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85:水の書


 (……これは……)


 儀式から戻り、ティアの衣装替えをしようとしたアイリスの手が止まる。


「……ティア様。髪飾りはいかが致しますか?」

「あっ……。ええ、と」


 口籠るティアに、アイリスはおや? と首を傾げる。

 

 少し高い位置に結われた白銀の髪に下がる、銀細工の髪飾り。簪タイプのそれには緻密な装飾が施され、目立つところに王家の成人に与えられる紋章……つまり、オーケヌスの(しるし)が彫られている。

 本体から下がる長さの違ういくつもの鎖は、照明を反射してキラキラと輝き、各鎖の先端には王子の瞳と同じ色の蒼玉が飾られ、存在感を放っていた。


「……そのままにしておきましょう」


 若干の複雑な想いを抱えつつ、アイリスはあえて手を触れずに髪型だけを変えることにした。


 (とても、外せませんね……)


 そんなアイリスの内心の苦笑いを知ってか知らずか、ティアは少し居心地の悪い顔で、説明する。


「……殿下が、結界の間で付けてくださったのです……」

「そうでございましたか……」


 (これは、王族が自らの婚約者に贈る品物。今のティア様のお立場なら、贈られて然るべきではありますが)


 なにぶん、『フリ』という大前提がある以上、贈られた当人としてはどう捉えていいのかわからないのだろう。


 (きっとこれが、どのような意味をもつ品物かもご存知ないのでしょうね……)


 伝えるべきか、否か。アイリスは逡巡する。


 少し首を傾げて、垂れ下がる鎖にシャラシャラと手を触れ鏡を見るその様子からは、戸惑いが感じられる。


「……どうして、でしょう……」


 ポツリと漏れた言葉は、その美しい淡水色の瞳と同じく揺れている。

 それがどのような意味をもつのか、アイリスは少しだけ、不安になった。


 

 一瞬の沈黙の後、アイリスはあえて空気を変えようと、今日の予定の確認をする。


「本日は朝食の後、研究書の解読の続きをされる予定で宜しいですか?」

「あ、はい。その予定です」


 では、食事の後にすぐ取り掛かれるように手配いたしますね。とアイリスは鏡越しに微笑んだ。



 ◇◇◇



 水の書も、風の書と同じく、漢文のような文体で様々なことが書かれていた。


 水司精霊:性常静穏 但怒絶怖

      好物麗美 極叡智

      枢軸四大精霊


 水之本質:編流水 露潤大地 還然原初

      知帰地 一切浄麗美 万象回帰


「ええっと……静かで穏やかな性格……怒ると怖いってことかな?」


 部屋の隅、窓に近いところに用意された机で、ティアはオーケヌスから渡されたノートに、読み取った内容を書き写していく。


「美しいものが好き。叡智極む……ああ、優秀で精霊たちのまとめ役なのか」


 今日はティアの他に誰も部屋に居ない。そのため、ぽつりぽつりと時折日本語を呟いていた。

 

「……流れる水を編み、大地を潤わせ、然るべき初めの姿に還す……? 還るべき場所を知り、全てを美しく浄化……、全てを元に帰す……」


 還す、帰す。


 二つの『かえす』が、ティアの中に引っかかる。

 流水を編み、大地を潤して浄化、然るべき原初に。


 (……水で押し流して、美しく浄化? ……あるべき姿に戻してしまう?)


 頬杖をつき、ペン先を見つめて、思案する。


 (なんだろう、この違和感……)


 

 ――内容を見る限り、恐らくミオティアルは、刻印(それ)を消す方法を、探していた――


 

 オーケヌスが言っていた言葉を思い出す。

 ……浄化。あるべき姿に戻す。


 (……これはもしかして)


 その先にもいくつか気になる点を見つけメモをしながら、自分の推測も書き添えていく。

 


 ――古代にあったという紋章があれば、工程を省けるのですが――



 リリアナが言っていた言葉。


(漢字が、古代文字。……そして紋章)


「漢字の持つ意味を組み合わせて、術が発動できるのだとしたら……!」


 ティアは、ノートの新しいページを捲り、思いついた漢字を書く。


 流、癒、戻、初、元……


 (二文字なら?)


 原初、変化、消去、治癒……


 ドクン、ドクン、と心臓が鳴り響く。

 もしかしたら、と逸る気持ちを抑えながら、思いつく限りの文字をひたすらに並べていく。


 ティアがカリカリとペンを走らせる音だけが、広い部屋を支配していた。


 (水を意味する言葉、風を意味する言葉。各々が持つ複数の意味)



 しばらく書き続けた後、ペンを置きふと顔を上げる。

 右側の耳元で銀の鎖がシャラン、と囁いて、ティアは無意識にそれに触れた。


 それから少し首を傾げ、髪飾りに指先で触れたまま、文字が書き連ねられたノートを見下ろして、ポツリと呟く。

 

「……他の本も読み解いてからの方が、もっと視点が広がるかも。それに、殿下が読んでいる方の研究資料も見てみる必要がありそう」


 次の本……と立ちあがろうと腰を浮かせた瞬間。


「……んんっ」

「!!」


 急に聞こえた咳払いに、ティアはびくりと弾けるように振り向く。


「で、殿下っ? いつの間に……?」


 (今日はいらっしゃらないとばかり……)


「……」


 オーケヌスは何故か、右手で顔を覆っていた。


 (……?)


 ティアは立ち上がり、オーケヌスの元へと歩いてゆく。


「……あの。せめてノックを」

「……した」

「……返事がない時は声を」

「……かけた」

「……それでも、入ってきて黙って見ているのは」

「……無理だ」

「……え?」


 (気が付かなかった私が悪かったのは認めるけど……最後のは何?)


