五章『彼女は彼の名を呼び続ける(1)』
昨夜の喧騒が嘘であるかのような静かな朝だった。いつの間に眠っていたのか、ひなたは硬いベッドの上で目を覚ました。昨晩だいちに殴られた場所が痛むが、それは仕方がない。お互い様、といったところだろう。
あれからだいちの姿は見ていない。侵入者がいったい誰で、どうなったのか。それから、みかげの動きはどうなのか。
気になることはいろいろあったが、とにかく今はじっとしているべきだと思った。だいちは鍵を開けておいてくれていたし、こちらから動こうと思えばいつでも動けた。だからこその余裕ともいえる。ひなたは大きくあくびをすると、軽く身体を動かし始めた。
しばらく身体を動かしてうっすらと汗をかき始めたころ、足音が近づいてくるのに気づいた。ひなたは運動をやめるとベッドに落ちるように腰掛ける。
足音の主は予想通りというべきか彼しかいないだろうというべきか、だいちであり、彼は開口一番ひなたに助力を求めた。
「出番だな」
「みかげが来たんですか?」
「まもなく、だと思う。とにかく、公開処刑場に向かうとしよう」
ひなたはすっと立ち上がると、だいちの肩に手を置いた。その瞳は嘘やごまかしは許さない、と言っている。
「侵入者はどうなりました?」
「ご安心を、とだけ言っておく」
疑るようににだいちの顔を見つめたひなたは何も言わずに独房の外に出た。今、この件について彼に何か言ったところで無意味であると思ったからだ。ひとまず、みかげの確保が最優先だ、とだいちの顔は物語っていた。
「では、行こうか。困ったものなんだが、物好きな見物人がたくさんいる」
「光栄ですね」
ひなたの公開処刑まであと数時間。
何の“問題”も“策略”もなければ、まもなく3億の首が飛ぶ。
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処刑場はやや高い場所に設置されており、そこからの景色は圧巻だった。政府の役人や民間人も大勢集まっている。ひなたはその光景を見て、公開処刑というのをお祭りか何かと勘違いしているんじゃないか、と両手を縛られ首を固定された体勢のまま考えた。
処刑人はだいち。どうやら刀で首をすぱっと切り落としてくれるらしい。すぱっといけば良いが、そうでなければ無駄に痛いこと請け合いなやり方だった。
「見覚えのある刀ですね」
ひなたがそう言うのも最もで、だいちが握っている刀はひなたの愛刀であった。だからこそ、だいちはそれを聞いて小さく笑った。
「自分の刀で最後を迎えるというのが一番かと思いまして。それに君の刀はよく手入れされていますし」
ひなたは苦笑いを浮かべた。確かに、これで斬られれば先ほど頭に浮かんだような心配はいらないと思えた。
それは綺麗に首が飛ぶことだろう。
処刑場の中心にいるひなたはそう考えた後、首を動かせる範囲で辺りを見回した。横にはだいちが立っていて、後方には役人が2人ほどいるらしい。周りは見物人が近づかないように役人が取り囲んでいるが、彼らは見物人の警備というよりはひなたが暴れたり逃げ出したりしないように警備しているといった感じだった。これだけ厳重ならば、死刑囚はここに来れば死を覚悟するだろうな、とひなたは思った。
「これより、蒼風、もとい、ひなたの公開処刑を実施する」
鼓膜をつんざくような大歓声が鳴り響いた。これを見ると、自分が世間にどう認識されているのかがよく分かり、ひなたは仕方がないこととは言え寂しそうな顔になった。
「最期に何か言い残したことはないか?」
だいちが意味ありげな視線を向けた。その額にうっすらと汗が浮かんでいるのを見て、ひなたは意図を理解した。
みかげがまだ現れていないのだ。
このままでは、ひなたを本当に処刑することになってしまう。今はみかげが来るまでの時間稼ぎ、と言うわけだ。
「おい、だいち。何を悠長なことを言っておる。さっさとやれ」
そう言ったのは、処刑場の傍に設けられた特別席でひなたの処刑の様子を観察している老人だった。その周りには、ひなたを取り囲んでいる以上の人数の役人がいた。どうやら彼を厳重に警護しているらしい。ひなたはそんな彼の顔に見覚えがあった。記憶が正しければ現在の政府の頂点に立つ男のはずだ。自分の処刑はそんな大物が見に来るくらい価値があるのか、と思い、ひなたは含み笑いをした。
