五章『彼女は彼の名を呼び続ける(2)』
「おい、起きろ、ユキナ」
「んん……」
彼女が目覚めたのは、とある部屋だった。部屋というよりは倉庫だろうか、たくさんの箱や道具、あるいは古い武器といった類のものが乱雑に置かれている。上の方に1つの小さな窓がついており、それがあるお陰で真っ暗というわけではなかった。
ハム吉は丁寧に寝かせられたユキナの頬を叩き反応があることを確認すると安堵のため息をついた。
「あれ……? ハム、吉? 私たち撃たれたんじゃ?」
「どうやらあれは麻酔銃だったようだな」
「麻酔銃?」
「ああ。だいちの野郎が何考えてんのかはわかんねぇが、ぼーっとしている場合じゃなさそうだぜ?」
そう言ってハム吉は窓を指差した。ユキナは、くらくらする頭を抱えて立ち上がると、窓に歩を進めた。しかし、身長が足らずに外を見ることができない。背伸びをしてもだめだと悟ったユキナは近くの箱を積み重ねて簡易の階段を作ると、それにのぼり外の様子をうかがった。
「誰、あれ?」
外の光景を見てユキナは目を丸くした。そこには、ひなたとそれから髪を真っ赤に染めた男がいた。
「あれがみかげだ。手配書は見ただろ?」
「あ、あれがそうなの?」
「ああ」
「へぇ……」
ユキナの見る限り、どうやらひなたとみかげが戦っているらしかった。いったい、公開処刑はどうなったのだろうか。そう思って、だいちの姿を捜すが、どこにも見当たらない。それどころか、その場には2人以外の人間が誰もいないように見えた。
「ま、お前が見たとおり、ひなたはまだ無事だ。なんで奴らが戦ってるのかはなんとも言えないが、とりあえずどうする?」
ハム吉の問いかけには答えず、ユキナは箱の階段を飛び降りた。それから、倉庫に置かれた武器の物色を開始する。錆びたナイフや、銃。短刀や長刀もあった。
「お前、何する気だよ」
「行く」
「何ができる?」
「わかんない」
ユキナの目に留まったのは真っ白な柄を持つ短刀だった。ここにあるのは場違いなくらいに丁寧に手入れされているようで、ほころびもない。この短刀だけが倉庫の中で異質のものといえた。
「断言してもいい。あんなとこに行ったら、お前死ぬぞ」
「死なない」
「おい、ユキナ」
短刀を両手に抱えて、すっと立ち上がったユキナは瞳を燃やしてハム吉を見下ろした。
「行く」
そのまま倉庫を飛び出たところで、何者かに襟首を掴まれた。きゃっ、と女の子らしい悲鳴を挙げて、ユキナは後方に倒れた。
「どこへ行くつもりだ?」
「……だいち」
そこに立っていたのはだいちであった。ユキナは苦虫を噛み潰したような顔をして立ち上がると、彼の脇を通り過ぎようとする。そして、再び彼に襟首を掴まれた。
「その手を離せよ」
「そういうわけにはいかない」
ハム吉が倉庫から出てきて、だいちの足元に立った。彼はそれを一瞥すると、ユキナが強く握っている短刀を奪い取る。彼女の口から、あ、という声が漏れた。
「君を傷つけるわけにはいかないので、ご同行願いたい」
「どういうことだ?」
だいちを睨んだまま口をつぐんだユキナに代わってハム吉が訊ねた。
「君たちの安全は保証する。それが、彼との約束だ」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
「要は、負けた方が死ぬってことだな」
「簡単に言えば、そうなりますかね」
政府側の迅速な行動で、今、2人の周りには誰1人いなくなった。とは言っても、かなり離れた場所から、ライフルで狙われていることには気づいていたし、下手すれば2人まとめて捕らえられる危険性があることも重々承知していた。
