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7. 逝き違い

 ひとしきり泣いて、喚いて――泣き疲れると、私は鼻を啜りながら懐中電灯を拾い上げた。確か、有希子が持っていた方。徹が持っていた方は床の上に転がったまま。それを持つ人がもういないということを突きつけられるようで怖くて悲しくて訳が分からなかった。


 灯りを持っているから、暗闇の中を彷徨うよりはずっと簡単に進めるようになった――ということはなかった。灯りを点けていると、鏡が見えてしまうから。沢山の私。沢山の鏡の像の中に、笑っている()がいたらどうしよう。徹や有希子の姿が見えたらどうしよう。そう思うと、まともに目を開けてはいられなかったから。


 一刻も早くここから出たい。逃げたい。鏡のないところに行きたい。ただ、それだけを願って走った。そんな風にパニックに駆られて、闇雲に手足を動かしても何にもならないとは、頭の片隅に少しだけ残った理性で考えたけど。でも、どうしようもなかった。とにかく逃げなきゃ。その思いだけが身体を支配していた。


「痛っ、やだぁっ!」


 だから何度も鏡にぶつかってしまって。間近に私の鏡像を見ることになって悲鳴を上げる。私の気持ちと同じように、怯え切って歪んだ無様な顔。だから怖がることはないのかもしれないけど、もう、私は鏡というだけで怖くなってしまっていた。だって映るのが本物か偽物なのか分からないから!


 何度転んで、また立ち上がっただろう。縋ろうとする壁も鏡だから、触れる度に寿命が縮むような思いをして、這うように進む。息もすっかり上がって、闇と恐怖が喉に絡みつくよう。舌を出して肩を上下する姿――鏡に映るのを横目に見るだけでも、どうしようもなく惨めだった。


 それでもやっと、それが見えた。懐中電灯をかざしても、光の反射が帰ってこない。光を吸い込む闇は、出口の証だ。外に出たところで不気味な廃遊園地――でも、少なくとも、鏡はもうない!


「はぁ……っ!」


 肺一杯に吸い込むのは、生温い夜の空気。見上げれば、黒い夜空に満天の星。見渡しても、私を見返す目も顔もない。助かった。出られた。


「ああ――……ぁっ!」


 安堵のあまり、私は声を上げて泣きだしていた。




 そこからも、何度も転んだし、あちこちぶつけて擦り傷も沢山作っただろう。でも、必死だったからかよく覚えていない。気が付くと私は遊園地の入り口、有希子の車のところまで戻っていた。もちろんキーは有希子が持ったまま――どこへ、行ってしまったのか。

 ここから歩いて、どこまで行けるか――一瞬、また絶望しかけたけれど、奇跡的に落としていなかったスマートフォンを見てみれば、辛うじて電波を捉えていた。そこで私は、今度こそ迷わず110番にかけた。廃遊園地で、と言った途端に、電話の向こうではああ、と納得したような声が漏れた。そこで改めて、私はこの場所がどんなところか知らされた気がした。


 有希子の車にもたれて警察を待つうちに、空は次第に白んで、辺りも明るくなっていった。肝試しの()が残していったゴミもはっきりと見えるようになったところで、私はふと冷静になった。起きたことをありのままに話したとしても、おかしいと思われるだけ。ううん、もしかしたら現れる警察にとってはよくあることなのかもしれないけど、親や会社に言えることじゃない。


「どうしましたか? 大丈夫ですか!?」

「あ……あの……妹と、その、旦那さんが――」


 だから、私はパトカーで現れた警官たちに、限りなく事実に近い嘘を吐いた。


 DVに悩んでいた双子の妹――他人に話す時は、大体私が姉で有希子が妹ということになっていた――が、夫と話し合うのに同席を頼まれた。この遊園地はふたりの馴れ初めの場所でもあったから、悪いとは思いつつ入ってしまった(怪談については知らなかった振りをした)。興奮した義弟が、私と有希子を取り違えて襲ってきたので、命からがら逃げてきた、と。大体そんな感じのことを。