「しかし総裁。悪人とはいえ、人間です。最期のときくらい、ある程度の時間を与えても問題はないかと思いますが……」
だいちは努めてゆっくりとそう言った。あからさまな時間稼ぎだ。ひなたはその滑稽な“芝居”に思わず噴出しそうになるのを何とか堪える。そして、自分のやるべきことを理解し、気合を入れ直した。
「だがな……」
「黙れ、じじぃ」
ひなたは、できるだけ悪役っぽく重い声で老人に睨みをきかせた。しかし、老人はひるみもせず、ぎろりとひなたをにらみ返す。総裁ともなれば、やはりいくつもの至難や修羅場を越えているのだろう。ちょっとやそっとでは動じない、といった心情が彼の身体中からあふれ出しているように見えた。
「言葉遣いには気をつけろよ、ガキが」
「けっ」
ひなたは目玉をぎょろりと動かして、見物人を凝視した。見物人の中には悲鳴をあげるものや後ずさるものもいた。
「では改めて、何か言いたいことはないか?」
だいちの問いに、ひなたは長く、長く息をはいて前方を見据えた。彼の髪を風が揺らす。風の音が聞こえる。
何かが近づいてくるのを知らせてくれる。
ひなたはだいちに視線を向けた。だいちもひなたの目を見た。そして、ひなたは腹の底から大声をはき出した。
「死にたくなきゃ、この場から逃げろっ!」
それは、いったい誰に向けた言葉だったのだろうか。その迫力に、本当に逃げ出そうとした人間もいたが、だいちが刀を上に振り上げたのを見てそれを思いとどまる。
「みかげっ!!」
ひなたは叫んだ。刀が振り下ろされる。歓声が上がり、歴史的瞬間を目の当たりに――
「ひなたぁ!!」
する前に歓声が悲鳴に変わった。銃声が何発も鳴り響き、見物人の何人かが倒れ、だいちが振り下ろそうとした刀を小さなナイフが受け止めた。
「やっぱり罠か……こりゃ?」
だいちとひなたの表情を見て、みかげは心底嬉しそうに笑った。だいちは手際よくひなたの捕縛を解くと、彼に刀を投げ渡した。
「久しぶりだな」
いきなりの“極悪人”の登場に見物人は逃げ出したり喚いたりと大忙しだった。呆けていた総裁も勢い良く立ち上がると、だいちに向かって声を張り上げた。
「何をやっとるか、貴様は!」
そう言った矢先に一発の銃声が轟く。それは総裁の額に当たり、彼は後ろにぱたりと倒れた。
「少し黙っていてください、総裁」
撃ったのはだいちだった。みかげは愉快そうに笑うと見物人の渦に飛び込んでいく。
「麻酔銃、ですか」
「そうだ。まずは舞台を整えないとまずい。みかげも止めないとな」
「そうですね。では、みかげは僕が引き受けます。あなたは皆さんを安全な場所へ」
「分かった」
ひなたはみかげの後を追い、だいちは総裁に一応頭を下げに向かった。しかし、総裁はいち早く移動させられたらしく、既にそこに姿はなかったため、彼は総裁に会うのを諦めて部下たちに指示を出しに向かう。部下たちは急な展開に困惑を隠せないらしく、焦った声でだいちに声をかけた。
「どういうことですか、だいちさん。これは、いったい……」
「理由は後で話す。とにかく今は、この場をひなたとみかげ、それから私だけにしてもらいたい」
「え? し、しかし」
「早くしなければ、無駄な血が流れることになるぞ」
指示を受けた部下たちは、しぶしぶながらも見物人を安全な場所に向かわせるために動き始めた。既にあちこちで悲鳴が上がっている。
「さて……」
見物人の間でひなたとみかげが戦っている姿を確認しただいちは、とにかく民間人を保護するために行動を開始した。
みかげがいきなり発砲してきたのは、ある程度予想の範囲内だった。できれば、一滴の血も流さずにみかげを捕らえられれば良いと思っていたが、やはりそれは無謀というものだった。誰かの犠牲の上に成り立つ正義というのは、だいちの目指すものではなかった。しかし、現実には幾らかの犠牲は止むを得ない。理想ばかり語る子ども時代はとっくに通過した。だが、現時点で数人の犠牲者が出たことに対してはどうしても悔しさを隠し切れなかった。ただ、今はどうこう言っていられる状況ではない。だいちは、みかげに撃たれた者が死んでいないことを祈りつつ、混乱の渦に飛び込んでいった。
「やはり理想は幻想に過ぎないか……。全く理想どおりに動かすのは難しい」
そうつぶやいた彼の声を聞いたものは、誰もいなかった。




