十章『そして、彼らは微笑む(2)』
ひなたの元に彼がやってきたのは、またそれから幾月か過ぎた日の夜中のことだった。
窓から入り込んできた侵入者は、開口一番こう言った。
「そろそろお前が“ひとりぼっち”じゃなくなっても良いんじゃねぇか」
その言葉に、ひなたはゆっくりと身体を起こす。闇にまぎれて侵入者の顔はよく見えなかったが、その声を忘れるはずはない。
「お前はどうなんだよ?」
だから、ひなたは逆にそう訊ねたのだ。彼はひなたがどうしても“ひとりぼっち”にしたくない人物のうちの1人だ。
「俺は、無理だ」
「なんでだよ?」
多少苛立ちを含んだひなたに対して、彼はやや投げやりな口調で答える。
「俺は陰で、お前は陽だからだ。お前は誰から見ても幸せなやつにならなくちゃいけない。俺と違って、な」
「何をわけのわからないことを」
「俺は、良い。良いんだ。世界中の誰1人として俺を幸せな野郎だと思わなくても良い」
「……カゲ」
みかげは憂いの表情を一瞬だけ浮かべ、それから薄く微笑んだ。
「そう思われたいだなんて、願うなんてあつかましいにも程があるだろ。俺はまともな人生なんて送ってきていないんだよ。迷惑をかけすぎた。だから――」
「僕がいるよ」
「あ?」
ひなたはみかげの語りを止め、静かに笑う。
「お前だって、“ひとりぼっち”じゃない。お前には僕がいる」
「くさすぎて吐きそう」
「うるさいよ」
「……なぁ、ひなた」
「ん?」
しばらくの間があった。窓から夜風が吹き込んでくる。寒くはなかった。むしろ、心地よい風だった。
それがやむのを待っていたかのように、みかげが口を開く。ひなたが聞いたことのないくらい弱々しい声が彼の口から発せられた。
「俺、最低だよ」
ひなたは首肯し、
「僕もだ」
と答える。みかげはそれを聞いて笑いを含む。
「そうか」
「ああ。だから、ここから這い上がる。悪行は消せないけど、善行は積み重ねられる」
「俺にはそういうの興味ねぇなぁ……」
「別に良いんじゃないか」
「あ?」
「僕とお前は、あの日違う道を選んだんだ。たとえ、お前が悪党だろうと関係ない。僕にとって、カゲ。お前はかけがえない友人だ」
みかげは、けっ、と吐き捨てるように言ってから、大仰に首を振った。
「よくそんな恥ずかしいことが、さらっと言えるもんだ」
「いいんだよ。こういう鳥肌立ちそうな言葉を吐くってのも、時には大事だってことを学んだんだよ。……隙間を埋めるには、な」
みかげは遠い目をするひなたに視線を向け、すぐにそらした。
「そんなもんか」
「ああ」
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「んじゃ、ま、そろそろ行くよ」
「そうか」
「ああ」
みかげが窓枠に足をかけ、まさに飛び出そうとした時だった。
「帰る気は、無いのか?」
ひなたがその背に言葉を投げかけた。みかげは振り返らずに答える。
「ねぇ。居場所が、ねぇ」
「そうでもないよ」
「いや。ねぇよ、もう。あそこには」
みかげは少しだけ振り向き、ひなたに向かって口を開く。
「俺はもう戻れねぇ。そうしちゃいけねぇ理由がある」
「……お前のやってきたことを考えると、どうしようもない、ってことか?」
みかげは、まぁそれもあるけどな、とはっきりしない態度でぼやき、ため息をついた。
「どうせお尋ね者だ、俺は。あいつらに迷惑はかけらんねぇ。フブキが捕まった今、やりたいこともねぇし……いろいろ考えるさ」
「そうか。まぁ、僕もお尋ね者に変わりはないけどな」
「手前は大丈夫だろ。この件で司法取引だなんだがあるんじゃねぇのか?」
「ああ、なるほど」
ひなたは、その可能性に今ようやく気づいたかのように、あっけらかんと言い、みかげの苦笑を誘った。
「ま、どっちみち、手前に悪人は向いてねぇよ」
「そうかもな」
みかげは言いながら窓枠に両足を乗せた。もう振り返らない。
「全部終わったら――」
振り返らずに、別れの言葉を綴る。
「ん?」
「いや、きっと終わることなんてないんだろうけど、な。もし、俺のやるべきことが全部終わったら、そのときは」
「ああ、帰ってくれば良い。あそこは、お前が作った町だ」
みかげの小さな笑い声が漏れた。
「……じゃあ、いってくる」
「いってこい」
彼の姿はすぐに闇夜にまぎれた。飛び降りた瞬間、みかげが会心の笑みを浮かべたことを誰も知らない。
そんなみかげを見送った後、ひなたもまた会心の笑みを浮べる。これもまた、誰にも知られることなく彼の顔から消えていった。
彼らは、新しい一歩を踏み出した――。




