十章『そして、彼らは微笑む(1)』
事態が一応の終焉を見せるのに、それから丸々1年ほどの月日を要することになった。
さて、時はまず例の事件から数ヵ月後の話になる。
まだ動き回ることはできないが、順調に傷の回復をみせるひなたはベッドに寝転がったまま、じっと目をつむっていた。
まるで周りのことなど全く気にしていないかのように。
「あんた、不器用ね」
「うるさい。食べられればいいの」
「食べるとこないじゃない」
「ある」
「ない」
「ある」
「ない」
ひなたのベッドの横に椅子を並べて、りんごの皮をむいているのはユキナとみなみであった。お互いにお互いの批判することができないくらい、両者の手にあるりんごの形はあまりにも歪であった。
その光景を呆れ気味に見つめながら微笑むさくらは花瓶に花を飾りながら、皆が死なずにすんだことに心から感謝する。
「ない」
「ある」
「ない」
「ある」
「うっせぇんだよ! お前らのりんごなんて、どっちも食えるかっ!」
不毛なやり取りに痺れを切らしたのか、ハム吉は思わず大声を上げた。ユキナとみなみが示し合わせたかのようににやっと笑い、同時にハム吉に視線を向けた。
この瞬間、ハム吉は人生最大の殺気を感じ、すばやくひなたの布団にもぐりこんだ。
ひなたは布団の下で器用に指を動かしてハム吉の鼻をつまむと、非難の意を示した。ハム吉も反省しているらしく「悪い」と小さく言った。
「それより、あんた、ここにいてもいいの?」
「え?」
「お兄さんよ」
「ん……」
フブキは怪我が治り次第、とある特別な監獄に入れられたらしい。当初はいろいろと問題もあったようだが、だいちが総裁を半ば脅すように納得させ、それを了承させた。
政府側でフブキを勝手に処分せず、彼を元に戻す薬を必ず作るというのがだいちの強い言い分であり、もちろん政府の大部分はそんなものに聞く耳を持たず即刻処刑にすべしと主張したのだが、クーデターものの「だいちによる総裁人質大作戦(ユキナ命名)」により、ごり押しの形でつっきったのだ。
「もう少し、待ってね」
口を開いたのはさくらだった。政府側が抹消していてもおかしくなかったはずのフブキに投与した薬の成分表であるが、実に運の良いことに倉庫の山に埋もれて存在していたのである。
……と、さくらやユキナといったひなた側の人間は思っていた。
が、実際は別に運が良いわけではなく、政府側はその薬に関する書類は厳重な警備のもときちんと保管していたのだ。無論、当初の目的である心を失わせる薬を調合するために、その過程のデータを保有しておくべきだ、というのが大きな理由ではあったが、仮にフブキが戻ってきたときに、いわゆる“解毒剤”を作るために必要だろうと、例の成分表だけきちんと保管所にしまった人物がいたのだ。
彼もまたフブキ脱走に巻き込まれたのは確実であるはずなのに、そのようなことを考えていてくれたことにだいちは喜び、政府のお偉方は苦悩した。せっかくフブキを処分できたというのに、元に戻す薬ができる可能性があれば、それが漏れたときに責任を取らされるのは自分たちだ。実際、その点を強くついて、だいちは強行突破したといっても過言ではない。
さて、そのような事実があったにも関わらず、だいちは成分表が手に入った流れについて、ひなたたちには、たまたま見つけたので盗むようにして持ち出したと説明した。そこには彼なりの思惑があった。鍵となるのは、成分表を保管した男のことだ。その男、ひなたたちのよく知る人物であったのである。
だいちも詳しくは知らなかった。彼のことを調べる上で、名前と顔は確認した。その保管者の名前を見た瞬間に、どこか頭の隅にあった記憶が呼び起こされたのだ。
成分表を保管した研究者は、みかげの父親であった。
フブキ脱走の際に、何とか生き残ったみかげの父はいそいで故郷へ戻った。そして、住民に逃げるように伝えるためにそこにたどり着いた日と同日、フブキの襲来にあった。まるで、自分が殺し損ねた男をきっちりと始末するかのように、ぴったりのタイミングで全てを壊しにやってきたのだ。
それを考えると、フブキ自身も薬でおかしくなっているとはいえ、政府に強い恨みを持っていたのかもしれない。その事件(すなわち、ひなたとみかげの故郷へのフブキ襲来事件)により、当時薬開発に携わっていた研究者は全てこの世を去ったことになり、政府の薬開発は足踏み状態になった。
みかげの父が薬開発に携わっていたことに関しては、ユキナたちにはともかく、ひなたやさくらにはあまり言いたくない、と思っただいちは、それについて言及することをやめたのだ。
その判断が正しかったのか間違っていたのかは、まだ分からない。




