79:休息
……漆黒の瞳が、嘲笑う。
……黒い何かが蠢き、その肌を這っていくように、拡がる。
……昏い、昏い、……熱を帯びたような青紫が、こちらを――
「いやああああっ!」
ティアはガバリと身を起こし、目を見開いたまま、ハッハッと肩で息をする。その肩を固く握りしめた両手は、恐怖なのか、力を入れすぎなのかわからないほどに白くなり、ガクガクと震えていた。
(怖い、怖い。なんで? なんで?)
「ティア様!?」
天蓋がバッと開かれ、アイリスが顔を出す。
ティアの様子を見るや否や、リリアナに指示を出した。
「――リリアナ!」
「はい! すぐに!」
リリアナの走り去る音と、ばたりと扉の閉まる音。
「っ!」
ティアは、ビクリと身体を震わせる。
「……ティア様、大丈夫ですよ」
そういってアイリスはティアの背中をさすり、白くなった手を、ぽんぽんと叩く。
続いて、じっとりと汗ばんでいる額を、真っ白なハンカチでそっと拭った。
しばらくして、ティアの呼吸が整い、肩の力が抜けた頃。
扉の開く音がして、急いだような足音と、衣擦れの音がアイリスの耳に届く。
ベッドサイドで身を屈めていた彼女は、ティアを驚かせないように、そっと、立ち上がった。
「……あいり、す」
離れる温もりに、ティアの口から不安げな声が漏れる。
再び天蓋が捲られ、大きな影と、ふわりと漂う優しい香りが、ティアを包み込んだ。
「でん……か……?」
「……大丈夫だ。何も怖いことはない」
オーケヌスが、ぽんぽんとティアの頭と背中に優しく触れる。
オーケヌスはアイリスの方を振り返ると、小さく頷いた。
アイリスは丁寧に礼をし、その場を離れた。
天蓋が下ろされて、ベッドサイドの灯りが二人の姿をほんのりと映しだす。
「……夢でも見たのか?」
静かに、問いかける。
ティアが腕の中で、頷くのがわかった。
(まだ、アクティスのことは話さない方がいいだろうな……それに、居なくなったセルレティスのことも)
「……君は何も、悪くない。全ての責は、私が負う」
「それ……は」
ティアが、ゆっくりと顔をあげる。
光を失った淡い水色が、ぼんやりとオーケヌスを見つめている。
「……あ、アクティス、は……」
「大丈夫だ。今は落ち着いて眠っている。……君は自分が休むことを第一に考えてくれ」
「そう、ですか……」
そう言って、ティアは再び俯いた。
(本当に君は……人のことばかりなんだな)
彼女の長所であり、短所でもある。
それは、知らず自らの心を削っていく。
……今は闇の刻半少し前といったところか。
あんな事があったというのに、「わたくしの役目ですから」と夜の儀式はいつも通りに行い、その後もアイリスやクレイの様子を気にかけ、気丈に振る舞っていた。
オーケヌスは空いている部屋を一つ借り、何かあればすぐに駆けつけられるようにしていた。
多少の無理は通したが、誰も異を唱えるものはいなかった。
アイリスやリリアナもティアと同じ部屋で待機して、仮眠をとっていたところであったはずだ。
ティアが皆から慕われていることが、良くわかる。
(今は危うい。……壊れてしまわぬように、私がなんとかしなければならない)
「……私に……できる、こと、は……」
震える声で、ティアは懸命に言葉を探す。
(全く……)
オーケヌスは少し思案する。
もしかしたら、何かできることを示した方が落ち着くのではないだろうか。
「……そうだな。では、まずは予定通り『風の書』を共に読み解こう」
私に何か手伝えるかは疑問だが、とオーケヌスは自嘲気味に笑う。
「……は、はい」
「よし。わかったら、今は眠るといい。……傍にいる」
オーケヌスはそう言うと、自分の胸にティアの頭を寄せる。
いつもはなんでも遠慮するティアだが、今回ばかりはコテリともたれかかり、そのまま目を閉じた。
柔らかな薄布越しに、トクン、トクン、と規則正しいオーケヌスの鼓動が、ティアの身体に響く。
(……怖く、ない)
程なくしてティアは、眠りに落ちた。
ここは書いてて少し苦しかったです。
ゆっくり休んで。
次回更新は火曜日昼です。




