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余章『彼女らの場合』

 彼女は家に戻りながら、このことをあの少女にどう伝えるかを考えていた。きっと、うまく伝えることができない。彼がなぜ出て行ったのか。彼がなぜ“自分”を置いていったのか。

 正直、自分でも混乱しているのだから……。

 結局答えは出ないまま、家の前につく。できることなら、あの子がまだ眠っていてくれればいい。そう思って彼女は扉に手をかけた。だが、彼女の期待はすぐに裏切られる。

 少女は玄関に立っていた。台所からは、なぜかいい匂いがする。

「どこ行ってたの?」

 その問いに彼女は押し黙る。


 ひなたを見送りに。


 とは言えない。しかし、適当な嘘も思いつかない。

「……さくら?」

 何も答えない彼女、さくらを不審に思ったのか、少女が訊ねる。

「あの、それ……何?」

 少女が指差したのは、家を飛び出したときからさくらが握ったままだった彼の書置きだった。


 もう、だめね――。


 と、さくらは思った。これ以上、隠し通すことができないと悟ったのである。それに、いつまでも隠し続けることができるとも思えない。今、この子に伝えないと、もっと彼女を傷つけることになるかもしれない。

 さくらは、じっと少女を見つめる。

「……さくら?」

「みなみちゃん」

 抑揚のない声が出た。

「ひなたは、ね」

 さくらは胸が痛むのを感じた。この先の言葉を紡ぐことが嫌で嫌で仕方がなかった。自分の言葉で、目の前にいる少女を悲しませてしまうことは明白だった。



「さっき、街を出て行ったわ」



 それを聞いても、みなみの表情は変わらなかった。さくらが、もしかしたら自分の言ったことが聞こえなかったのではないか、と思うくらいに無反応だった。

「……な、ん……で?」

 しかし、さくらの言葉はきちんと伝わっていた。みなみは口を開くと同時に、瞳に涙をためた。


「あの人は結局、どこまでも“ひとりぼっち”で、どこまでも“バカ”なのよ」


 さくらは、これまでの経緯を淡々と説明した。

 それはつまり、彼とみかげとの決別であったり、彼とフブキとの関係であったり、そこから繋がる彼が街を出た理由であった。

「ひなたもね、みかげと同じなのよ」

 さくらはそう言葉を繋げ、自分の結論をみなみに告げた。

「昔空いた穴を埋めるには、フブキとの問題が解決しないとだめなの。どれだけ周りに彼を慕う人がいても、誰も近づけない場所を持ってる」

 簡単に言えば、それが、ひなたがひとりぼっちだという理由だった。外面的には仲間はいるが、内面的にはひとりぼっち。それが、ずっとひなたを苦しめていた。

「でもね、ひなたがみかげとは違う点は、あの人がもう誰も殺したくないと思っているくらいにバカなことね」

 さくらは先刻別れたばかりの男の背中を思い浮かべ、ぐっと涙を堪えた。

「ひなたは、みかげもフブキも救いたいと思ってる。死んで欲しくないと思ってる、そして、それが甘いことであることも分かってる。でも、彼は止まれない。自分も含めて、3人が3人とも“ひとりぼっち”だから。ひなたはそこから彼らの手をとって這い出したいのよ。死んでしまったら、それでおしまいになっちゃうでしょ。それじゃ、だめなの。ひなたはみんながもう“ひとりぼっち”じゃない、と思ってくれないと、だめなのよ。それが、彼の罪滅ぼしでもあるの」

「わかんない……」

 と、突然、みなみの瞳から涙が溢れた。これまで我慢していたものが、一気に溢れ出したようだった。泣きじゃくるみなみを前にして、さくらは何も言うことができなくなった。

「わかんない、わかんない。私が聞きたいのは、そういうことじゃない」

 みなみは涙を拭うこともせず、さくらに顔を向けることもせず、ただただ俯いたまま、口を開いた。


「わ、私が……私が弱いから……。ひ、ひな兄の足手まといになっちゃうから……」


 だから、私は連れて行ってもらえない、と続くのだろう。

 なるほど、とさくらは思った。みなみはさくらと同じように、彼に一緒に連れて行ってもらいたかったのである。さくらには、その気持ちが痛いほどよく分かった。分かったが、足でまとい、というのはきっと違う。

「違うって。ひなたはそんな――」

「違わないもんっ!」

 ひなたはそんな風には思っていない。彼は、みかげやフブキを追うことで、もしかすると死んでしまうかもしれないことを自覚しているから自分たちを置いていったのだ、とは言えなかった。

 みなみが大声で叫んで、それを遮ったのだ。



「ひな兄が私を“ひとりぼっち”にするはずないもん!」



 さくらは何も言い返せなかった。呆然としている彼女を尻目に、みなみは自分の部屋に駆け戻っていく。そして、なにやらどたばたと動き回っている音が聞こえた。

 さくらは小さくため息をつくと、居間に入った。彼女の言い分は分かる。誰も“ひとりぼっち”にしたくないことが、ひなたの正義であるのならば、みなみを置いていったという事実は明らかに矛盾だ。でも、それは多分、自分を信頼してくれているからだろう、とさくらは思った。

(みなみには、あたしがいる)

 そう思いながら入った居間で、彼女は信じられない光景を目の当たりにした。



 そこには、美味しそうな朝食が並んでいたのである。



 さくらは自分の目を疑った。自分は今日、朝食を作った覚えは無い。ということは、これは……。

 そう思って台所を覗くと、失敗作の数々が並んでいた。みなみの苦労がここに積み重なっていた。さくらの瞳に彼女が悪戦苦闘しながら料理を作る姿が浮かび上がってきた。そして、1つのことを決めた。

 

 この朝食を食べずに出て行ったひなたを思いっきり殴ってやろうと。自分とみなみを泣かせた、あの男を力の限り殴ってやろうと。


 しばらく台所で物思いにふけっていたさくらだが、慌しい足音と扉の閉まる音が聞こえて我に返った。

 彼女は慌てて玄関に向かうが、そこには1枚の手紙が置いてあるだけだった。



 今まで、ありがとうございました。

 私は、ひな兄を追います。



「また、手紙……か」

 みなみを追う気にはならなかった。さくらは彼女に自分の気持ちを託そうと考えたのである。自分は家で待ち、みなみは旅路を行く。そうして2人でひなたを見張っていれば、彼が道を間違えることはないだろう。

 さくらは急に広くなった家を見渡してから居間に戻る。並べられた3人分の朝食の1つを手に取った。

 それは上出来とはいえないが、間違いなく美味しかった。




 ――さくらとみなみが“ひとりぼっち”になった。

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