余章『みなみの場合』
「嫌っ! やっぱり嫌よっ! この子を置いていくなんて!!」
ヒステリックな女性の声が闇夜にこだまする。それをたしなめるように女性の傍に立った男性が彼女の腕をつかんだ。
「もう、そうするしかないだろ……この子の幸せを願うなら、な」
男性は、そう言って足元に視線を向ける。そこには毛布に包まった、何も知らずに眠りこけているまだ幼い少女がいた。
「そう、かもしれないけど……」
「この子まで死なせるわけにはいかない」
男性は険しい顔つきで言うと、踵を返した。女性は躊躇いがちに何度か少女の方を振り返って、やがて諦めたようにして男性の後をついていく。
男性はそんな女性の方を振り返ると、厳しい口調で告げた。
「お前は、この子と一緒に逃げても良い」
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そこは、ごくごく小さな村だった。自然が豊富で村全体を覆い隠すように草木が茂り、村人は平穏な生活を送っていた。
しかし、それが一夜を境にして変わることになる。
その夜、村はものの数時間のうちに壊滅した。まさに、跡形もなく。そんな風にして燃え盛る家々の間を1組の夫婦が走っていた。
「ど、どうするの、あなた!?」
「この子を助けるっ!」
夫と思われる男性の腕の中には娘と思しき少女が抱えられており、妻であろう女性はその後を必死に追いかける。
「助けるって!?」
「村の外に隠す」
「え?」
女性は絶句し、男性の背中に問いかける。
「隠すって……?」
「僕は、このまま村を見捨てていくことはできない。けれど、この子を見殺しにしたくもない。選択肢はひとつだ」
「で、でも……」
たとえ、女性がどんな言葉をかけようとも男性の決意は変わらない。彼の背中がそれを物語り、女性は実際にその子を置いていく瞬間まで、一言も発することはなかった。
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「本当に良かったのか?」
男性は娘を村の外れ、生い茂る草木の陰に隠して、村に戻る途中で女性に問いかけた。女性は、ふるふると首を横に振ると決意を込めて言う。
「私はあなたと一緒に行きます」
それを聞いて女性に静かな笑顔を向けた男性は、その顔のまま地面に倒れた。
「え……?」
女性が目の前で起こった状況を理解するよりも早く、声が聞こえた。
「みぃつけた」
それは、女性にとって恐怖の声以外の何者でもなかった。先刻、村を襲った男が顔に笑いを貼り付けて現れたのだった。
「仕方ねぇよな。仕方ねぇ。この村は俺を侮辱した。俺の顔を見て逃げ出すのは良い。そりゃまぁ当然の反応だからな。むしろそこまでは俺も気分が良かった。でもな、その後がだめだ。あぁ、だめだ。誰が“化け物”だって? 化け物って言うのは、“あいつ”みたいなことを言うんだよ。俺をあいつと同じだとでも思ってるのか? あ? よく見ろ。俺は“人間”だ。ただの、普通の、ありきたりな、どこにでもいる人間。……分かるか? 分かんねぇか? もう何も分かんねぇって顔してやがるな。んな顔しても無駄だ。もう俺のスイッチは入っちゃってんだよ。もう止められねぇ。この村を壊して壊して壊して、壊しつくすまでは止まらねぇ。いや、ぶっ壊しても止まるかは分かんねぇが。まぁ、そのときはそのときだ。なぁ? 何とか言えよ。俺ばっかりしゃべってたって、つまんねぇだろ。最期の言葉でも聞かせてくれよ。なぁ?」
男は早口にまくしたてながら、女性にじりじりと近づいていく。そこで、女性は気づいた。ここは娘を置いてきた場所からそんなに離れていない。できるだけ、この“化け物”を遠くに引き付けなくては……。
その考えが頭に思い浮かんだ瞬間、女性は駆け出していた。できるだけ、できるだけ遠くに……。
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少女は朝日と鳥のさえずりで目を覚ました。昨夜の騒ぎでは全く目を覚まさなかったのは、単なる偶然か、それとも、何かがそうしたのか。それは分からないが、とにかく、彼女は悪夢のような一晩を生き残った。
「ん……お母さん?」
確かに自分の部屋で眠っていたはずの自分が、なぜこんなところにいるのだろう。少女はそう思い、寝ぼけた頭で歩を進める。村へ向かって。
「お父さん?」
両親のことを捜しながら少女は進む。何も知らない、ということが救いになる場合がある、というのを少女は痛感する。
眠気を吹き飛ばす光景が、そこに広がっていた。
「……何、これ?」
少女が目にしたのは、もはやただの荒地だった。家も人もない。何もない。少女は呆然と立ち尽くすと、目の前の現実に打ちのめされた。
何も考えれない。何も分からない。少女は、しばらくその場から動けなかった。
――1人の少女が、ひとりぼっちになった。




