80:風の書(1)
※ 物語中に登場する漢文調の書物は、実際の漢文の文法に沿っていません。
風司精霊:容貌優美、如幻。
性、好弄、意叶者輔。
術、無双輔翼也。
可憐貌勿惑。
(……うん。思ってた以上にこれは難しいね)
翌日。
ミオティアルの研究記録の一つ、風の書の初めのページを開き、ティアは頭を抱えていた。
(昔の文体が、結構自由だっていうのは聞いたことがあるけど)
ふと、親友の那月が言っていた言葉を思い出す。
――古文書はね、その書によって読み解き方が違ったりするのよ。……筆者の癖もあるし、もともと漢文を無理やり日本に馴染ませてる面もあるから。でも、そういうのが楽しいの。漢字は、意味が拾えればなんとかなったりもするし。
(那月……本当に魔女に取り込まれちゃったのかな……)
良くない方に沈みそうになる思考を、ぶんぶんと首を振って追い出す。
(今は、風の書を読み解く)
集中、集中、とティアは思い直し、もう一度手元の本に視線を落とした。
無意識に左手を頬にあて、そのまま口元を隠す。
「儚く美しい見た目……幻のごとし……性格は……弄ぶってことはイタズラが好きってことだよね……。でも、意に叶う者……助ける? つまり、気に入られればいいのかな」
ブツブツと呟く。
(これは、風の精霊シルフの説明……?)
コンコンッ
「あ、はい」
「リリアナです! 王子殿下がお見えになりました」
「はい。……どう、ぞ」
カチャリと扉が開き、いつもより簡素な服装のオーケヌスが現れた。
「少しは顔色が戻ったか」
「あ、ええと」
オーケヌスの柔らかな微笑みに、ティアは少し落ち着かない気持ちになる。
「そ、その。昨夜は、ご迷惑をおかけいたしました……それに、今朝の儀式も寝過ごしてしまい……」
「案ずるな。私の行動は、私自身が決めているものだ。それに、今朝は絶対に起こすなと厳命したのも私だ」
(えっ?)
厳命はやり過ぎなのではと、オーケヌスの過度な気遣いにティアは驚く。
同時に、昨日の事件のその後も気になっていた。
「……その、昨日のことは、どこまで知れ渡っているのでしょう」
「昨日のこと、と言うと?」
オーケヌスは、長椅子に座るティアの隣に腰を下ろし、先ほどとは少し違う笑みを浮かべながらティアの顔を覗き込む。
「え、あっ……ち、違いますっ! 昨日の、事件のことですっ!」
ティアは昨夜の出来事を思い出してしまい、慌てて早口で捲し立てる。
「……やっと光が戻ったな」
「……え?」
「いや、こちらのことだ。……昨日の事件は、しばらく思い出して欲しくなかったが……そういうわけにもいかぬか」
オーケヌスはそう言うと、事件後の話を始める。
詳細を女王へ報告したこと、アクティスの状態が明確にわからないため、医療施設で経過観察中であること。それから、騎士のセルレティスが失踪したこと。
「それとだ。これは、私が無理を通したのでかなり異例ではあるのだが」
「……?」
不穏な雰囲気を感じ、ティアはちょっとだけ身を引く。
「君との婚約を、通常行われる儀式を飛ばして承認してもらった」
「!?」
(なんで今!?)
