。
深海を思わせる深い青色を基調とし、細部に渡って緻密な装飾や細工が成されており、荘厳な雰囲気を醸し出していた。
ドアノブの部分には水の精霊、ウンディーネと思われるレリーフ。精霊たちの統率者らしい、理知的な雰囲気を持つその風貌に、ティアは試されているような心地になる。
右側の扉には上部に光の精霊ウィルオウィスプ、そのすぐ下に闇の精霊シェイドの彫刻。左側には風の精霊シルフと、火の精霊サラマンダー。
(扉の装飾を見ているだけでも、雰囲気に飲まれてしまいそう……)
徐々に上がっていく心拍数にストップをかけようと、ティアは静かに瞳を閉じる。
(大丈夫、いつも通り。……この扉は、舞台の幕と同じ)
ゆっくりと深呼吸をすると、いつの間にか力の入っていた手を、暖かいものが包み込む。
ティアがスッと目を開けると、オーケヌスが両手でティアの手を包み込んでいた。
「……行けるか?」
「はい、いつでも」
オーケヌスは、ぽんぽんっとティアの手を叩き、左右の扉の前で待機しているクレイとアイリスに呼びかけた。
「開けてくれ」
正装をしたクレイとアイリスがドアノブに手をかけ、ゆっくりと扉を開く。
ぎぎぎ……という重い音と共に、広く豪華絢爛な謁見の間がティアの目の前に広がった。
オーケヌスは、ティアの歩く速さに合わせ、ゆっくりと進む。
歩みを進めるごとに彼女のドレスが衣擦れの音と共に優雅に揺らめき、天井から下がる豪華なシャンデリアの輝きに負けない程の煌めきを放つ。
先ほどまでの年相応の表情はなりを顰め、意志の強さを瞳に宿して堂々と歩くその姿は、王子であるオーケヌスと並んでも、全く引けを取らない美しさだ。
部屋の一番奥の少し高くなった場所に、女王と王配が座る玉座。
その下に静かに佇む、薄桃色の姿に、オーケヌスは僅かに目を見張る。
(トゥエリラーテがいるなど、聞いていない)
内心の動揺を隠したまま、オーケヌスはティアと共に女王の待つ玉座へと進む。
(……大丈夫だろうか)
オーケヌスはティアの様子をチラリと窺う。
トゥエリラーテが起こした乱入事件が、ティアの心に影を落としていることを知っているオーケヌスとしては、なんの前触れもなく対面させることは避けたかった。
しかしティアは表情一つ動かすことなく静かに歩みを進めている。
それどころか、オーケヌスと目が合うと柔らかに微笑んだ。
(……さすがだな)
完全に『聖女』を演じて見せていた。
二人は玉座から少し距離をとった場所で立ち止まると、丁寧な挨拶をする。
ティアは頭の先から指の先、足先まで神経を行き渡らせると、片足を後ろに引き、膝を軽く曲げ、腰を落とす。
女王は目を細め、検分するかのようにその様子を眺めてから、口を開いた。
「久方振りですね。……まさか、このようなことになるとは思ってもいませんでした」
そういってフフ、と笑みを浮かべる。
「……ごめんなさいね。我が愚息の我儘で、貴女をこの地に縛りつけることになる」
「母上、それは――」
「黙りなさい」
オーケヌスの反論を封じ、女王は言葉を続ける。
「オーケヌスとの婚約の儀を行うことにより、貴女の望みは、断たれることになります」
(!)
その言葉に、ティアは僅かに肩を震わせるが、グッとお腹に力を入れて耐える。
どんなに揺さぶられても、発言を許されるまでは決して声をあげないと決めていた。
(……私を、試している? 動揺を誘うようなことをわざと言っているの?)
女王はゆっくりと立ち上がり、オーケヌスに視線を移す。
「アクエリアム」
「……いいえ、きちんとお話をしなくてはいけないわ」
女王の隣に座る、王配ウラヌセウトが呼びかけるも、アクエリアムは静かに首を振った。
「オーケヌス。貴方は全ての責を負うと、言いましたね?」
「……っ」
オーケヌスが動揺が、ティアにも伝わる。
「彼女には説明したのかしら?」
オーケヌスの瞳と同じ、蒼玉の瞳が、鋭く細められる。
「……」
オーケヌスが、唇を噛み締め、俯く。
不思議に思ったティアが、オーケヌスを覗き込むように首を傾げる。
白銀の髪が揺れ、それに合わせるようにシャラリ、とサファイアの髪飾りが揺れた。
女王の唇が、面白そうに上がる。
「……そんなものまで渡しているというのに」
(……?)