 ティアはぱちぱちと瞬きを繰り返す。


「む、無理とは……」

「無理だ」


 (いや、……何が……ですか……?)


 一向に顔を上げようとしないオーケヌスに、ティアどうしたものかと首を傾げる。

 蒼銀の髪の間に見える耳の先が、心なしか色づいているようにも見えた。


 これ以上は何を言ってもまともな返事はもらえなさそうだと判断し、先程気がついたことを伝えることに決める。


「……今日は、水の書を読んでいたのですが……」


 くるりと机の方へ向きを変え、水の書と、先程書き留めたノートを取りに戻ってゆく。


「えっと、これと、これと……」


 オーケヌスは顔を覆っていた手を外し、ティアの後ろ姿を見つめる。

 絹のような白銀の中に、銀色と蒼色がキラリと光る。


「……」


 オーケヌスはふるりと頭を振ると、自分も机に向かった。


 隣に並ぶとティアが振り返り、手に持った本をオーケヌスの方へ差し出す。


「殿下、こちらなんですが」

「……水の書、だったな」

「はい。やはり風の書と同じように、精霊の特性や、水属性が本来もつ特異性などが綴られていました」


 それから、とティアは真剣な顔になり、先程気がついたことを伝える。

 説明が進んでいくにつれ、オーケヌスの顔つきが変わっていく。


「……つまり、私が別の資料を読んだ時に感じたことは、間違いなかったのだな」

「はい。まだ風の書と水の書の二冊だけですので、全てを読む必要があるとは思いますが」


 オーケヌスはコクリと頷く。


「……あの」


 ティアは背中を伸ばすと、オーケヌスの方へ向き直る。


「どうした?」


 急に改まった態度に、オーケヌスは僅かに緊張する。


「……アクティスの、ことですが」

「……」


 空気がピリリ、とした。

 オーケヌスの手に、力がこもる。


「……どんな様子ですか?」

「君が、心を砕く必要は……」

「いえ。彼はわたくしの護衛騎士です。主であるわたくしが、彼の行動に対しての責任を持つのは当然のことです」

「……」


 迷いのない言葉とは裏腹に、両手が強く握り締められていることに気づく。

 恐怖を押し殺し、自分の責を果たそうとするその姿に、オーケヌスは言いようのない感情を抱く。


 それは、嫉妬か。焦燥か。

 

 彼女が優しい心を持っていることはよく分かっている。

 しかしアクティスは、護衛騎士という立場でありながら、彼女にあれだけの思いをさせたのだ。

 たとえ彼に非が無かったとしても、本当であれば許されないことをしたのだから、あの場で自分が手にかけたとしても誰も咎める者は無かっただろう。

 

 しかしそれをすれば、ティアはきっと立ち直れないほどの傷を負うことになると、踏みとどまった。


「その、刻印、は……消すことができないと」


 ティアは身体全体に力を込め、震えを悟られまいと言葉を続ける。

 本当はすぐにでもその口を塞いでしまいたかったが、恐怖を耐えながら訴えかける、彼女の意思も尊重したかった。


「あの場、は、わたくしの(しゅ)で、押さえはしましたが」


 震える左手を右手で押さえようとしているようだったが、その手も震えている。

 次第に言葉が途切れ途切れになっていくのを見ていられなくて、オーケヌスの手がピクリと動く。


「消えては、いません、よね?」

「――!」


 (そういえば、刻印については確認していない)


 オーケヌスは内心歯噛みする。

 

 アクティスは現在、治療院に隔離されている。

 主を襲い、王族に刃を向けたことは本来許されざる罪だ。

 しかし事件の背景に月の魔女サイラが関わっているかもしれないこと、セルレティス失踪との因果関係など諸々の事情を鑑みた結果、処分決定は先送りになった。


 (何故その可能性に気づけなかったのか)

 

「アクティスの、身体に刻まれた、刻印、を……できれば、かくに、ん……」


 身体の奥から湧き出てくる恐ろしい記憶と戦いながら、自分なりにできることを探そうとするティア。


 (あれだけの恐怖を味わったというのに、君は……)


「……アクティス、に、会うこと、は……」

「もういい。無理をするな」


 とうとうオーケヌスは我慢できなくなって、ティアの肩を掴む。

 しかしティアはそんなオーケヌスを見上げ、いやいやをする子どものように頭を振った。


「わたくしは……アクティスの主であるというのに、彼の苦悩に気づけなかったのです。これは、わたくしの、罪でもあります……だから」

「それは違う!」


 ティアが自分を責める言葉を重ねるのを聞いていられず、つい語気が強くなる。


 びくりと身体をこわばらせるティアに、オーケヌスはしまったと反省し、俯く。


「……すまない」

「いえ……それともう一つ、伺いたいことが」

「……頼む、無理を……しないでくれ」


 震えるティアの頭に右手を乗せ、オーケヌスはティアを見つめる。

 対してティアは、その瞳を真っ直ぐに見返して、


「ですが、これはとても大切なことなのです」


 そう言って推測を口にする。


「……ミオティアル様に近しい方の中に、何かの理由で刻印を持った方がいらっしゃるのではないかと」

「それ、は……」

「それならば、刻印を消す方法を探していたかもしれない、という殿下の推測が現実味を帯びます」


 

主の微妙な変化にも敏感なアイリス。

一方、自分の言動が与える影響に鈍感なティア。

王子として自身を律することに必死なオーケヌス。



次回更新は、火曜昼です。

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