「君に降りかかる危険が多すぎる。こうして隣にいても不安なくらいなのだ。誰に文句を言われることなく君と共に居るためには、この方法しか無かった……許せ」
「……」
後半、説明をするオーケヌスの表情が、痛みを伴うように徐々に険しくなっていくのがわかった。
これは、決して甘いものではない。そうわかっている。だからこそ、オーケヌスは、謝罪の言葉を述べたのだろう。
(殿下は、どうしてこんなに私のことを)
「女王である母上には、きちんと責を負うのならばと言われた。それから、儀式についても後日準備が整い次第、行うことを命じられた」
あまりの展開に、言葉を失うティア。
「……それほど構える必要はない。当面の君の仕事は、朝晩の儀式と、ミオティアルの研究を追うことに専念してもらうことになっている」
「……癒しのお仕事はしなくていいのですか?」
ティアは、聖女として民衆の前に出なくてもいいのかと疑問に思い、首を傾げる。
しかしオーケヌスは首を振り、いいのだ、と言った。
「君はこれから、表向きは儀式の準備に忙しくしているということになる。……準備は君の侍女と私の従者の間で相談しながらするから、問題ない」
次々と積み重ねられていく情報に押しつぶされそうになりながらも、ティアは必死で頭の中を整理する。
(つまり、私はすでに殿下の婚約者で、忙しいフリをしながら、結界の儀式と研究書の解読をする……ってことだよね)
ぱちぱちと瞬きをしてから、ティアは最後に一つだけ問う。
「トゥエリラーテ姫殿下は、どうしていらっしゃいますか?」
途端にオーケヌスは苦い表情になる。
「……あれは。セルレティスが引き起こした事件を盾に母上が説得をする。本人も思うところがあるのか、おとなしくなったようだ……じきに謹慎も解かれるであろう」
「そう……ですか」
コンコンとノックがされ、リリアナがカート押して入ってくる。
「ご歓談中失礼致します。……一息つかれてはいかがかと思い、お茶をお持ちしました」
「あ! ……ありがとう。リリアナ」
そういえば指示をしていなかった。とティアは反省する。
「いえ! ティア様はお疲れなのですから、このようなことはわたくし達にお任せいただければいいのです! 姉であれば、そのように言うはずです」
今は少し休ませていただいておりますが、と付け加え、リリアナはカップに薬草茶を注ぐ。
どうぞ。とお茶菓子と共に二人の前に並べてから、改めて二人に向き直る。
「今日は、お二人にお伝えしたいことがありまして」
「……?」
リリアナはそう言うと、一枚の紙を二人に見せた。
何か植物の種のような物が描かれている。
聞けば風の栽培棟に、ミオティアルが持ち込んだ芽を出さない種があるという話だった。
ティアとオーケヌスは、顔を見合わせる。
「女神の薬草のような話ですね」
「ああ。私もそう思った」
「はい。わたくしも栽培棟の管理人づてにそのお話を伺ったのです。ですから、何か関係があるかもと」
ティアは、出された薬草茶をオーケヌスに勧めつつ、自身も口を付ける。
今日のお茶は琥珀色のお茶だ。喉を通る時に花のような優しい香りが抜けていく。
(……成長しない植物と、芽を出さない種。もしかして他にもあるのかな)
「……ティア様。差し出がましいかもしれませんが」
リリアナが急に真剣な顔になる。
「?」
「言ってみなさい」
オーケヌスが先を促すと、リリアナは僅かに言い淀んだ後、口を開いた。
「お二人のされている調べ物ですが。植物に関してでしたら、わたくしにも何かお手伝いできると思うのです」
「……それは心強い。こちらは書物で手一杯であるからな」
オーケヌスが相槌を打つ。
「わたくしは、自分も研究をしている関係で、各栽培棟にも顔が利きます。ですから、このような話が他にも無いか、調べてもいいでしょうか?」
リリアナの真剣な顔に、ティアはふわりと笑みを浮かべた。
「……ありがとう、リリアナ。……頼りにしています」
するとリリアナは両手を口にあて、真っ赤な顔で、がんばります! と返事をして、それは嬉しそうに退出していった。
「……君は……」
「……はい?」
隣ではオーケヌスが、組んだ両手で頭を抱え、盛大にため息をついている。
(持ち直してきたのは良いが……誰にでも振り撒くのか。……危険すぎる)
「あのう……?」
ティアは困惑し、オロオロとする。
「いや、もういい。……書の解読を再開しよう」
そう言ってオーケヌスは、空になったカップを横に避けた。
ミオティアルが残した研究書。
誰にも読まれないように漢字を並べて記録されています。要するに暗号のようなものです。
次回更新は木曜夜です。




