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87:母と娘


「……わたくしは、娘と話があります。ナナリア、お願いね」


 アクエリアムはそう言うと、部屋の入り口に立ったままの娘――トゥエリラーテの様子をチラリと窺ってから、窓の方へ顔を向けた。


 少し傾いた陽の光が、しん、と静まり返った部屋に差し込んでいる。

 三階部分を全て使用した、とにかく広いこの部屋。玉座を挟んだ両側の壁には、大きな窓と、幾つものバルコニー。

 煌びやかな装飾と、高い天井から垂れる数々の装飾照明。都の装飾技術を全て集めた、豪華絢爛な謁見の間。

 その一番奥、数段高い壇の上で存在感を放つ玉座に座ったまま、アクエリアムは静かに目を伏せる。

 

 長い睫毛の先が、僅かに震えていた。


 時刻は風の刻半。

 

「かしこまりました」


 ナナリアは一言返事をしたあと、トゥエリラーテの連れてきた護衛と侍女頭を、部屋の外へ出るように促す。


「メル……」


 トゥエリラーテが不安げな声で侍女頭に手を伸ばしかけるが、メルティルーネは静かに首を振り、そのままナナリアと共に退出していった。


「……」


 トゥエリラーテは肩を落とし、上げかけた手を下ろすと、部屋の奥で座っている母の様子を窺う。

 目を伏せたその横顔からは、なんの感情も読み取ることができない。

 

 そっと息を吐くと、意を決して母に呼びかけた。


「――お母様」

「こちらにいらっしゃい。トゥエリラーテ」


 アクエリアムは閉じていた目を開き、視線は窓の向こうのまま静かな声で娘を呼ぶ。


 いつもと違う母の様子に、トゥエリラーテは疑問を抱きつつゆっくりと足を踏み出した。

 頭の先から手足の先まで神経を尖らせ、真っ直ぐに伸びた濃紺の絨毯の上を歩いてゆく。


 少し離れたところで足を止めると、腰をかがめてその場に跪き、首を垂れる。


 階段から零れ落ちる僅かな衣擦れの音と、絨毯を踏み締めるブーツの音。それから、威厳と気品を保つための凛とした香り。

 近づいてくる女王の気配に、トゥエリラーテは僅かに身体をこわばらせる。


「……なぜ呼ばれたのか、理解しているわね?」


 頭上から降ってくる、なんの抑揚もない、静かな問い。

 トゥエリラーテは、ゴクリと息を飲む。


「……この度は、わたくしの、従者である、セルレティスが……」

 

 身体の震えを止めることができず、やっとの思いで紡ぎ出した言葉もまた、弱々しく震える。


 聖女ティアと王子オーケヌスが巻き込まれた騒動について、トゥエリラーテは把握していた。


 ティアの護衛騎士アクティスの暴走に、自分の護衛セルレティスが深く関わっており、その場に居たということ。

 トゥエリラーテの兄であり、次期王のオーケヌスに対し、刃を向けさせるという恐ろしい罪を犯すことになったこと。


 そして、騒動の後にセルレティスが消えたこと……。


 (……次期王であるお兄様に刃を向けさせるなど、極刑に値することですわ)


 前回自分が起こした騒動も、本当なら許されることではないと、教師であるシェナに何度言い聞かされたかわからない。


 ――従者の不始末は、主の責任。

 これは王族でなくとも、皆同じだ。


「トゥエリラーテ。謝罪はいいわ……顔を上げなさい」


 アクエリアムはそう言うと、裾の長いドレスに構うことなく、その場にしゃがみトゥエリラーテの肩に手を添える。


 トゥエリラーテは、ビクリと肩を振るわせたあと、ゆっくりと顔を上げる。


「あ……」

 

 険しい表情を想像していたトゥエリラーテは、思わぬ光景に息をのむ。


 そこにいたのは、女王ではなかった。


 深蒼(サファイア・ブルー)の瞳が揺らめきながら、トゥエリラーテの深紅(ルビー)の瞳を覗き込むように見つめている。


 娘を気遣う母親、そのものだった。


「……わたくしは、母親として失格ですね」

「え……? あ……、と……」


 突然のことに、どうしていいかわからず言葉が出ない。

 アクエリアムは続ける。


「確かに、今まで起きた事件は、決して許されることではありません」

「……わかって、おります」


 トゥエリラーテの視線が、床へ落ちる。

 

「……ですが貴女が、慕っていたミオティアルを想い、苦しんでいることを知っていたのに、王としての責務を優先してしまった……これは、母であるわたくしの過ちです」


 自嘲気味に紡がれた言葉にトゥエリラーテがハッと顔を上げると、今度はアクエリアムが俯いていた。

 

「でも、それは……!」


 女王が私情を挟んだらいけないことくらい、理解している。

 だから、幼少期から母に甘えることはしてこなかった。

 そのかわり、母は自分のためにメルティルーネという、素晴らしい侍女を用意してくれたのだ。


「いいえ。家族を守れなくて、どうして民を守ることができるというの」


 アクエリアムは、ふるりと頭を振り、トゥエリラーテを抱きしめた。


「――!?」


 トゥエリラーテの戸惑いが、アクエリアムに伝わる。


 (オーケヌスの変貌を目の当たりにしたことで、娘の焦燥に気付くなんて)


 小さな肩にかかる、薄桃色(ペールピンク)の髪に、顔を埋める。

 火の精霊に愛されたトゥエリラーテらしい、勝気な少女の香りが、アクエリアムの鼻をくすぐる。


 (真っ直ぐなこの子の優しさに気づけなかった。もっと必死に、ミオティアルを探すべきだったのかもしれない)


「あ……」

「トゥエリラーテ。わたくしを許して。今度こそ、()()()()()()守ると誓うわ。だから――」


 驚き硬直する娘の背を、アクエリアムはゆっくりと撫でる。


「貴女が大切に想っている、ミオティアルを救うために、全力を尽くすわ」

「!! お母様……!」


 トゥエリラーテの声が、震えている。

 アクエリアムはそのまま、ゆっくりと背中を撫でながら、言い聞かせるように言う。


「――だからまず、そのために。オーケヌスと、聖女ティアの婚約の儀式を執り行います。既に、婚約の承認は済ませました」

「えっ!?」


 腕の中のトゥエリラーテが、再び強張る。


「よく聞いて……この婚約は、ミオティアルを救い出すための布石。必ず助け出すわ。だからお願い。……わたくしを信じて」

「おかあ、さま……」


 トゥエリラーテは、母の腕の暖かさを初めて知った。

 自らの腕をその背に回して、縋る。


「……おかあ、さま……っ」


 声を殺して泣きじゃくるトゥエリラーテの背を撫でながら、アクエリアムは想う。


 (……わたくしの決断を、どうか許して欲しい)


 

お読みいただき、ありがとうございます。


今回は女王アクエリアムと、娘のトゥエリラーテのお話。

女王の決意とは。


次回の更新は火曜昼です。

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