ティアは、ぱちりと瞬きをすると、女王の顔を見上げた。
カツ、カツ、というブーツの音と、重い衣擦れの音と共に、ゆっくり上段から降りてくる。
「――ここへ来るまでに、覚悟は決めてきたのですよね? それとも、彼女には一切を伏せて、ここへ連れてきたのかしら?」
(覚悟……?)
何も言えないティアを、女王がじっと見つめる。
「……オーケヌスの我儘がなぜ通ったのか、貴女も不思議に思ったでしょう?」
ティアの喉が、ゴクリと鳴る。
「わたくしは、条件を出しました。――たとえミオティアルが戻ってきたとしても、婚約者をすげ替えることは許さない、と」
「――!」
ティアの目が大きく見開かれ、バッと隣のオーケヌスを見る。
俯いたオーケヌスの横顔が、痛そうに歪んでいた。
(どういうこと……?)
続いてティアは、そうっとトゥエリラーテの居る方に、視線を移す。
トゥエリラーテは静かに、その場に佇んでいる。
あの時見せた激情は、欠片も見えない。
そのトゥエリラーテが、一歩、前に進み出た。
二つに結われた薄桃色の髪が、ふわふわと揺れる。
「お母様。今日は新しいおねえさまに、贈り物をされるのでしょう?」
少し高くて可愛らしい声が、響いてくる。
「ええ。とっておきの贈り物を用意したの。貴女が、我が息子の伴侶となる、そのために。……受け取ってくれるかしら?」
そういうと、右手を静かに掲げる。
開いた掌に光が集まり、長い杖が現れた。
「――っ!!」
足を踏み出しかけたオーケヌスに、女王がチラリと視線を移す。
「……貴方は下がっていなさい」
「……です、が……っ」
「大人しくしていられないのなら、去りなさい」
そう言って女王は、ティアの目の前までゆっくりとやってきた。
ティアは慌てて跪き、首を垂れる。
女王の声が、頭の上から降ってくる。
――貴女に、【名】を与えます。
輝く光 虹となり 希望をその身に
あらゆるものに 慈悲を 祈りを
『リュティシア=フォス=イーリス』
今日からこれが、貴女の【名】です。
ティアの右肩に、何かが触れた。
ぽう、と熱が生まれ、ティアを包み込む。
(――何?)
首を垂れたまま、瞳を開くと、ティアの身体に光がまとわりついていた。
光はやがて収束すると、ティアの中にじわりと入り込む。
それはまるで、ティアをこの地に縛りつける、呪縛のように絡みつく。
(――怖い。……助けて)
震えそうになる身体に、力が入る。
呼吸がうまくできない。
「――くっ」
オーケヌスの声が、ティアの耳に届いた気がした。
ティアが恐る恐る顔を上げると、女王の笑顔があった。
「……リュティシア。貴女とオーケヌスの婚約を、正式に認めます」
「……は……」
吐息のような掠れた声が、ティアの喉から漏れる。
「リュティシアお姉様!」
トゥエリラーテが、とととっと走り寄ってくる。
彼女はすぐそばでしゃがみ込むと、ティアの手を取り、嬉しそうに微笑む。
「おめでとうございます! ……その節は、大変申し訳ないことをいたしました。心から反省しております。……これからは、ぜひわたくしとも、仲良くしてくださいませ!」
(……何が、どうなってるの?)
ティアは呆然としたまま、オーケヌスの方を見る。
オーケヌスがゆっくりと、こちらへ向かって歩いてきた。
「……トゥエリラーテ」
「お兄様。おめでとうございます!」
飛び上がりそうなほどの勢いでトゥエリラーテは立ち上がると、今度はオーケヌスに祝福の言葉をかける。
オーケヌスは眉を顰めたまま、ティアの手を取り立たせると、女王に向き直った。
「……今日貴方達を呼んだのは、このためです。これから儀式の準備に忙しくなるでしょう。もう、お行きなさい」
女王はニコリと意味ありげに微笑むと、退出を促す。
「……は」
短く返事をした後、オーケヌスとティアは挨拶をして、その場を後にした。
帰り道、ティアもオーケヌスも言葉を発することはなく、足音と、衣擦れの音だけが響く。
重苦しい雰囲気の中、ティアは身体にまとわりついて入り込んだ光の奇妙な感覚を、しばらくの間拭い去ることができなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
意気揚々と面会に臨んだのに、
想定外の事態に。
オーケヌスとクレイの和解も、
ティアから受けた信頼も、
女王によって全部台無しにされました。
ティアに名を与えた意味とは。
オーケヌスはここから巻き返せるのか。
次回更新は、通常に戻って火曜昼です。




