86:魔月の刻印
(……誘拐事件の後、だったか)
セレストル家の娘、セルレティス。
ミオティアルと共に聖女となるために励んでいた彼女は、突如その立場を降りた。
誰よりも聖女となることを望んでいた彼女がだ。
当時、オーケヌスはもちろん、誰もが耳を疑った。
そのあと、魔力の暴発が起きて誰も寄せ付けなくなった時期があったが、ミオティアルが常に寄り添い、彼女を立ち直らせたと記憶している。
――王子様
伶夜が、オーケヌスの思考に入り込んでくる。
――その、魔力の暴発って?
(ミオティアルが以前、話していたことがあった)
彼女は、聖属性を封印されてしまったのだと。
誘拐事件の後、少し気持ちが落ち着いたところで聖女としての訓練を再開させたその日に、訓練場で暴発が起きた。
練習用の魔法陣に魔力を流していく過程でセルレティスの身体の一部に不思議な紋様が現れ、魔力が弾かれたのだという。
聖属性を失った――その事実を知った時、一体どれだけの衝撃を受けただろう。
感情の制御を失い、魔力が暴発するほどの、絶望。
オーケヌスはぼんやりと思い出す。
自分と、ミオティアルと、セルレティス。
年も近い三人は、言ってみれば幼馴染のようなものだった。
オーケヌスはいずれリュリュイエの王となる身。高い聖属性の資質を持ったミオティアルとセルレティスは、聖女となった後どちらかがその妃となることを期待されていた。
……オーケヌスの母であるアクエリアムがセレストル家の出身だということを考えれば、力のバランスを調整するために、次の妃はテティシリア家のミオティアルを、という声が大きかったが。
『私、必ず聖女になるわ。そして、みんなを護るの。オーケヌス様が治める、このリュリュイエを、私の力で。そうしたら――』
月の光のような金糸を靡かせ、いつも輝くような笑顔で話していた、セルレティス。
あの笑顔が、事件によって突如失われた。
……月光にも似た金色の瞳が、光を失った漆黒の闇の色になってしまったのも、あの時だった。
セレストル家は詳細を伏せていたが、セルレティスと共に過ごしたミオティアルは、全てを知っていた。
ミオティアルが正式に聖女となり、セルレティスはトゥエリラーテの専属護衛となったあの日。
『――他の誰がなんと言おうと、わたくしだけは、あきらめません』
淡水色の瞳に強い光を湛え、ミオティアルはそう言っていた。
彼女は、本気だったのだ。
黙ってオーケヌスの記憶を聴いていた伶夜が呟く。
――なるほどね。つまり、彼女が聖属性を失う原因になったのが、その『紋様』のせいではないかと聖女様は考えたわけだね
(その、『紋様』が、刻印だと?)
――ちらっと見ただけだけど、あれはまずい雰囲気を持っていた。闇の力だけじゃなく光の力も感じた
(?)
――知ってる? 光が強ければ強いほど、闇も深くなるんだよ
(それは……)
――【月の祝福】。魔女サイラはその原初の存在だ。セルレティスに刻まれた刻印が、サイラの魔力によるものだとしたら……
(……刻印から闇と光の両属性を感じても、なんら不思議ではない、と?)
――そういうこと。……この前王子様が読んでいた本。あの内容って、刻印についてでしょ? もう一度読み直した方がいい。おそらく、セルレティスとアクティスの刻印は、どちらも魔女サイラによるものだ
(――!)
あの時は、とにかくティアを守ることに必死だった。しかし、近距離で対峙したアクティスの顔は、オーケヌスの脳裏に鮮明に焼きついていた。
昏く、狂気を孕んだアクティスの青紫の瞳と、顔の半分に浸食した、黒と金の混じり合った蠢く紋様。
ふわりと浮き上がり、開け放たれた窓から外に飛び、シャラリと舞ったセルレティスを象徴する金糸。
そのセルレティスは、昨日の魔女の事件から、姿を消している。
(……あれは一体、誰だったのだ?)
オーケヌスの疑問に答えるように伶夜が呟く。
――最悪の場合、セルレティスは刻印を介してサイラに飲み込まれつつある可能性もある
(なん、だと?)
恐ろしい推測に、オーケヌスの背筋に嫌な汗が流れる。
(月の祝福……刻印……まさか……)
ミオティアルの研究資料にあった、刻印についての頁に書かれていた内容を思い出す。
ドクン、ドクン、という心臓の音が、頭の芯まで届き、思わず両手を強く握り締める。
――とにかく、聖女様の研究を確認してことの真相を確かめる必要があると思う
いつになく真剣な伶夜の声。
(随分と協力的だな。ずっと黙って見ていた割に)
オーケヌスの少し面白くなさそうな感情が流れてきて、伶夜はふふっと笑う。
――僕は、僕のやり方でティアを護るだけだよ。貴方のその、強引すぎるやり方よりずっと頭を使ってね。……これでも我慢してるんだ。もっと効率よく手伝いたいのに……ティアの優しさに感謝したほうがいいよ
その言葉尻は少し、嘲笑が混ざったような響き。
(……)
オーケヌスはますます面白くない。自分もティアを護り抜くために、持てる力を最大限に活用し、必死で行動しているのだ。
――貴方は、ティアのために女王にさえ逆らおうとしているって、わかってる? ……反逆者だと思われないように、もう少し慎重に行動したほうがいいと思う
(母上とは……いずれきちんと話をしないといけないとは認識している)
――お話し合いで済めばいいけど、ね。まぁ、今はまだ我慢するよ。……ほら、ティアが心配してる
少し疲れたから休む。と言い残し、伶夜の意識の流れは途絶えた。
「……殿下? お顔の色がすぐれないようですが」
ティアの心配顔が、オーケヌスを覗き込んでいた。
「何か思い当たることでもございましたか?」
「あ……ああ。……少し気になることがある」
オーケヌスは、先ほどまでの伶夜とのやりとりを気取られないよう、なるべく自然に例の本を取り出す。
「その本は、ミオティアル様の……?」
「そうだ。先日も話したが、刻印を消す方法を探していたかもしれないと思い至ったものだ」
ティアは机の上に散らかった資料を少しよけてスペースを確保すると、オーケヌスを椅子へと促し、自身も腰掛けた。
「見てほしい箇所がある……今の君に見せるのは、気が引けるが」
「いいえ、心配は無用です。やり遂げると決めていますから」
ティアの真剣な眼差しを受け、オーケヌスは栞を挟んだ頁を開いてみせる。
「魔月の刻印……?」
「ああ、セルレティスとアクティスの身体に現れた紋様は、おそらくこれだと思われる」
ミオティアルとセルレティスの過去。
二人は互いを思い合っていたはずなのです。
掛けるボタンが途中から無くなっていたことに、気付けなかったセルレティス。
掛けるボタンを探して必死に手を伸ばしていたミオティアル。
二人のすれ違いは、一体どこから始まったのでしょう。
次回更新は、木曜夜です。