「ミラーハウス、ねえ。あそこもロープを張っていたはずなのに……」

「有希子、何度か来たって言ってました。あの子が自分で外したのかも……」

「え、何度も!?」


 手帳にメモを取りながら私の話を聞いていた年配の警官は、その証言に目を剥いて手を止めていた。


「――よく無事だったなあ」

「これまでは昼間だったとか?」

「知らなかったとはいえどういう神経――と、失礼」


 仲間内で囁き合っていた彼らは、私が凝視しているのに気づくと口を噤んで、取り繕ったような笑みを浮かべた。


「とにかく、妹さんは誠心誠意お探ししますから。貴女も病院に行きなさい」


 顔と言わず手足と言わず、肌を露出していたところはほとんど傷だらけで泥だらけだったから当然の流れだった。

 私の証言が本当だとしたら、ここまで取り乱して転がり回るものなのかはすごく怪しいものなのだろうけど。でも、誰もその点を追及することはなかった。




 病院で手当てを受けた私が次にしたのは、親と会社に連絡することだった。親に対しては娘のひとりに起きた事件を報せて、徹のご両親への連絡も頼む。会社に対しては警察にしたのより更にぼんやりとした説明をして、休んでしまうことへの謝罪をする。


 それから数日の間に沢山のことが起きた。包帯だらけの私の姿を見たお母さんが泣いて縋ってきたり、徹のお父さんに土下座するような勢いで謝られたり。あの夜のショックからか熱も出たので、会社も休まざるを得なかった。どの道、仕事ができるような心境じゃなかったから良かった――と言えるのかどうか。


 有希子と徹は、案の定というか見つからなかった。私の他にも二人の不仲と徹の暴力を察したり本人から聞いた人もいたから、徹が有希子を攫って失踪した、という線になるらしい。徹が廃遊園地に乗り付けた車もそのまま残っていたのに、どこへどうやって逃げたというんだろう。


 でも、多分そうやって片付けることしかできないんだろうと思う。




 しばらく経つと、事件は完全に終わったかのように見えた。お母さんはまだよく泣くし、私も前より頻繁に実家に帰るようになったけど。お父さんも、前より痩せて小さくなってしまったように見えるけど。でも、これは二人が有希子のことを諦める過程のようなもの。更に何年か経てば、あの子のお葬式を挙げることになるのかもしれない。気持ちに、区切りをつけるために。




 私も少しずつ日常に帰っていくはずだった。変わらず毎日会社に行って、休みの日には買い物とか、友達と遊んだりもして。

 徹はもちろん、有希子だってそうしょっちゅう会ってた訳じゃない。二人が――いなくなった、ところで私の生活にはそう影響はない。――そのはずだったけど。


「亜希子、あれ可愛くない!?」

「うん……そうだね」


 友達とのショッピング。相手が指さしたショーウィンドウの中に鏡が仕込まれているのに気付いて、私はそっと目を逸らした。視界の端にちらりと映る鏡像の私も、同じ仕草を真似る。――これは、普通の鏡だ。分かっては、いるのに。


「あ、でもお値段は可愛くない。どうしよ、試着だけって気まずいよねえ」

「さあ、聞くだけ聞いてみたら?」

「亜希子。……まだ、元気ない?」


 マネキンが来ているワンピースを見ていたらしい友達は、私がちゃんと見ていないことに気付いたらしく困ったように笑った。気を遣わせてしまってるのは分かるけど――私も、曖昧な笑顔を返すことしかできない。


「ううん。ちょっと疲れちゃったのかも。どっか、お茶でもしようか」

「……良いね。そうしよ」


 彼女はまだワンピースに名残を残していたようだったけど、私の提案を快諾してくれた。高校時代からの付き合いの子だ。きっと、有希子と徹のことで私が傷ついていると思ってくれているんだろう。少し的外れの気遣いをしてくれていることは、本当に申し訳ないしありがたいと思っている。――でも、誰が何を言っても、どれだけ時間が経っても、私が元通りになることはないだろう。