「ま、何でもいいや。俺は死ぬ気ねぇし。手前に負ける気もねぇし」
みかげは言って煙草に火をつけた。紅色の髪に、鋭い瞳。彼の拳銃で打ち抜かれると、身体から血しぶきが花のように咲き乱れると報道機関が表現したことから、彼は通称“紅花”と呼ばれている。世間では残虐な殺戮者として知れ渡っており、もし、フブキが同時代に存在しなければ、彼の名は最大の恐怖をもって人類の脳裏に焼きついたことだろう。
「僕もできれば死にたくありませんし、ここで捕まるわけにもいきませんので、全力でいきます」
「言ってろ。っつか、手前、フブキをぶっ殺す決心はついたのかよ」
嫌な笑いを浮かべながら、みかげが訊ねる。ひなたは刀を構えた姿勢のまま、じりっと彼に近づいた。
「フブキは殺しません。僕は彼を救います」
「だから手前はバカなんだよ。あいつを殺さず生かして捕まえることなんてできると思ってんのかよ」
「それは……」
正直、それはできないだろう、というのがひなたの見解だった。変わってしまったフブキの姿を生で見たのは故郷を失ったときだけだったが、あのときの絶対的な恐怖は今でも彼の身体中に染み付いて消えることはない。あの男を捕らえるなど夢のまた夢のそのまた夢のような気がした。
しかし、ひなたには1つの選択肢があった。
口を閉ざしたひなたを見て、みかげは薄い笑みを浮かべて言葉を発した。
「ほらみろ。いいか、ひなた。手前はここ数年、殺しをやってないらしいがな。これだけは言っておく。全てを救うのは無理だぜ」
「そんなことは分かっています」
「分かってねぇよ、手前は。手前は誰1人殺さずに、いや、もしくは、“手前だけが死んで”他の“全て”を生かす道しか選べない奴になっちまった」
みかげはつまらなさそうに煙草をはき捨てた。そして、銃を構える。一見、すきだらけに見えた。しかし、ひなたは踏み込まない。なぜなら、ひなたはみかげのことを熟知しているからだ。この距離では、ひなたは負ける。みかげは自身の持つ圧倒的な身体能力のおかげで、ここまで悪名を轟かせたのだ。他の武器の扱いも巧いと聞いているし、下手に踏み込んで銃以外の何かでやられる可能性は高い。
「手前は、あの男を捕らえるために死ぬ気か?」
「……」
返事をしないひなたを見て、みかげはじれったそうに髪をかきむしると、怒鳴りちらすように声を上げた。
「つまんねぇ野郎だなぁ!!」
その声はひなたの身体を突き抜けた。自分の命を賭ければ、もしかしたら……というのがひなたの選べる唯一の選択肢であった。それでも、もしかしたら、というわずかな望みしかないのであるが、ひなたにしてみればフブキを殺すよりは随分ましな意見だと信じている。
「甘すぎるぜ、ひなた。あの男は死ぬべきなんだよ。“俺の手”で殺すべきなんだよ。手前はそう思わないのかよ。目の前で全てを奪った野郎だぜ!?」
「でも僕たちは、あのとき確かに友人だ――」
ひなたの肩を鋭い何かが貫いた。みかげが発砲したのだ。
「関係ねぇよ」
みかげは蔑むような視線をひなたに向け、舌打ちをした。
「そんなこと、今更……な」
“あのとき”から、何も変わっていなかった。一度、道を違えた以上、再び交わることはない。もはや元通りになる術はない。自分たちは違う生き物なのだ。
そう悟ったひなたは肩の痛みも忘れて瞳に力を込める。
「あなたがあの男を殺すというのなら、あなたにはここで捕まってもらいます」
「気持ち悪い言葉遣いはやめろよな」
みかげはそうはき捨て体勢を低くした。“楽しい会話”の時間はもう終わりだ。
「行くぞ、ひなた」
「いつでも来いよ、カゲ」