 あれから、あの廃遊園地の噂を色々調べた。高校の時にちらりと聞こえた以上に怪談にはヴァリエーションがあったし、イニシャルで伏せてはいてもあきらかにあそこに行った体験談だと分かる書き込みもネット上にはあった。夜空に聳える蜘蛛の巣のような観覧車。くすんだパステルカラーの夢のお城。私自身、あの夜に見た画像が上げられてもいたし。


 そうして知ったのは、駆けつけた警官の反応はとても真っ当なものだったということ。


 行方不明者の噂。グループで肝試しに行ったら、気付いたら人数が足りなかった。あそこに行くと言って騒いでいた人たちが、姿を消した。ミラーハウスについても。確かに、人が変わってしまったとかおかしくなったとかいう噂があった。そんな場所で話し合い、だなんて。あの警官たちはさぞ驚き呆れたんだろう。


 あの遊園地だけでのこと、あそこに行かなければ大丈夫――そう思えたら、どんなにか良いことだろう。でも、ベッドに横になった時、会社でふと手が空いた時。ただ単に歩いたりぼんやりと電車に揺られている時だって。私の想像は、ふらふらと彷徨って妄想めいた方向に向かってしまう。


 有希子はミラーハウスに何度も行ったと言っていた。じゃあ、怖いことが起きたのはあの夜が初めてじゃなかったんじゃないだろうか。下見をしていたとはいえ、懐中電灯一つで迷路の中を自在に動けたなんてやっぱりおかしい。妙に力が強いとも思ったし。――だから、あんなことをしようとした有希子は、もう()()()じゃなかったんじゃないか、とか。

 そもそも徹を取ろうとしたことだって。高校の時のあの悪戯、あの時にはもう私の片割れの有希子はいなくなってしまっていて、何か別の()()になってしまってたんじゃないか、とか。


 有希子でないモノとずっと一緒に過ごしてたってこと、あの夜なんかは一緒にドライブして手を握りさえしたこと。それも、身体の芯が凍りそうなほど怖い思い付きだけど。でも、それなら私にひどいことをしようとしたのは有希子ではないと思うこともできる。


 でも、それさえも何の慰めにもならなくて。


 だって、それなら()()だって、どうして信じることができるだろう!? 高校の時。あの夜。私もあのミラーハウスに入ったのに。徹を連れていったのは、私の影だったのに。


 私は、私の顔が怖い。有希子の表情を見て、自分の顔があんな醜い憎しみや怒りを浮かべることができると知ってしまった。

 私は、私の姿が怖い。私と同じ姿をしたものが、私の意思とは違う動きをするのではないかと、想像するだけでも動けなくなる。

 私は、鏡を見るのが怖い。そこに映る姿が、私ではなくて有希子だったらどうしよう。ずっと前に入れ替わってしまった片割れが、助けを求めてきたら? それとも、あれが有希子の本性だったとして、また私を詰って襲い掛かってきたら? もっと怖いのは――もうそこに映るのは私ではないのに、見ても気付いていないだけだとしたら?


 有希子を引きずり込んでいったのは、本当に有希子の鏡像だったのか――私は時々自信がなくなってしまう。あれはもしかしたら、私の姿だったのかも? 有希子や徹を恨む気持ちが、私の中にもあったのかも? 目を吊り上げた有希子の表情は、私のものだったのかもしれない。


 私と有希子は同じ顔。双子。合わせ鏡のような。

 あの夜がどれだけ遠ざかっても、その事実は変わらない。シャワーを浴びる時。会社のトイレでメイクを直す時。テレビを消した時の黒い画面や、よく磨かれた窓ガラス。雨上がりの水たまりでさえ。一日のうちに何度も、日常のいたるところで。私はそこに映る影に怯えてしまう。影と――それが何ものか、見分けることができないのではないかという恐れに。


 私は一生、この鏡の呪いから逃れることはできないのだ。

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